第2回 南園竹翠『三ツ巴恋廼白雪』 現在ではつかわれない「変体仮名」

清泉女子大学教授 今野真二
『春陽堂書店発行図書総目録』(以下、「総目録」と略称することがある)の「明治の部」は明治12(1879)年から始まる。明治12年に2点、明治13年、14年に8点ずつ、そして明治15年には25点があげられている。今回は、その明治15年に春陽堂で初の文学作品として出版された、南園なんえん竹翠ちくすい『三ツ巴恋の白雪』の「第二編」を紹介したい。
「総目録」には「判型」の欄が設けられているが、この本の当該欄は空欄になっている。この本は縦12.8㎝、横9.1㎝で、現在の文庫本(A6判・14.8㎝×10.5㎝)よりさらに小さい。
【図1】でわかるように、表紙のデザインは、壺のような形状の花器に花が生けられていて、その真ん中に書名が記されているようなかたちになっている。この花器と花の意匠は、明末清初頃につくられた中国の青花やそれを模した日本の磁器などによくある意匠だ。右下にはアサガオらしい植物がみえているし、上部右はユリだろうか。そういうところをみるのも楽しい。
 左側下方には「定価拾三銭」とある。「第貳編」の「貳」もそうであるが、こういうところでは「大字だいじ」(漢数字の一、二などにかわって使う壱、弐などの字のこと)を使うということもわかる。「総目録」は『三ツ巴恋の白雪』に「上巻・中巻・下巻」があることを記している。この本に「第貳編」とあることからすれば、あるいは第一編・第二編・第三編かもしれない。

【図1】

 実はタイトルをどう表示しようか少し迷った。タイトルは【図1】にあるように記されている。「ツ」を片仮名とみてよいかどうか、それにも迷うが、これはひとまず片仮名とみておくことにする。やや右寄せで書かれているところをどうみるかだが、右寄せと積極的にみるのであれば、「添えて書いた」という感じだろう。少し小ぶりに書かれている。
「廼」も迷う。これは漢字として書かれているのか仮名のつもりで書かれているのか。「本文」冒頭には「三ツ巴恋の白雪」と印刷されているので、「廼」は漢字として書かれているのではないのだろう。
「三ツ巴恋の白雪」というかたちを認め、「ツ」を片仮名と認めると、「三ツ巴恋の白雪」というタイトルの表記には漢字、片仮名、平仮名が混じっていることになる。それを認めていいかどうか、こういうことで迷う。そんなことで迷っているうちに、はや原稿の字数の半分ちかくになってしまった。
【図2】はこの本の刊記であるが、「明十治五年四月十八日出版御届」とある。明治期の出版物には誤植が多いが、刊記の誤植は珍しい。貴重な例だ(これは真面目な話)。「編集兼出版人」として「島根県平民/岡野三郎」とある。

【図2】

【図3】は百十~百十一ページであるが、百十一ページに丸括弧の中に「と少し考へ」「と煙管の吸口にて小今の横顔をちよつとつく」とある。これはト書き的なものだろうから、この時期には、こうした形式が読み物の中でも「生きていた」ことがわかる。演劇と文学とが隣り合わせといったらよいだろうか。百十ページを翻字してみよう。

【図3】

1 の装束さへそこそこに彼の拍屋へ到りしが小今は独り奥の
2 間にて平常つねに変りし茶碗酒挨拶さへも碌々に差俯向さしうつむいて居る
3 体の物思はしげなる面色おももち此方こなたは更に合点ゆかず不信なが
4 らに立寄て「おや今日は手前大分早かつたじやねへか自己おいら
5 は又晩程といふこつたからまだちつと早へかとは思つたが
6 ままよ早かつたら待つ分のことと思つて店を仕舞つて直ぐ
7 出て来たんだが却て手前に待して済なかつたつけそれとも
8 此方に座敷でもあつたのかと言へと小今は回答いらへせず差俯向
9 て居るゆゑにおい手前何様どうかしたのか心持でも悪いのかこ
 まずこの範囲でも2「間にて」の「に」、4「おや」の「お」、8「あつたのか」の「あ」にいわゆる「変体仮名」が使われている。明治33(1900)年に小学校で教育する仮名の字体をひとつに絞った。そこで絞られた仮名を現在も使っているが、そうでない仮名字体を「変体仮名」と呼ぶ。だからこの本が出版された明治15年に関して「変体仮名」という呼び方をするのはおかしいのだが、現在の一般称として使うことにする。明治33年に絞られたのだから、それ以前にはもっと「変体仮名」が使われていてもよさそうであるが、上の程度ということになる。とすると、やはり実状としても仮名の字体は収斂しゅうれん傾向にあったということだろう。 
 上では句読点が使われていない。会話にはかぎ括弧が使われているが、4の「おや」で始まる会話の終わりには「受け」の鉤括弧がなく、次の会話「あれさ」につながっていく。この会話の終わりにも「受け」の鉤括弧がない。このようなこともひろい意味合いでは当時の「日本語」を観察する醍醐味といえる。ちなみに1「拍屋」には「かしはや」と振仮名が施されているので、「拍」は「柏」の誤植であることがわかる。字の構成要素が似ているためにひきおこされた誤植であろう。こういう例に遭遇することも楽しみたい。振仮名「かしはや」の「は」も「変体仮名」。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)
春陽堂書店が1879年~1988年に発行した図書の総目録。書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。

乱歩の日本語(春陽堂書店)今野真二・著
乱歩の操ることば──その“みなもと”と、イメージとの“結びつき”を探る書。
明治27 年に生まれ昭和 40 年に没した江戸川乱歩は、明治~大正~昭和期の日本語を操っていたことになる。テキストとそこに書かれた日本語を分析することで、推理小説作家乱歩のあまり知られていない側面を描き出す 。
「新青年」「キング」などで連載した初出の誌面も多数掲載した、これまでにない乱歩言語論。
この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。