第3回 乱歩講座-江戸川乱歩を読んでみる【前編】
「魔術師」明智小五郎の変遷

江戸川乱歩研究者  落合 教幸
 江戸川乱歩の探偵小説に登場する明智小五郎は、名探偵として知られた存在だ。明智は乱歩の初期の短篇で初登場し、中期の長篇でも活躍する。そして少年物でも重要な位置を占め続けた。乱歩の執筆活動の初期から最後まで、ともに歩んだともいえるこの探偵について、追って見ていきたい。

明智小五郎の登場
 明智小五郎が最初に登場するのは、1925(大正14)年の「D坂の殺人事件」である。
 明智はモジャモジャの髪の毛を引っ掻き廻すのが癖で、「いつも木綿の着物によれよれの兵児帯へこおびを締めている」書生風の男として描かれる。このとき明智は「二十五歳を越してはいまい」と書かれている。「僕は人間を研究しているんですよ」という明智は、犯罪などの豊富な知識を持っている。
 今となっては明智が探偵であることは当たり前になっているので、この短篇を読むときには、あらためて当時の読者を想像してみる必要がある。この小説の語り手の「私」と明智がカフェで語り合っていると、向かいの古本屋の様子がおかしいことに気づく。二人が行ってみると、そこで死体を発見する。そのときの明智の様子に「私」は違和感を抱くのだった。つまり物語の途中まで、明智は怪しい人物、容疑者として書かれているのだ。
 乱歩は多くの資料を残していて、この「D坂の殺人事件」の草稿も現存している。その草稿では、小林という刑事が明智の下宿を訪れ、事件の相談をするという発端になっている。この構想からすると、明智が名探偵としていくつもの事件に関与していくシリーズを乱歩が考えていたとしても不自然ではない。
 だが乱歩は「明智探偵は一ぺんきりでよすつもりだったが、誰彼に「いい主人公を作り上げましたね」といわれるものだから、つい引続いて小五郎ものを書くようになった」とも書いている(『探偵小説四十年』)。
 いずれにせよ、続けて書かれた「心理試験」については、「D坂の殺人事件」で書けなかったという連想診断を使っていて、この二作は併せて読まれるものとして良いだろう。それ以降の登場については、評判も影響しているかもしれない。
 他にもこの時期のいくつかの短篇に明智は登場している。「黒手組」「幽霊」「屋根裏の散歩者」である。そして最初の長篇「一寸法師」となる。この頃には明智は探偵としてすでに知られた存在として書かれている。
 1927(昭和2)年の休筆を経て、乱歩が大衆向けの長篇小説に本格的に取り組むようになったという変化については、これまでにも触れてきた。
 転機となったのは「孤島の鬼」「蜘蛛男」を書いた1929(昭和4)年だった。「孤島の鬼」は、同性愛や人間改造といった、当時乱歩が関心を抱いていた事柄を盛り込んで、友人と旅した三重県南部を舞台に描いた物語だが、これには明智は登場しない。ただ、幅広い層の読者を持つ一般向けの月刊誌に連載したことは、乱歩のその後に影響した。
 講談社の雑誌『講談倶楽部』に、娯楽的な読み物を意識して書かれた「蜘蛛男」だが、明智小五郎が登場するのは途中からである。序盤で探偵役となるのは、畔柳くろやなぎ博士という犯罪学者だ。明智の登場が最初から予定されていたか否かについては不明である。
 明智は「一寸法師」事件の後、また外国へと渡っていたのだが、「蜘蛛男」事件の最中に帰国する。すでに警視庁にも明智の名は知られていて、旧知の波越警部に協力することになる。このときの明智は「詰襟の白服に白靴の日本人離れした」姿となっている。ただ、この服装はこのときだけのもので、これ以降は基本的に黒の背広を愛用していたようだ。
 明智は「蜘蛛男」事件の調査に乗り出し、女性を次々と襲っていた殺人鬼の正体を暴き、犯人を追いつめていく。
 そして「蜘蛛男」の連載が終了し、「魔術師」が始まる。「魔術師」では、明智が終始活躍するだけでなく、これまでの事件や、のちにつながっていく設定なども提示されている。シリーズとして明智が描かれていく基礎となっているのが、この「魔術師」だということもできるだろう。ちなみに1931(昭和6)年から刊行されることになる最初の江戸川乱歩全集では、第一回配本が「魔術師」の巻で、「心理試験」なども収録されている。
「魔術師」の冒頭には「蜘蛛男」事件から間もないことが書かれている。明智は休養のため、Sと頭文字で示されている、おそらく諏訪湖畔にあるホテルに逗留する。そこで知り合った宝石商玉村氏の娘、妙子に惹かれるのであった。「推理一点張りの鋼鉄製機械人形ではなかった」というように、明智の人間的な面も描かれることが示される。
 東京へと帰った明智は誘拐されてしまう。監禁された明智は、復讐を遂げるまで手出しをしないよう誘拐犯から説得されるのだが、それを拒絶する。そこから魔術師と明智との闘争が繰り広げられるのである。
 先の「蜘蛛男」では、石膏像にされた腕、水族館で泳ぐ死体などの衝撃的なイメージが提示された。この「魔術師」でも「獄門舟」と書かれた、生首を乗せた板が使われる。首を斬られたのは、妙子の叔父にあたる、玉村氏の弟であった。

この記事を書いた人
落合教幸(おちあい・たかゆき)
1973年神奈川県生まれ。日本近代文学研究者。専門は日本の探偵小説。立教大学大学院在学中の2003年より江戸川乱歩旧蔵資料の整理、研究に携わり、2017年3月まで立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの学術調査員を務める。春陽堂書店『江戸川乱歩文庫』全30巻の監修と解説を担当。共著書に『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 2017)、『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店 2018)、『江戸川乱歩新世紀-越境する探偵小説』(ひつじ書房 2019)。