俳人・北大路翼さんと白石和彌監督のアウトロー対談。〈前編〉では、白石監督の新作『ひとよ』(11月8日全国公開)の感想から、「家族」「地方」「いじめ社会」の話題に広がりました。〈後編〉では、俳句一家「しかばね派」を率いる北大路さんの死生観、俳句と映画の共通点へと発展します。

北大路翼さん(左)、白石和彌監督


「臨死体験」、そして「過去自殺」
── 北大路さんは、俳句一家の名前をどうして「屍派」にしたんですか?
北大路翼(以下、北大路) なんでですかね。気がついたら「屍派」になってました。
白石和彌(以下、白石) 死生観みたいなものが作品に出ていたりするんでしょうか。
北大路 「さみしがるストッキングの穴に指」……死生観はないかな(笑)。エロスとタナトス。生と死はすごく近いものですよね。僕は昔から、人が死ぬということについて冷静というか、あまり感情が揺さぶられない、というところがあるんです。子どもの頃から俳句をやっていて、老人に囲まれていたからかな。周りにいた人たちがどんどんいなくなっていくことに慣れていたのかもしれません。むしろ、子どものときは、「死んだらどうなるんだろう」って、死ぬことに憧れていた節もあります。
白石 ちっちゃい頃そんなこと考えたら、怖くて夜、寝られませんよ。
北大路 僕も寝られなかったですよ。考えたらワクワクして。
白石 ワクワクって……(笑)。

北大路 「ちょっとだけ死んでみようかな。でも、ちょっとだけって、どうやるんだろう」なんて考えはじめると、眠れなかった。
白石 すごい子ども。メンタル強いですね。
北大路 前に酔っぱらって階段から落ちて頭を打って、危篤状態になったことがあるんです。そのときのことはまったく覚えてなくて、ただ、空白の数日がある。たぶんそれが臨死体験というか、死んだときの状態なんだろうな。その体験をしてから、さらに死と親しくなった気がして、逆に死ぬことについてあまり考えなくなりました。
白石 “ちょっとだけ死ねた”んですね。
北大路 そう、“ちょっとだけ死ねた”(笑)。『ひとよ』で、園子(松岡茉優)が父親の墓に向かって「もう死んでるけど、さらに死ね!」って言うセリフがありましたよね。あれ聞いて、「お、2回死ねるんじゃん」って思いましたもん。
白石 ハハハハ(笑)。
北大路 そういえば、前に「過去自殺」っていうのをしたこともあります。
白石 「過去自殺」?
北大路 競艇で負けすぎて、頭にきたから死のうと。これでほんとに死んだら悔しいから、自分にとって一番嫌なことをしようと決めて、大切なものを全部捨てることにしたんです。毎日つけてた日記や俳句、それに昔の写真。段ボール5箱分くらいを一気に捨てました。
白石 それは、もったいない。
北大路 ほんと。捨てなかったら、もう一冊本が書けたのに。だけど、自虐的なことをやってスッキリしました。イライラして、意味もなく恋人と別れたこともあります。「好きだけど別れよう」って。
白石 北大路さんとつきあう人は大変だ。

山頭火の生き方に憧れて
── 北大路さんは種田山頭火に憧れて俳句をはじめたそうですが、白石監督が影響を受けたのは、若松孝二監督でしょうか。
白石 若松さんは作品というより、生き方のほうに影響を受けましたね。ギリギリのしびれる場面での腹の括り方。あれは本当にすごい。もしかして、若松さんも死ぬことに恐怖を抱いてなかったんじゃないかな。逆に映画づくりはすごく淡白だったんで、「ああいうふうには撮らないようにしよう」と思ってました。
北大路 僕も山頭火に憧れたのは、作品じゃなくて生き方ですね。山頭火がアルコール依存症になったのは、子どもの頃の母親の自殺が影響してると思いますけど……。そして僕は、その人生に憧れて、夢叶ってアルコール依存症になりました(笑)。
白石 いま、ガチでアルコール依存症なんですか?

北大路 いや、ギリギリ社会生活は送れる感じで、なんとか大丈夫です。生き方といえば、僕は仁侠映画が大好きで、とくに『博奕打ち 総長賭博』(以下、『総長賭博』)は傑作だと思ってるんです。鶴田浩二、最高です。
白石 『総長賭博』、いいですよね。実録やくざ路線の原点です。『人生劇場 飛車角』からはじまるそれまでの東映やくざ映画に飽き飽きしていた笠原和夫が、脚本を書いたのが『総長賭博』。“仁義を守るやくざ”から“仁義を守らないやくざ”に変わる、その境目の作品で僕も好きです。
北大路 グッと耐えるところがしびれますよね。あの「美学」がたまらない。
白石 そう、「美学」ですね。「こうありたい」という。
北大路 『ひとよ』の雨のシーンは、殴り込みに行く前の「道行みちゆき」を彷彿とさせました。
白石 ふふ…道行ですか。
北大路 あと15年ぶりに母親が帰ってきて、いろいろ言いたいことはあるんだろうけど、一切言いわけしないし、謝らない。あの、耐えてるところがカッコいいなと。背中で語るという。
白石 『ひとよ』を仁侠映画と重ねて観る人がいるとは(笑)。

── 「多作」であることもおふたりの共通点だと思いますが、北大路さんはこれまでに2万句以上、白石監督は2年間で映画を6本公開しています。
白石 それも、ぼちぼち打ち止めな感じです。来年は久々に公開待機作がなくなるので、やっと創作に集中できます。
北大路 なにかをやっていると、違うことをやりたくなったり、別のアイデアが出てきたりしますよね。
白石 そうそう。来年ようやく時間ができるので、いまは自分自身にすごく期待しています。ちなみに北大路さんは、一日何句ぐらいつくるんですか?
北大路 100句以上作ることもありますが、コンスタントに10句以上は作ってます。
白石 100? 飲んでるときも?
北大路 (うなずいて)目に入ったものから俳句が浮かぶんです。飲んでない昼間も、もちろんアンテナ張ってますけど、夜飲んで俳句をつくるというのが基本のリズム。僕はリズムをとても大事にしていて、飲むペースも最初から最後まで一緒。しかもずっと同じ動きで飲み続けるから、ヒジに水がたまったことがあります。
白石 酒飲んで、ヒジに水がたまる人がいるなんて初めて聞きました(笑)。休肝日つくったほうがいいですよ。ほんと、心配になってきちゃった。

俳句は、映画のワンシーンと同じ
── 北大路さんの新刊タイトルは、『廃人』なんですよね。
北大路 そう、「僕、俳人です」って言うと、「どっちの“はいじん”?」なんて言われて悔しいから、自分からこっち(廃人)を名乗っちゃおうと。
白石 ふふ(笑)。最高です。
北大路 エッセイや自選の句、俳句のつくり方をまとめた俳句塾も入れてます。ちまたの俳句の入門書って、「どうやって感動を見つけるか」ばかり書いてますけれど、俳句に仕上げる作業は、かなり数学的なんです。感動することと、俳句にまとめるのは別の感覚。だから、技術的にどうまとめるか、ということを中心に書きました。
白石 俳句、僕にもできますかね。
北大路 すぐできるようになりますよ。映画のコマ割りは俳句に近いんじゃないかな。映画のワンシーン、ワンシーンがきっと俳句になると思います。
白石 なるほど。(北大路さんの俳句に目を移して)「キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事」。たしかに。画が浮かびますね。
北大路 映画っぽくていいでしょ。
白石 (さらに読みながら)ふっ、これもいい。
北大路 笑っていただけるのが、一番うれしいです。
白石 それにしても、「圧倒的にクレイジーな一夜があれば全てチャラだ」。ここんとこ、まさに『ひとよ』でしたね。あのときは、何気なく読んでましたけど……。
北大路 あのとき?
白石 実は、去年の誕生日。12月なんですけど、友人から北大路さんの『天使の涎』を、もらったんです。
北大路 ほんとに? それ、先に言ってくださいよ!
『ひとよ』 11月8日(金) 全国ロードショー

© 2019『ひとよ』製作委員会


雨の夜、子どもたちのために愛する夫を殺した母・こはる(田中裕子)。その15年後、心の傷を抱えたまま大人になった三兄妹(鈴木亮平、佐藤健、松岡茉優)のもとに母が帰ってくる。再会した彼らがたどり着く先は──。

監督:白石和彌
出演:佐藤健、鈴木亮平、松岡茉優、田中裕子
脚本:髙橋泉
原作:桑原裕子「ひとよ」
製作幹事・配給:日活
企画・制作プロダクション:ROBOT
hitoyo-movie.jp Twitter:hitoyomovie Facebook:hitoyomovie

『半自伝的俳句エッセイ 廃人』
(春陽堂書店)北大路翼・著

“人生すべてが俳句の種”と語るアウトロー俳人・北大路翼初のエッセイ集。書き下ろし俳句も多数掲載したエッセイ48篇、2万句を超える過去作品からの肉筆自選23句、俳句をつくる実践的なテクニックを指南する俳句塾など、北大路翼が俳句をとことん遊びきった渾身の一冊。
●白石和彌(しらいし・かずや) 映画監督
1974年12月17日、北海道生まれ。中村幻児監督主催の映像塾に参加。以降、若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として活動。2010年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編デビュー。2013年『凶悪』が第38回報知映画賞監督賞、第37回日本アカデミー賞優秀監督賞・脚本賞など、各映画賞を総なめ。以降も作品・監督・俳優部門などを中心に60以上もの受賞を果たす。その他の主な監督作品に『日本で一番悪い奴ら』(’16)、『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』(’17)、『サニー/32』『孤狼の血』『止められるか、俺たちを』(’18)、『麻雀放浪記2020』『凪待ち』(’19)など。
●北大路 翼 (きたおおじ・つばさ)  新宿歌舞伎町俳句一家屍派 家元/砂の城 城主
1978年5月14日、神奈川県横浜市生まれ。小学五年頃、種田山頭火を知り、自由律俳句をマネたモノを作り始める。反抗期に俳句がぴったりと同調。高校在学時、今井聖に出会い俳句誌「街」創刊と同時に入会。童貞喪失を経て詩誌「ERECTION」に参加。2011年、作家・石丸元章と出会い、屍派を結成。2012年、芸術公民館を現代美術家・会田誠から引き継ぎ、「砂の城」と改称。句集に『天使の涎』(第7回田中裕明賞受賞)、『時の瘡蓋』、編著に『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」アウトロー俳句』『生き抜くための俳句塾』。

写真 / 隈部周作
取材・文 / 山本千尋