【第13回】


人前で喋るのは楽じゃない
 9月は、7日に中川フォークジャンボリーの司会進行、8日に小平中央図書館、12日に早稲田の戸山生涯学習館で講演、28日が新潮講座で谷中での鴎外・乱歩ウォークの引率ガイドと、ずいぶん人前で喋る機会が多い月になった。10月は、12日に千代田図書館で神保町について話し(残念ながら台風で中止)、17日には小山力也さんと古本屋さんに呼ばれて熊本までトークをしに行く。26日には『定価のない本』(東京創元社)の著者・門井慶喜さんのご指名で、トークのお相手を務めることになっている。明らかにちょっと出過ぎである。人前で喋るのは好きでもないし、大いに疲れる。ちょっと自重しようと思う。
 8月は、とくにそんなトークや講演の機会はなかったから、これはやはり、「読書の秋」に連動した事態であろうか。しかし、原稿書きの分野では、書評依頼はあるものの、古本を含む「読書の秋」にからめた企画の原稿依頼はめっきり減った。雑誌や新聞における歳時記的なイベントである「読書の秋」の効力を失ったか。いや、タレントや芸人、人気作家や書店員による記事はあるようだ。となると、単に私が落ち目なのか。うーん、と考え込んでしまう。

結婚式のスピーチ
 もう、周囲に該当する年齢の知り合いがいなくなって、結婚式に出席することもなくなった。ありがたい。スピーチを頼まれたりすると、やっぱり厄介だなあと思う。もう40年近く前になるか、高校時代の友人の結婚式に出席した時のこと。当日、頼んでいた司会が来られなくなって、急きょ、私が代役を務めることになった。そんなこと、ありか。もちろん結婚式の司会なんか初めてである。その後もない。どうにかやりおおせて、親族から「ありがとう、よくやったねえ」とご祝儀をもらった。
『挨拶はむづかしい』というスピーチ集もある、名手丸谷才一のエッセイ集『男のポケット』(新潮社)に、上手なスピーチの実例が紹介されている。気象学の和達清夫わだちきよお(1902~95)によるもの。これが素晴らしい。
「いつも当たらない天気予報を流しまして、みな様に御迷惑をおかけしている和達でございます。新郎新婦は箱根にいらっしゃるそうですが、明日の箱根地方は快晴であります」(新かなに改めた)
 短くて、ユーモアがあって、洒落ていて、最後が明るい。


根府川の海へ、そして二宮
詩人の茨木いばらぎのり子(1926~2006)の初期詩編に「根府川ねぶがわの海」がある。名作である。最初の方を引用しておく。

根府川ねぶがわ/東海道の小駅/赤いカンナの咲いている駅//たっぷり栄養のある/大きな花の向こうに/いつもまっさおな海がひろがっていた//中尉との恋の話をきかされながら/友と二人ここを通ったことがあった//あふれるような青春を/リュックにつめこみ/動員令をポケットに/ゆられていったこともある


 詩の鑑賞はわが役目にあらず。不明瞭なところも特にないだろう。戦時中に青春期を送った茨木(詩「わたしが一番きれいだったとき」)は、東邦大薬科の学生だった時、軍需工場へ動員される。「動員令」、のちに登場する「菜ッパ服時代」にその片鱗がうかがえる。19歳で終戦を迎えた茨木は、動員された軍需工場から解放され、実家へ帰る車中の属目しょくもくが「根府川の海」の詩ダネとなった。
 私は、ずっとこの詩に謳われた「根府川」駅から海が見たいと思っていた。いや、東海道線を上下する際、この駅に停車(通過)するたび、意識して見てはいた。しかし、わざわざ途中下車してホームに立つことはなかったのである。
 それで8月の終わり、「青春18きっぷ」を使って、根府川まで出かけて来た。新宿駅経由で「湘南新宿ライン」という快速に乗り、根府川は国府津こうづと熱海の中間、小田原の2つ先にある小駅(無人改札)である。この駅の特筆すべきは、崖ともいうべき斜面の途中にホームがあり、目の前に相模湾が一望できることだ。こんなロケーションを持つホームは、そうないと思われる。遮蔽するものは何もない。ホームの先が、ただきらきら光る海、なのである。「たっぷり栄養のある/大きな花の向うに/いつもまっさおな海がひろがっていた」と書かれた、まさにその通り。ただし、私が行った時、カンナの花は見当たらなかった(見落としているかもしれない)。水色の木造跨線橋を渡った先が駅舎で、たくさん花が植えられ、小さな石造りの池に鯉が泳いでいた。
 もうこれだけで満足。駅周辺をぶらつき、崖下を下り、国道一号線を歩いたことも省略。上りに乗車し、次に向った駅が「二宮」だった(国府津と大磯両駅の中間)。根府川に比べたら、こちらは「街」。広い駅前ロータリーや商店もある。なぜここで降りたか。じつは、「夏の葬列」「海岸公園」で知られる作家の山川方夫まさお(1930~65)がここに住んでいた。没年34歳と生が短いのは、1965年、二宮駅前の国道一号交差点でトラックに跳ねられ、それが元で死去したからである。
 積載重量オーバーのトラックは、ブレーキが効かず、山川に体当たりした。山川は書いた原稿を鉄道便(そういう制度があったのだ)で東京へ送るため駅に行き、その帰りに事故に遭った。不思議な話だが、事故の一年後、ちょうど山川の命日に、トラック運転手は不慮の事故で死亡している。
 山川が遭難した交差点に、何かそれと分かる碑や表示板があるわけではない。ただ、山川を偲んで、私は交差点に立ちたかった。静かに数秒瞑想し、住宅街を抜けて、山川が見たであろう海を見に行く。茨木が見たのと同じ相模の海。しかし、国道に阻まれ、その向うは崖で、とても近付けない。近く見える海は遠かった。


じゅん散歩名言集
 あいかわらずテレ朝の『じゅん散歩』を欠かさず見ている。先日(9月16日)は「巣鴨」へ。「初代 シベリア・ロール」という店を見つけて入っていく。「シベリア」という洋菓子は、ふつう三角形だが、ここはアンコを渦巻きのカステラで巻いてある。ひとくち食した高田純次の天才的コメント。
「世界中歩いても、こんなアンコないね。(やや間があって)まあ、世界へ出たら、アンコ食べないけど」
 シベリアは昭和を感じさせる洋菓子。宮崎駿監督『風立ちぬ』(2013)に登場して、しばらく話題になった。あれは三角形。カステラ生地にはさまっているのは、アンコではなく羊羹だったと思う。大阪弁では「よう噛んで食べや」と言う。あ、ここは笑うとこですよ。「ここで笑っておかないと、あと笑うところないですよ」は、上方の兄弟漫才、酒井くにお・とおるのギャグ。兄のくにお(1948年生まれ)は秀才で、東京教育大学(現「筑波大学」)に合格した高学歴芸人のはしり。全共闘運動の闘士だったという。

『乱れる』のタマゴ
 成瀬巳喜男監督『乱れる』(1964)の冒頭、静岡県清水の駅近くとおぼしき商店街で、個人営業の小売店が、近所に出来たスーパー(といっても規模は小さい)のあおりを食って商売が成り立たなくなる、という描写がある。夫婦(柳谷寛・中北千枝子)でやっている小さな食料品店で、一個11円のタマゴがスーパーの売り出しでは5円。この後、スーパーの経営者(藤木悠)が、店員たちとバーにタマゴを大量に持ち込み、ホステスたちに食べ比べをさせるシーンがある。これを「止めとけ!」と難癖をつけるのが、義姉(高峰秀子)がきりもりする酒店の次男坊加山雄三だ。二人は恋仲となるが、それはさておきタマゴの値段。1964年の物価は大ざっぱに言って、現在その10倍と考えると、柳谷寛の店のタマゴは1個100円くらいの感じか。1パックじゃないですよ、たったの1個。敗戦から昭和の30年代終わり頃まで、タマゴは高かった。そのことを念頭に置かないと、ホステスたちの涙ぐましいタマゴの食べ比べの悲哀と滑稽は分からないだろう。小売りの食料品店の主人、柳谷は首を吊って死ぬ。タマゴに殺された、とは言い過ぎか。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。