【第10回】砂浜は、裸足で歩きたい

 執筆の息抜きに、海へドライブ。
 そこは人でごった返すことのない、広くて、美しい砂浜です。
 場所は──、うーん、やっぱり内緒だな(笑)
 3時間近く車を飛ばし、松の防風林のそばに停車。ぼくは静かな林のなかをサンダル履きで歩き出しました。さくさくと松葉を踏みしめる音を聞いていると、ふいに目の前の風景が開けます。
 海。
 初冬の陽光をひらひらと弾く海原。
 高い、高い、青空。
 両手を天に突き上げたぼくは、「んー」と思い切り伸びをしました。
 サンダルを脱いで、ビーチをのんびりと散歩。
 多少寒くても、やっぱり砂の上を歩くときは裸足がいちばんです。
 この白いビーチは、遠くが霞むほどのびのびと広がっています。こういう風景のなかに身を置くと、自分の心が広がっていくような感覚を味わえるのがいいんですよね。
 歩きながら、心地いい波音に耳を澄ましてみると、足元に寄せた海水が白砂に染み込んでいく「シュワァ〜」という音が聞こえてきます。どこか炭酸水の弾ける音に似ています。
 釣りをしている同世代の人がいたので、声をかけてクーラーボックスを覗かせてもらいました。
「おっ、いいサイズのヒラメですね。70センチ近いかな」
「まあ、うん、悪くないよね」
 釣り人は鼻の穴をふくらませながら、にやり。
 分かるよ、その気持ち。
 ぼくはかつて、日本の海岸線をぐるりと一周して紀行エッセイを連載する、という壮大な仕事をしていました。連載タイトルは「渚の旅人」。単行本にもなりました。
 7年がかりのその旅の途中、海辺で出会った釣り師が爆釣していると、ぼくはすかさずその人から竿を奪い取り、心ゆくまで魚を釣らせてもらい、そして、満足したら竿を返す、というのをよくやっていました。魚が釣れているときの釣り人は世界でいちばん心優しい生き物なので、何をしても叱られないのです。
 白砂の上を遠くまで歩いたぼくは、適当なところでUターン。
 そして、さっき声をかけた釣り人に、ふたたび声をかけました。
「その後、釣れました?」
 釣り人は、ぼくの顔を見もせず、無言で首を横に振りました。
 魚が釣れないときの釣り人は、世界でいちばん心の狭い生き物になるのです。
 ぼくも釣り師なので、よくわかります。
 さて、小一時間の砂浜散歩で、頭も心も身体もスッキリ浄化したぼくは、そのまま海辺の喫茶店に入りました。この店は、文豪「アーネスト・ヘミングウェイ」の世界観を再現させた、とても雰囲気のいい喫茶店です。

お気に入りの喫茶店の窓に夕日が差し込みました。

 いつもの美味しいコーヒーを頂きながら、知的でダンディーなマスターとの雑談がまた愉しい。
 足の裏に残る、ひんやりとした砂の感触。
 胸のなかを吹き渡る海風の匂い。
 充実した散歩の余韻があるときは、なんとなく、いい原稿が書けそうな気がします。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「エミリの小さな包丁」「かたつむりがやってくる」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。