【第7回】公園のベンチで読むべき本は?

 金木犀の香りと彼岸花の華やかさに目を細めながら、とある公園に向かって歩きました。うちからそう遠くない、小学生の頃によく遊んだ公園です。
 目的は、読書。秋のいい風に吹かれながら、公園のベンチで日がなのんびり小説を読むという行為は、活字中毒者にとっては、大いなる悦楽のひとつだろうと思います。
 さて、公園に着いたぼくは木陰のベンチに座って、少し色褪せた文庫本を開きました。タイトルは『風の旅団』(講談社文庫)。発売は、ちょっと古くて1988年。著者の戸井とい十月じゅうがつさんが40歳くらいの頃に書かれた、オートバイでタクラマカン砂漠を疾駆する冒険小説です。

大きな樹の下のベンチがお気に入り

 戸井さんは、ぼくにとって歳の離れた兄貴のような存在でした。「でした」と過去形で書くのは、2013年の夏に肺癌で亡くなっているからです。
 まだ20代の編集者だったぼくが、どうしても戸井さんと仕事をしたくて、「ぜひ、ぼくに原稿を下さい」と直談判(というゴリ押し)に行ったのが、はじめての出会いでした。以来、公私ともに可愛がってもらったのです。
 そんな感じだったので、ぼくは戸井さんの著書はすべて読破しているつもりでいたのですが、つい先日、ネットサーフィンをしていたら、未読の1冊『風の旅団』を見つけてしまったのでした。
 公園のちびっ子たちの歓声を聞きながら、ぼくは小説の主人公と一緒にタクラマカン砂漠を旅しました。
 後半、物語が深まると、ふいに戸井さんからの強いメッセージが伝わってくるシーンが続きました。そして、そのメッセージは、いま現在のぼくが考えていることと寸分違わず同じだったので、なんだかしみじみ嬉しくなってしまいました。でも、正直を言えば、もっと生前の戸井さんと酒を酌み交わして、たくさんのことを教えてもらえばよかったなぁ……と、決して軽くはない後悔を味わうハメにもなりました。
 人生なんてあっという間ですから、会いたい人には、会いたいときに、さっさと会いに行くべきですね。

彼岸花。別名、曼珠沙華とも

 ぼくが編集者を辞めてフリーランスになろうと決めたのは、20代後半のことでした。そのとき戸井さんは、ぼくを銀座の「文壇バー」に連れて行ってくれました。年季の入ったカウンター席で、戸井さんはウイスキー片手に言いました。
「なあ森沢、会社員を辞めてフリーになるって、怖いだろ?」
 ぼくは素直に「怖いです」と答えました。
「だよな。俺もそうだったから分かるよ。でも、ひとつだけ大事なことを守っていれば、フリーでも食っていけるから安心しろよ」
「え、その大事なことって、何なんですか?」
「それはな、どんなに小さな仕事でも、どんなにくだらない仕事でも、どんなに苦手な分野の仕事でも、受けた以上は1ミリだって手を抜かないこと。それさえ守っていれば、最悪のピンチが訪れても、必ず誰かが手を差し伸べてくれるからな」
 戸井さんは、そう教えてくれたのでした。
 そして、その教えを愚直に守り続けてきたぼくは、おかげさまでフリーランスを続けられています。
 さて、その文壇バーでの会話から約10年後、戸井さんと飲んでいたときに、ぼくは少し照れながらお礼を言いました。あのときの教えがあったからこそ、ぼくは小説家になれました、と。
 すると戸井さんは、ぼく以上に照れながら、「えっ、俺、そんな偉そうなこと言ったか?」と、薄笑いでとぼけたのでした。
 そんな生身の戸井さんとは、もう二度と会えませんが、でも、戸井さんの「作品=スピリット」には何度でも触れられます。作家の肉体は滅びても、「伝えたいこと」は作品のなかに残っていますから。
 それにしても、公園のベンチというところは、つくづく他界した作家の本を読むのに向いているようです。
 ただ上を向くだけで、空が広がっていますから。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「エミリの小さな包丁」「かたつむりがやってくる」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。