【第20回】


「赤旗」には書けなかったこと
 この原稿を書いてから、春陽堂書店のHPにアップされるまで1か月近くのタイムラグがある。日付として間延びする感は否めない。これは1月上旬の話。根岸にある「子規庵」へ行ってきた。共産党機関紙「赤旗」に連載中の「文学館へ行こう」の締め切りが迫ってきたのである。

 そこでは字数の関係で書ききれなかったことを、ここで付け加えておく。JR山手線「鶯谷うぐいすだに」が「子規庵」の最寄り駅。子規庵へ行く道中は、ラブホテルだらけ。こんなにたくさんあったのか。前にここで降りたのは、駅前の大衆食堂で居酒屋としても愛用されている「信濃路」へ行くためだった。瀬尾せお幸子ゆきこ・遠藤哲夫『みんなの大衆めし』(小学館)という本が2010年に出て、その著者インタビューの取材場所として「信濃路」をお二人に指定されたのだ。気取った場所ではなく、きわめて大衆的な店を選ぶところが「大衆めし」の著者らしい。これは楽しい取材でした。それで仲良くなって、お二人とは別々の場所で何度かお会いしている。
 あと、鶯谷で言えば、編集者でライターの安原けんに取材したのもこの駅近くのファミレスだった。線路に架かる橋を渡った記憶がある。「寛永寺橋」だったろうか。派手な物言いで好き嫌いの分かれる人(嫌う人は全面否定)だったが、本の話をしている時はニコニコうれしそう。学生時代の思い出も話してくれた。私にとっては、いい印象の人。何を認め、何を許さないかで、人の評価は変わる。今調べたら2003年に63歳で亡くなっている。私は今年63。考えてしまいますね。

「酉の市」の熱狂
 関西人の私が東京へ来て、分からないことはたくさんあるが、その一つが「とりの市」の熱狂であった。そもそも「酉の市」という祭り(習俗?)そのものに、反応したことがなかったのである。青柳あおやぎいづみこさんを中心に、川本三郎さんを顧問とするライター、編集者、作家や評論家などが集まる「新阿佐ヶ谷会」が年に数度開かれる。食べて、飲んで、喋るだけの会だが、ときに会場を借りて、青柳さんのピアノ演奏というぜいたくな回もある。その末席に私もいて、他に常連メンバーとして装丁家の間村まむら俊一さんもいる。二人とも、この集まりへの出席を欠かしたことはないはずだが、昨年の11月あたりに開かれた会を間村さんが欠席した。仲のいい新潮社の八尾さんに聞くと、「間村は、酉の市へ行ってるんです」というではないか。「え! 酉の市。なにそれ?」と応えてしまった。いや「酉の市」の存在は知っているが、楽しみにしているはずの集まりを欠席するというのはただごとではない(と、私には思える)。
 そこから興味が湧いて、少しだけ調べてみたのである。といってもウィキペディアを見ただけ。例年11月の酉の日に開かれる行事だ。
「酉の市は、おおとり神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭りである。多くの露店で、威勢よく手締めして『縁起熊手』を売る祭の賑わいは、年末の風物詩である。」
 家が近く、親しくしている画家の牧野まきの伊三夫いさおさんの家で年末に宴会があった時、やはり熊手が飾ってあった。さっそく話題にすると、「おかざきさんも行って、熊手買ったほうがいいですよ。〇〇さんなんか、酉の市で大きな熊手を買ってから運が向いて、売れっ子になったんですから」と言うではないか。ちょっと心が動きました。でも行くかなあ。行かないだろうなあ。
 そういえば、ドラマ「寺内貫太郎一家」の茶の間のシーンで、例によって貫太郎が暴れだし、後ろのタンスから飾りつきの大きな熊手が落ちてきたことがあった。関西在住時代、私にはそれが何なのか分からなかったのである。あれが“酉の市の熊手”だったんだ。そうか、そうか。1935年の作で、武田麟太郎の短編に「一の酉」がある。酉の市が開かれる浅草・鷲神社近くの料理店で働く女性の話。会話体を地の文に流し込んだコロキュアルな文体で、同じ大阪出身の織田作之助と通じるところがある。新潮文庫「日本文学100年の名作 第3巻」『三月の第四日曜』に収録したのを読んだ。細かいことは忘れてしまったが、ライスカレーやトンカツ、ドーナツ(「ドオナツ」と表記)が出てくるので腹が減る小説であります。

70の峠を越えられない
 小林信彦『コラムは誘う』(新潮文庫)は「中日新聞」に長期連載されたエンタテインメント時評の1995~98年掲載分を書籍化(を文庫に)。ね、くわしく書くと面倒になるでしょう。本当はもっとすっきり書きたいが仕方ないか。これを読み返していたら、次々出てくるコメディアンや映画スターなどが、訃報を含め亡くなった話だからそうなるが、ことごとく50~60代で死去していることに驚く。横山やすし51歳、藤山寛美60歳、ハナ肇63歳、勝新太郎65歳、萬屋錦之介64歳、フランキー堺67歳、渥美清68歳といった具合。この連載時にはまだ生きていたが、何度も触れられる古今亭志ん朝も63歳で亡くなっている。
 60を迎えたあたりから、身近に「死」を意識するようになり、誰が何歳で死んだかを意識してチェックすることが増えた。そうすると、どうも70歳というのは一つの関門で、ここをくぐり抜けるには何かが必要らしい。長い坂道の峠と言ってもいい。それを越えられる「何か」を知りたいともあんまり思わない。先に挙げた人たちは、それぞれの分野で十分大きな花火を打ち上げた人たちで名は残る。人生は長さだけじゃない。

武満徹「ファミリートゥリー 系図」
 武満たけみつとおる「ファミリートゥリー 系図」という曲が、シャルル・デュトワ指揮のN響演奏によりかつてテレビ放送され、ユーチューブにアップされている。これを年に一度くらいか、聞く。谷川俊太郎の詩(詩集『はだか』による)を、遠野とおの凪子なぎこが暗誦して読む。遠野はこの時10代。その後、女優の道を進んだようだが印象的な役はなく、この時のパフォーマンスが圧倒的だ。
 何しろ、20数分ある演奏に合わせて読む詩を、すべて暗記しているのだ。通常、こういう場合、手に台本のようなものを持って読む。それでも一向にかまわないのだが、この「ファミリートゥリー」では、真っすぐ前を見据えて(つまり視線を落とさず)、訴えかけるように語る姿が天から降りてきた何者かのようなのだ。まさに一本の屹立した樹のようだ。
「おとうさん おとうさん ずっと 生きてて」(原詩とは違うかもしれない。遠野の声を起こしました)
 白いシャツ、黒い髪、きりっとした眼でそう言われると、ドキッとする。手に持った台本を読むのではこうはいかないだろう。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。