【第3回】セミの目で世界を見ると

 九月になっても、まだまだ夏が抜け切らない感じです。
 昼間は相変わらずセミたちが鳴いていますし、気温は余裕で三十度超え。でも、日が暮れかけると雰囲気は一変して、秋の虫たちの恋歌の大合唱が宵闇に満ちます。
 夏から秋へ──。

 なんとなく「淋しさ」の成分を含んだ生ぬるい風が吹くこの季節は、情感のこもった小説を書くのにもってこいな気がします。でも、ずっと書いてばかりだと肩が凝るので、ぼくは散歩に出るのです。終わりゆく夏の匂いを味わいながら、ゆるゆると。
 天気のいい昼間に歩いていると、頭上からセミの声が降ってきます。でも、足元を見ながら歩いていると、力尽きたセミの亡骸が転がっています。少し強い風が吹けば、その亡骸はアスファルトの上をころころと転がっていきます。風の当たらないところにある亡骸は、蟻たちの群れにたかられていました。
 生命を謳歌する頭上のセミと、土に帰っていく足元のセミ。その鮮やかすぎるコントラストには、毎年、打たれるものがあります。
 そういえば、ぼくの知り合いのプロデューサーが手がけたテレビドラマ「セミオトコ」も、いよいよ最終回を迎えました。
 このドラマ、最近のドラマにしてはちょっと珍しいほど設定がぶっ飛んでいて、なんと、セミがイケメン男子の姿で現れて、人間の女性と恋をする、というファンタジックな物語なのです。しかも、一緒にいられる時間は、セミだけに七日間という──。
 死別を前提にした恋。
 それだけで、すでに切ないですよね。
 しかし、よくよく考えてみると、ぼくらだって、出会ったすべての人と、いつかは必ず別れることになります。例外なく、必ず、です。人間も「セミオトコ」と同じく、別れを前提にした出会いしか出来ないんですよね。
 そのことをふまえて、ちょっと周囲の人を見てみて下さい。あるいは、大切な人、離れている知人のことを想ってみて下さい。いま、あなたが見た人、想った人、そのすべての人たちと、いつかは必ず別れることになるんですよ。
 そう思うと、別れのときがくる前に、いまより少しでも親しく心を交わしておきたくなりますし、出会ってくれたこと自体が、とても貴重なものに思えてきませんか?
 ドラマ「セミオトコ」では、人間として生きる「セミオ」が、作中に何度もこう言います。とても、とても、幸せそうな顔をして。
「ああ、なんて素晴らしい世界なんだ!」
 七日間という命の期限を意識している「セミオ」の目には、眼前に広がる世界のすべてがキラキラして見えているのです。つまり、「死」を意識しているからこそ、限られた「生」の美しさをしっかりと味わえているわけです。
 たとえば、人生に一度しか卵かけご飯を食べられないとしたら、その一度の食事は全力で味わいますよね?(笑)
 それと同じように、ぼくらは二度と味わえない瞬間を、ひたすら連綿と繰り返しながら生きています。そう思ったら、一瞬、一瞬を、丁寧に味わわないともったいないですよね?

 せっかくなので、ぼくも「セミオ」の目になったつもりで、終わりゆく夏を感じながら散歩することにしました。
 そうしてみたら──、単純なぼくには、吹き渡る風も、街の音も、空の色も、すれ違う人も、目に映るすべての色とカタチも、ぜんぶがちょっぴり新鮮で、愛おしいものとして感じられたのでした。そして、気づけば、青空を見上げて深呼吸をしていました。
 終わりを意識した「セミオ」の目で世界を味わう散歩、かなりおすすめです。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「エミリの小さな包丁」「かたつむりがやってくる」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。