初版道/川島幸希さん インタビュー
古書の魅力と春陽堂と夏目漱石【後編】

(インタビュアー:服部徹也さん)



2019年9月の時点でフォロワー数1万2000人のTwitter「初版道」(@signbonbon)アカウント。日々、近代文学や古書についてのツイートをしているアカウントですが、その発信者が川島幸希かわしまこうきさんであることは、実は知られていないかもしれません。川島さんは『英語教師 夏目漱石』といった著作や、2019年11月には新潮選書から『直筆の漱石──発掘された文豪のお宝』の刊行も予定されている日本近代文学の研究者であり、また秀明大学学長でもあります。
Twitterでは、日々、文豪たちの貴重な資料や写真の公開やクイズの出題、そして自身のコレクションの中から貴重な書籍を無料で贈呈している「初版本プレゼント」などを行い、若い人たちを中心として幅広い世代にフォローをされています。
2019年9月に『はじまりの漱石──『文学論』と初期創作の生成』を刊行したばかりの漱石研究者、服部徹也さんによる新連載「夏目漱石と春陽堂」のスタートを記念して、そんな初版道/川島幸希さんにお話を聞いてきました。Twitterを始めた経緯から夏目漱石が春陽堂から刊行した書籍のこだわりぬいた美しさにいたるまで──インタビューをとおして、春陽堂と夏目漱石の関わりを振り返ります。



夏目漱石と春陽堂の関係
服部 先生は春陽堂の本も多々収集されていると思います。夏目漱石にしても泉鏡花にしても、凝った本を作っていた版元というイメージがありますが、先生からみてどうですか?
川島 尾崎紅葉を筆頭に第一線の作家の本を刊行していた春陽堂は、「文芸出版は自分たちが一番だ」という矜持があったと思います。最初に刊行した漱石の本は『鶉籠うずらかご』ですが、まだ教師の時代でした。当時は自然主義文学が隆盛を迎え、硯友社系が中心だった春陽堂が違う作家を必要としたときに、漱石に目を付けたのはやはり見識でしょうね。

図1-1 『鶉籠』カバー

図1-2 『鶉籠』表紙

服部 当時の春陽堂は、意識的に漱石の本を刊行していたということなんですね。
川島 間違いなくそうだと思います。そうでなければあんなに高い印税を払いません。漱石の印税は、他の作家から批判が出るほど破格の条件です。版を重ねた結果として、最後は3割まで払っていますから。しかも装丁も凝りに凝っている。費用対効果を考えたときに、利益率は非常に低い本です。

夏目漱石の初版本
川島 漱石の装丁に対する見識は高いものがありました。作家が「おまかせします」というのと、装丁に口をはさむのとは当然違うわけで、『鶉籠』でも漱石御用達の橋口五葉はしぐちごようを使っています。また最初の頃は、『野分』の中扉の絵や『三四郎』の表紙の文字に文句をつけています。
漱石の本は、春陽堂以前の『吾輩ハ猫デアル』を始めすべて洋装でしたが、その装丁の豪華さに内田魯庵などみんなびっくりしたわけです。

図2-1 『吾輩ハ猫デアル 上編』カバー

図2-2 『吾輩ハ猫デアル 上編』表紙

さらに春陽堂から出る本について、五葉は非常に実験的なこともしています。『虞美人草』や『草合』では、いわゆる「ちつ」(*1)をつくって本を収めていて、『草合』の表紙には漆を塗っています。

図3-1 『虞美人草』帙

図3-2 『虞美人草』表紙2

図4-1 『草合』帙

図4-2 『草合』表紙

また『文学評論』は天地をくるむようなカバーになっています。

図5『文学評論』天地をくるむカバー

『三四郎』以降は全部はこ付です。これらは本当に贅沢な造りで、それを受け入れたところに、春陽堂の懐の深さがあると思います。

服部 先生が高校1年生だった1976年、初めて神保町に行かれたときに、漱石の『文学論』(大倉書店刊)を買われた。それ以来、漱石初版本のコンプリートを目指されたそうですね。(*2)
川島 『文学論』が最初だったのはたまたまです。北沢書店の和書部閉店セールで『文学論』の初版本が8000円で売られていました。高校生の僕にとって8000円は大金だけれど、セールで3割引になっていて、親が買ってくれました。それが初めての初版本で、しかも漱石だから嬉しかったですね。

春陽堂の初版本との出会い
服部 漱石以外にも多くの本を集めてこられたわけですが、春陽堂の本で思い入れがあるものは何ですか?
川島 集めた春陽堂の初版本はあまりにも多いので、選ぶのはなかなか難しいですが、やはり『若菜集』や『金色夜叉』などの名著でしょうか。『若菜集』は無地の袋が珍しく、『金色夜叉』は5分冊で、最初の前・中・後編の袋が極稀です。漱石が序文を書いた長塚節の『土』もあります。あと作家別ではやはり泉鏡花の本ですね。本そのものの美しさもあって、鏡花本は熱心に集めました。鏑木清方かぶらききよたか鰭崎英朋ひれざきえいほうの木版口絵が入っていたり、小村雪岱こむらせったい装丁の袖珍本もあったり、集めて楽しいという点では群を抜いています。もちろん、春陽堂は名詩集もたくさん世に送り出していて、挙げたらキリがありません。

図6-1 泉鏡花『婦系図』カバー付き初版

図6-2 特製版『鏡花選集』(特製50部、鏡花署名、小村雪岱手彩色入)

以上 初版本図版提供:川島幸希
服部 この作家の本はこんな装丁・造本にするといったコンセプトがありますよね。
川島 作家の意向を尊重したのでしょうね。鏡花本で言えば初期は清方と英朋、五葉で、後はほとんど雪岱になっていきます。本の大きさもある程度、作家ごとの統一感があります。漱石は菊判、芥川龍之介は四六判が圧倒的に多いです。

春陽堂の基本資料
服部 川島先生のお話を伺っているうちに、コレクターとして本を集める楽しみと、研究者として書誌調査を行なう意義というふたつのことが見えてきました。たとえば、春陽堂の刊行物について詳しく調べるためには、どんな方法があるのでしょうか?
川島 基本書は山崎安雄が残した『春陽堂物語』と『春陽堂書店 発行図書総目録』です。また春陽堂の雑誌『新小説』を見れば広告が出ているので、当時の刊行物はかなり把握できます。また図書館や文学館にも春陽堂の本は数多く収蔵されているから、Webで検索をすることも可能だし、「日本の古本屋」にも膨大なデータ存在します。さらにかつて『日本古書通信』で連載された島源四郎(春陽堂の社員で、後に新小説社の社長)の回想なども参考になります。(*3)漱石の印税の話なども出てきて、編集者は実際に見聞きしているので、貴重な証言が多いです。
 残念ながら、春陽堂は関東大震災で社屋が全焼してしまったので、会社に昔の刊行物がほとんど残っていません。今からでも決して遅くはないので、過去の遺産を未来の出版につなげるためにも会社として集めてほしいものです。ちなみに、震災で奇跡的に無傷だった新潮社は、過去の刊行物の多くが残ったにもかかわらず、社史編纂の折に欠本を埋める努力をしました。その資料室は見事なものです。

図7 『春陽堂物語』と『春陽堂書店発行図書目録』


初版道、川島幸希さんのこれから
服部 川島先生は出版事業にも携わっていらっしゃいますよね。初版道さんとして、川島幸希先生として、それぞれお話を伺ってきましたが、その両者の活動が相乗効果をもたらしたのが、秀明大学出版会から2018年12月に刊行された日本近代文学館編『小説は書き直される──創作のバックヤード』だと思います。堅実な研究の蓄積を詰め込んだ本であると同時に、美しい本で値段も抑えられている。しかも若い読者がTwitterで「見つけた」「買えた」って喜んでいたりする。
川島 そうですね。オールカラーで2500円。これならば若い人でも、アルバイト3時間分のお金で買えます。

図8 『小説は書き直される』

服部 この本が書店に並んでいるのをよく見かけました。この本に象徴されるように、川島先生のやってこられたことと初版道さんとしての活動とが融合して、近代文学に触れるための間口の広い入り口ができている。近代文学研究者として勇気づけられますし、畏敬の念を抱きます。そして、自分も頑張らなくてはと思わされます。
 川島先生がこれまで発見してきた漱石の資料をめぐるお話については、11月に新潮選書から新著を刊行予定と伺っております。読者のなかから、古書収集や資料を用いた研究に関心をもつ方が増えていくことでしょう。
 これからのご活動も楽しみにしております。ぜひTwitterも消さずに続けてください(笑)。今日は、ありがとうございました。
(了)
【註】
*1 書籍の損傷を防ぐために包むケースのようなもの。
*2 川島幸希「漱石を蒐める」(『日本古書通信』2016年10月)。
*3 島源四郎「出版小僧思い出話」(『日本古書通信』1984年7月号~1985年7月号まで12回にわたり連載。1月号は休載)。


プロフィール
川島幸希(かわしま・こうき)
1960年、東京生まれ。秀明大学学長・日本近代文学研究者。東京大学文学部卒業。近代文学の初版本コレクターだったが、欲しい本がすべて手に入ったので引退した。著書に『英語教師 夏目漱石』『国語教科書の闇』(以上新潮社)、『署名本の世界』『初版本講義』(日本古書通信社)などがある。2019年11月下旬には、『直筆の漱石──発掘された文豪のお宝』(新潮選書)も刊行予定。


服部徹也(はっとり・てつや)
1986年、東京生まれ。大谷大学任期制助教。著書に『はじまりの漱石──『文学論』と初期創作の生成』(新曜社)、共著に『文学研究から現代日本の批評を考える──批評・小説・ポップカルチャーをめぐって』(ひつじ書房)など。



関連書籍
春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。
この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。