【第19回】


吉祥寺寄席
 12月4日、夜7時半開演の「吉祥寺寄席」へ。光専寺こうせんじというお寺の本堂で高座を造り、椅子を並べての寄席である。客席はほぼ満杯で100名は入っているだろうか。主催者が手弁当で運営して継続し、もう57回目というから大したものだ。
 この日の出演は、春風亭一猿「阿弥陀池」、中国の伝統笛と琵琶の演奏を挟んで、春風亭三朝「磯の蚫」。仲入り後にトリが立川りゅうで「寝床」。一猿(二つ目)、三朝(真打ち)はともに、春風亭一朝の一門。一朝師は春風亭柳朝の一番弟子で、若い時から巧かった。だから、弟子のお二人ともしっかりした芸を継承し、聞いていて気持ちいい。
 龍志師は談志の弟子だが、私は聴くのは初めて。これがまことに粋のいい、スピード感のある「寝床」で、客席をよく沸かせたし、大いに感心させられたのだった。細かいくすぐりに工夫があり、人物描写も確か。いいものを聴いたという満足感に包まれて客席を後にした。
 なお、終演後にスタッフと演者による打上げがあって、そこにも参加。龍志師は帰宅されたが、一猿、三朝両氏とは酒を酌み交わしながら言葉を交わす。これは貴重な体験だった。交通手段が便利になってから地方公演でも日帰りが増えた。案外、千葉県で泊まり、なんてこともある。若手と居酒屋などで飲むと、一番歳上が勘定を持つという不文律(仕来りと言ったほうがいいか)があって、自分も若い時はずっとおごられてきたし当然なのだが、高くついたときは「痛い!」と思われるとか。

『荒野の決闘』ドク・ホリディが暗誦するハムレット
 ジョン・フォード監督『荒野の決闘』(1946)を、久しぶりに観る。ごぞんじ保安官ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)兄弟、酔いどれ医師のドク・ホリディ(ビクター・マチュア)が、悪党揃いのクラントン一家とOK牧場で決闘する。清潔な大気に包まれた光と影の撮影効果が、暴力と血で支配される町に詩情を与えた。惚れぼれする作品である。
 旅芸人がクライトン一家に脅かされ、酒場のテーブルの上でシェイクスピア劇のセリフを言わされるシーンがある。「生きるべきか死ぬべきか」なんて言っているから『ハムレット』だ。彼がいつまでも舞台に現れず、劇場の客たちが暴動寸前になる。そこでアープとホリディが役者がいる酒場へ迎えに行く。役者は恐怖で立ちつくし、途中からセリフが言えなくなる。どうせ、無教養なクライトン一家には意味など分からないのだが、立ち往生していると、ホリディが静かに忘れた役者の続きのセリフを暗誦し始める。じつにかっこいい。
 ホリディが暗誦したのは、どこであろうか。新潮文庫『ハムレット』(福田恆存つねあり訳)を探して見つける。映画とは訳が違うが引用しておこう。
「ただ死後に一抹いちまつの不安が残ればこそ。旅だちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然、見たこともない他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世のわずらいに、こづかれていたほうがまだましという気にもなろう。こうして反省というやつが、いつも人を臆病おくびょうにしてしまう」
 ふだんシェイクスピアなど読みませんが、いや、こうして書き写してみるとじつにいい。末期の肺結核に罹り、死の脅えから逃げるために酒に溺れているドク・ホリディの心情とハムレットがここで重なることが分かる。


司馬遼太郎「スクリーン」
 前々から感じていた謎を、司馬遼太郎が『風塵抄』の中で解いている。現在、中公文庫に収録。司馬は人の話を聞く時、頭の中にスクリーンを持て、と言う。何のことか。
「相手が物をいう。ことばが連続して出てくる。その一語一語に頭の中のスクリーンが鮮烈に画像を映しつづけてゆかねば、語り手にとって、きき手は地蔵さんにすぎず、そういうきき手になりはてては、人生は痩せたものになってしまう」
 これで、分かる人には分かるだろう。本当によくいるのだ。人が喋ることを聞いていて、「うんうん、そうだね」と口が裂けてもいわず、「というか……」と継いで以下、滔々とうとうと意見を述べる。それが、こっちの喋った内容と違う話になってしまっている。
 司馬は転職を相談に来た男に、ひどい目に遭わされた。2時間喋ってみたが、相手はうっすら笑って「『つまり、こういうことですか』/と、私の主旨とはまったく逆のことを問いかえした」という。バカ、なのか。いや、けっこう高学歴の人にこういうケースが多い。自説に凝り固まって、相手の喋ることをあらかじめ防御し、途中、単語だけ拾って自分に引きつけて組み立て、勝手に喋りたいだけ喋る。まるで会話が成立していない。いや、本当にこういうこと、よくあるんです。ありませんか? 会話から得るものはゼロで、ああこの時間、人生をムダにしたなあと残念になる。しかも、相手は自分のまちがいにまったく気づいていない。一生、気づくことなく「痩せた」人生を送る。こうなると、いくら財産や地位があっても役には立たない。
 なぜだろう、と思っていたが、司馬の「スクリーン説」で解決した。言葉の連続を絵のように理解、吸収できる人は会話上手なのである。相手の喋ることを頭にイメージする。これは訓練で上達する。司馬は桂米朝の落語を聴くことを奨める。落語は受け手のイメージで成立する芸だ。しかも会話の妙だけで成り立っている。だから、これも賛成。

冬の東京を歩く
 晴れた冬の一日、夕方から都心に用事ができた。いい機会だと思って、締め切りの迫る原稿の取材のため、少し早出をして東京を歩く。「本の雑誌」という雑誌で、「憧れの住む東京へ」という連載が昨年(2019年)から始まった。これは私がライフワークとする「上京する者たちで作られた東京と文学」というテーマ(第1弾は『上京する文學』として書籍化され現在ちくま文庫入り、第2弾が『ここが私の東京』扶桑社)の第3弾にあたる。「赤瀬川あかせがわ原平げんぺい」を6回やって、次はうちとおる(1913~87)と決めていた。
 洲之内は画廊主にして、長年「芸術新潮」誌上で「気まぐれ美術館」シリーズを連載し、好評を得た美術エッセイスト。くわしくは「本の雑誌」で書くので、ここでは多くを語らない。要するに、洲之内が暮らした東京を辿たどろうという試みだが、最後に住んだのが隅田川べり、日本橋蠣殻町かきがらちょうのマンションだった。そして、その周辺をよくうろついていた。
 今回、晩年を暮らした町を歩こうと思ったのだ。地下鉄「水天宮前駅」から出発。驚いたのは駅に直結して、成田空港、羽田空港行きリムジンバスの発着施設「東京シティエアターミナル」があること。知らなかったから同駅利用は初めてなんだろう。地上に上がり、隅田川沿いに作られた遊歩道を北上していく。洲之内がよく渡った清洲橋きよすばし、新大橋を見て浜町公園で休憩。清洲橋通りの可愛らしい小さな教会「日本橋教会」をカメラに収め(なぜかは「本の雑誌」で明かす)、明治座角から甘酒横丁へ入っていく。この時期になっても、銀杏の黄色い葉が陽を受けキラキラと輝いていた。「明治座」へは、かつてマガジンハウスの取材で、山田五十鈴の公演を見に行き、楽屋を訪ねたことがある。この稀代の大女優に会えたことは、私のライター生活における小さな誇りである。甘酒横丁では「凡味ぼんみ」というゴマ豆腐が名物の和食店をチェック。洲之内が経営する画廊に白洲正子しらすまさこから電話があり、この店へ訪ねて行く。いまだ健在。

 次の約束が迫り、後半は駆け足になったが、この近辺を歩くのは初めてだから見るものすべてが珍しく面白く、高揚する1時間で少し汗をかいた。やはり町歩きは目的があってもなくっても楽しい。もっとどしどし歩こうと思う。都営浅草線「人形町駅」から目的の「東銀座駅」へ。途中「日本橋駅」、「室町駅」と昭和通りの江戸の名残りがかすかに残る町の地下を地下鉄が滑っていく。

「グールド」で「ゴールド」な一日
 図書館の廃棄本コーナーは、ほとんど見るべきものはないが、ときたま「当たり」があって喜んでもらって帰る。先日、ジョック・キャロル写真・文『グレン・グールド 光のアリア』(筑摩書房)を見つけて、ホクホクとカバンに入れて一日持ち歩いた。そのとき、4、5冊並行して読んでいたうちにあったのがトマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)で映画化もされた。食人鬼の天才レクター博士が愛聴するのが、グレン・グールド演奏によるバッハ「ゴールドベルク変奏曲」と、ここでつながった。この日、埼玉県入間いるま市の元米軍ハウス「ジョンソンタウン」内に新しくオープンした「逍遥館」という古本屋を訪ねるつもりでいて、冬の西武線に乗車。入間駅から、かなり歩いて現地に到着し「逍遥館」へ行くと、入口脇の均一棚に1枚300円でCDが並んでいる。まさかなあ、と目で追うと、ちゃんとグールドの『ゴールドベルク変奏曲 1955』があるではないか。もちろん買う。先の写真集は、1956年にグールドがバハマの首都ナッソーで休暇を過ごしたのに同行したカメラマンが撮影したものだった。買ったCDはその前年の録音。グールドのデビューレコードのCD化でモノラルで録音された。「グールド」で「ゴールド」な一日であった。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。