アウトロー俳人・北大路翼さんが、『半自伝的エッセイ 廃人』刊行にあたり、いま気になる人物と語りあう対談シリーズ『人生すべてが俳句の種。』。
2月8日に青山ブックセンター本店で行われた歌人・ささ公人きみひとさんとの対談イベント「俳句と短歌の可能性 -歌舞伎町念力-」。前編では、前世や数字の魔力、そして熱海や伊東にあるスナックの魅力について話が弾みました。後編は、ようやく(?)北大路さんの文体や俳句と短歌の話題へと移ります。



松本隆さんが、ぽそっと言った「いい句だね」
笹公人(以下、笹) 僕は、あまりテレビを見ないのに、たまにつけると翼さんが映ってることが多いからか、しょっちゅうテレビに出てる気がします。共演者が誰であろうが、いつも緊張のかけらもないですよね。
北大路翼(以下、北大路) 緊張はしないですね。テレビをほとんど見ないから、そもそも芸能人をあまり知らないというのもありますけど、人前に出てもなんとも思わない。とくに学生のころにサッカーのサポーターを始めてからは、人前に立つのが平気になりました。
サッカーの試合では、“コール出し”なんかもしてたんですよ。僕が「ニッポン!」と言うと、うしろにいるものすごい数の人が一斉に「ニッポン!」って言う。旧国立競技場は満員だと5万4000人入るから、その半分、少なくとも2万人くらいが連呼する。めちゃくちゃ気持ちいいですよ。
 それは気持ちいいだろうな。俵万智さんも紅白歌合戦の審査員をしたときでさえ、緊張しなかったって言ってましたけど、この世にはまったく緊張しない人っているんですね。僕もめったに緊張しないほうだけど、大林宣彦監督の映画『その日のまえに』に出たときはものすごく緊張しました。何十人という共演者やスタッフがいるなかで、僕がNG出すとみんなを待たせることになる。焦れば焦るほどセリフが出てこないという……。今日たまたま客席に、そのときの共演者(大谷燿司さん)がいて、びっくりしています。

北大路 そのプレッシャーはすごい。
 あれはいい体験でした。そういえば、前にNHKの番組で、作詞家の松本隆さんが翼さんのサロン「砂の城」に行ってましたね。
北大路 松本さんが若い頃は、地方から出てきた若いミュージシャンなんかが集まる場所が、新宿にはいくつもあったらしい。でも、いまはそういうのがないから、うちに来たんです。
そもそも、あそこはアーティストの会田誠さんがはじめた「芸術公民館」というサロンでした。会田さんが中国に行ったときに、若手アーティストが飲み屋なんかで芸術について激しく議論しているのを見て、「このままじゃ日本のアートは負ける」と危機感を抱いたそうです。最近の日本のアーティストは、技術はあるけど、みんなそれぞれ自分の部屋に閉じこもってやっている。それじゃダメだということで、いろんなジャンルの若手アーティストが集まって議論できるサロンをつくってくれた。
そこに僕が毎日のように入り浸っていたら、「君がやったら」ということになって、「砂の城」に改名して、僕が城主となったわけです。
 そこに松本隆さんがやってきたんですね。
北大路 そう。そのとき、屍派の句会で、題を松本さんに出してもらったんですけど、どんな題だと思います?
 「風をあつめて」「風街ろまん」だから、やっぱり……。
北大路 そう、「風」です(笑)。風をあつめてる人の前で、風の俳句をぶつけるってやりづらいでしょ(笑)。でも、うちの五十嵐筝曲そうきょくがいい句を出したんですよ。「ぶらんこはほとんど風でできている」。松本さんも「いい句だね」ってぽそっと言ってました。あれは、うれしかったなぁ。

 「ぶらんこはほとんど風でできている」、いいですね。俳句ではないけれど、翼さんの『半自伝的エッセイ 廃人』(以下、『廃人』)の文体は、すごくいいですね。最後にちょっと自虐が入るところもいいリズムを生んでいて、どんどん読みたくなる文です。この文体はいつどうやって身につけたんですか?
北大路 たぶん、俳句のリズムなんだと思います。俳句の短いリズムで畳みかける感じなので。
 落語家には文章に味があってうまい人がいるけれど、そういう感じ。
北大路 どうですかね。文体を意識することはそんなにないけど、この本を書いているときに、一人称がいかに大事かということは考えさせられました。基本的に一人称は〈僕〉ですが、前に出した『生き抜くための俳句塾』(左右社)は、一人称を〈俺〉にしてほしいと言われたから、オラオラ口調で書いたんです。その次が『廃人』だったから、いまいち〈僕〉に戻り切れてなくて、おかしなテンションになっているところがある気がする。
 一人称は大事ですよ。僕も、基本は〈僕〉だけど、たまに評論で〈私〉と書くこともあるからか、以前、一人称を全部〈私〉に一斉変換されたことがあって、違和感のある文になってしまったことを思い出しました。〈僕〉〈私〉〈俺〉〈おいら〉……、それぞれに合う文体ってありますからね。

【自選解説】北大路翼の俳句は、自由律じゃない!
北大路 さて、そろそろ俳句の話をしましょうか(笑)。今日は、『廃人』に掲載されている俳句から選んで、「自解10句」を書いてきました。それに補足する形で、お話しします。
※当日、参加者には「自解10句」のプリントを配布。ここでは4句だけご紹介します。( )内は『廃人』掲載ページ。
神になる一歩手前のエスカルゴ(P73)
「エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く 金原まさ子」が元ネタ。神様のことを考へてゐたらふと金原さんのことを思ひ出した。生きてゐたらもうすぐ110歳か。200歳までは生きてくれると思うてゐたのに、人の命は儚いものだ。
2017年に106歳で亡くなった俳人の金原まさ子さんは、僕の最高齢の恋人でした。BL(ボーイズラブ)とか耽美とかが好きな人で、バレンタインにワインをいただいこともありましたね。亡くなったときにご家族から電話があり、最後のお別れをしに行きました。亡くなる直前になぜか「頭脳明晰!」、そう言って息を引き取ったそうです。これは、神様のことを考えていたら、ふと金原さんのことを思い出して作った句です。


歳末の油の光つてゐる下水(P132)
飲食店の前の側溝はたいてい汚れてゐる。とくに中華料理屋の前は油でぬるぬるしてゐる。油紋のテカテカは成し遂げられなかつた欲望のやうで同情する。僕のお腹の中も、悲しみの油でテカテカしてんだらうな。
この句はまさに新宿、歌舞伎町という感じ。「汚いもの」はきれいに、「弱いもの」は強く。わざと逆の表現を使うのは、俳句のテクニックのひとつなので、ぜひ覚えておいてください。


花吹雪いけない心頂戴す(P113)
花は桜、桜は桜衣ココミ。ファントミラージュそのまんまの句である。読者に伝はらなくても作者はファンファンしながらこの句を作りました。ちなみにOPのセリフが「イケない心チョーダイします」から「あなたの心、チョーダイします」に変はつた。
テレビ東京で毎週日曜9時から放映されているガールズ戦士シリーズ「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」。女の子たちが人間にあらざる力、念力とかを使って「こんなことしちゃダメだよ」と改心させて仲良くなって終わるという話で、僕のお気に入りはココミちゃん。毎回感動して泣いちゃうくらい好き。僕の知り合いのヤンキーも、感動しながら見ているらしい。不良性と少女のヒロイン性が持つ圧倒的な力には近いものがあるんじゃないか、というのが僕の持論です。


風鈴の風待つやうな技術かな(P57)
俳句とはこのやうな心境であるべきだと思ふ。この句だけはエッセイとセットで味はつて欲しい。
俳句をはじめたきっかけが種田山頭火で、テレビや雑誌で「ウォシュレットの設定変へた奴殺す」ばかり紹介されるから、僕のことを自由律の俳人だと思っている人が結構いるけど、僕は俳句に関しては有季定型の伝統派で、加藤楸邨しゅうそんの系統です。俳句は技術が8割だと思っていること。そして、こういう静かな句にこそ、本当の俳句のよさが現れると思っていることをあらためて言いたくて、取り上げました。

地味な俳句、短歌の世界を華やかに
 次は、どんな本を出す予定ですか?
北大路 いま、加藤楸邨の鑑賞本を書いているので、5月か6月にはできるかな。あとは新しい句集も出そうと思っています。3冊目の句集となるので、気合い入ってます。
 楽しみですね。ところで、小説は書かないんですか?

北大路 書きたいですね。同い年で親しくさせていただいている哲学者の千葉雅也さんが、初めて書いた小説『デッドライン』(新潮社)で、第41回野間文芸新人賞を受賞したんです。そのパーティに呼んでもらってこの間行ってきたんですけど、同じ文学でも、小説の世界は華やかですね。
 俳句や短歌は地味だから……。もっと華やかにならないと、若い人は憧れない。憧れがない世界は衰退しちゃいますからね。
北大路 そう、それが僕の大きなテーマで、アウトローぶってテレビに出たり、こういうトークショーをしたりするのも発信しなくちゃという使命感に似た思いがあるからです。
 そのわりに、今日は、あまり俳句や短歌の話ができませんでしたね(笑)。

北大路 俳句や短歌をやっている人間も、特別なことじゃなくて、ふつうのことを考えてるということはわかってもらえたんじゃないかと。

 僕らがふつう・・・かどうかは、わからないけど……。
北大路 ま、俳人と歌人の思考の一端を見てもらえたということで。今日は長い時間ありがとうございました。

「俳人と歌人の違い」とは
対談イベントが終わったあと、二次会の話で盛り上がっている北大路さんと笹さんに、最後にひとつだけ、「俳人と歌人の違い」についてお聞きしました。

 今日みたいに歌会や句会が終わったあとは、「飲みに行こう!」となることが多いんですが、歌人は「お金がないから行けません」って誰かが言うと、「みんなが払うから、君も来なよ」とかなんとか言って引きとめる。対して俳人は「あ、お金ないの、じゃあまたね」と、あっさりしてる(笑)。
北大路 歌人はどちらかというと、内向的な人が多いかな。
 そういうところはありますね。歌では威勢のいい“歌弁慶”でも、実際に会うと目も合わせてくれないシャイな人もいますし。もちろん、すべての人がそうではないけど、俳人のほうが社会性がある印象かな。
北大路 あと、俳人はいっぱい作って、ぼんぼん捨てる。僕の場合、100句作ったら残すのは1句という感じ。でも、短歌の人は作った歌をなかなか捨てないんじゃないかな。
 たしかに。僕は過去の歌は削ったり再構成して出しますが、歌人には以前に発表した歌を編年体でそのまま載せたりする人が多い。もったいない精神が強いんでしょうね。部屋が本に埋もれて、断捨離できない人が多いのは、そのせいかもしれない。
北大路 ハハハ。知らない人から見れば同じように見えるかもしれないけど、俳句と短歌では、短距離走と長距離走のように使う筋肉が違います。一度、俳句をはじめちゃうと、短歌はできなくなるくらい。
 だから、両方やっている人は少ないです。風景に託して想いを伝えられる人は俳句、それでは気持ちがおさまらない人は短歌、かな。細かいものに目がいく人や、ちょっと後ろ向きな人も短歌に向いていると思います。たとえば、花を見てかわいいなとか、美しいなというのは俳句にも短歌にもなりますが、より想いが強いのが短歌なんだと思います。そういう意味では執着心が強いのかも。端的に言えば、ジメジメしてるのが短歌で、カラッとしてるのが俳句。でも、僕の短歌はそんなに想いは強くないし、カラッとしてるので、わりと俳句っぽい。
 「シャンプーの髪をアトムにする弟 十万馬力で宿題は明日」……笹公人『念力家族』
北大路 たしかに笹さんの歌は俳句に近いかも。逆に僕の句は、短歌に近いかもしれない。俳句は一瞬という時間の切り取り方をすることが多いけど、僕は前後の流れとか、わりと時間の含みを持たせるから。
 翼さんの俳句は想いが全面に出てるから、“叙景”より“抒情”のほうが強いかもしれませんね。
……話の尽きない俳人と歌人は、このあと夜の街へと繰り出していきました。
『半自伝的俳句エッセイ 廃人』
(春陽堂書店)北大路翼・著

“人生すべてが俳句の種”と語るアウトロー俳人・北大路翼初のエッセイ集。書き下ろし俳句も多数掲載したエッセイ48篇、2万句を超える過去作品からの肉筆自選23句、俳句をつくる実践的なテクニックを指南する俳句塾など、北大路翼が俳句をとことん遊びきった渾身の一冊。
●笹 公人(ささ・きみひと) 歌人
1975年7月8日、東京都生まれ。「未来」選者、現代歌人協会理事。「牧水・短歌甲子園」審査員。大正大学客員准教授。17歳の頃、寺山修司の短歌を読んだことがきっかけで作歌を始める。1999年、未来短歌界に入会。岡井隆氏に師事。2003年、第一歌集『念力家族』(NHK Eテレにて連続ドラマ化)を刊行。歌集『念力図鑑』『抒情の奇妙な冒険』『念力ろまん』、作品集『念力姫』エッセイ集『ハナモゲラ和歌の誘惑』、絵本『ヘンなあさ』(絵・本秀康)、和田誠氏との共著『連句遊戯』、朱川湊人氏との共著『遊星ハグルマ装置』など著書多数。
http://www.uchu-young.net/sasa/
●北大路 翼 (きたおおじ・つばさ)  俳人
1978年5月14日、神奈川県横浜市生まれ。新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」家元、「街」同人、「砂の城」城主。小学五年生で種田山頭火を知り、句作を開始。2011年、作家・石丸元章氏と出会い、「屍派」を結成。2012年、芸術公民館を現代美術家・会田誠氏から引き継ぎ、「砂の城」と改称。句集に『天使の涎』(第7回田中裕明賞受賞)、『時の瘡蓋』、編著に『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」アウトロー俳句』『生き抜くための俳句塾』など。

写真 / 小暮哲也
構成・文 / 山本千尋