第3回 “道子様ヨリ頂戴”した、ゲーテ『[禽獣/世界]狐乃裁判』

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は『[禽獣きんじゅう/世界]狐の裁判』を紹介しよう。筆者はこの本を2冊所持しているが、いずれも背表紙には「狐乃裁判」とある。しかし、「本文」冒頭のいわゆる「内題」の位置には「[禽獣/世界]狐の裁判」([ ]内は細字で印刷されている。/は改行位置を示す)と印刷されているので、背表紙の「乃」は漢字ではなくて、仮名という認識なのだろう。
 その内題に続いて、「独逸 ゲーテ氏原著」とあり、「日本」「井上勤訳述」「渡辺義方校正」と記されていることによって、ゲーテの叙事詩Reineke Fuchs(ライネケ狐・狐のライネケ)をもとにした「訳述」であることがわかる。
 井上勤は大蔵省や文部省に勤めながら、ジュール・ヴェルヌの「月世界一周」やデフォーの「ロビンソン漂流記」などを翻訳し、明治初期の西洋文学の紹介に貢献した人物である。
【図1】に刊記を示したが、所持している2冊とも同じで、「明治十七年三月十八日版権免許/同十九年二月十八日版権買受/同十九年四月二十日出版発売」と記されている。このことからすれば、明治19(1886)年4月20日に出版されたとみればいいだろう。最終ページは382ページとなっている。

【図1】

 さて、筆者所持のうちの1冊は表紙裏に「第六八七号/伊達菊重郎蔵書」という蔵書票が貼られている。「菊重郎」は、仙台伊達家31代当主となった伊達邦宗くにむね(1870~1923)の幼名である。ケンブリッジ大学に留学して経済学を学んだ人物だ。
 裏表紙の見返しには大きく「道子様ヨリ頂戴」と墨書されていて、知る由もないストーリーを想像させる。もう1冊と比べると、装幀が異なっており、あるいは特装版であろうか。96ページ他数ページの余白には「伊達菊重郎図書之印」という細い縦長の朱印がおされていて、伊達邦宗の旧蔵書であることは確実である。
 本文は【図2】の左側ページのように、かなり精密な挿絵が挿入されている。

【図2】

 さて【図3】(百二十六ページ)の5行目から8行目を次に示してみよう。
5 しより干渉の政畧まつりごと弥々緊しく少し其意に戻るときは国の外に放逐せ
6 られ或は土地家財を没収され専制尤とも極まれり又鸛鳥は斯くなし
7 て多くの財を得たりといへど决して自己の用に供せず皆な貧民に施
8 し与へ或は寺院てらへ寄附なしてをさをさ徳望を買ひ求めぬ其の行政の

【図3】

 5行目の「戻るときは」の助詞「ワ」は図をみるとわかるように「ハ」という形の字で印刷されている。この「ハ」は現在片仮名の「ハ」として使っている。その現代日本語の感覚をもちこむと、「ハ」が片仮名にみえてしまう。いや、日本文学や日本語の研究者でもそう思っている人が相当に多い。しかし、おかしくはないだろうか。なんで助詞の「ワ」だけ片仮名で書くのか。結論からいえば、図にみえている「ハ」は平仮名として使われているとみるしかない。だから上の引用(翻字)では「は」とした。こういうことも、案外と知られていない。
 この連載では、漢字が並んでいるもの・・を漢字列と呼ぶことにしたい。「政畧」は漢字が2つ並んでいるので、漢字列と呼ぶことができる。さて漢字列「政畧」には「まつりごと」と振仮名が施されている。8行目では漢字列「寺院」に「てら」と振仮名が施されている。
 印刷された「本文」を読む側=「読み手」は「漢字をどう読めばいいかが振仮名によって示されている」と感じる。しかし、「書き手」の側からすれば、まず「政畧」「寺院」と漢字列を決めてから、さてこの漢字列をどう読ませようか、と考えるはずはない。「マツリゴト」という語、「テラ」という語を使うことが決まった後に、さてどのように書こう(文字化しよう)か、と考えるはずだ。だからここは、「書き手」の側から考えることにして、「マツリゴト」「テラ」という語を「政畧」「寺院」と書いたとみることにしたい。
「マツリゴト」を入力して変換キーをおすと「政」が出る。「テラ」を入力して変換キーをおすと「寺」が出る。現代では「政」や「寺」が一般的な書き方といってほぼよいだろう。それでは、まず明治19年の「一般的な書き方」はどうだったか。これがなかなか簡単にはわからない。しかし「マツリゴト」「テラ」を「政畧」「寺院」と書くのは「一般的な書き方」ではおそらくないだろう。
 仮にそうだとすると、このような、一般的ではない書き方を拾い出すことができるような本ということになる。『狐の裁判』がきわめて特殊ということではない。明治期には、というと話が一気に大きくなってしまうので、「このような本」では、といっておくことにしよう。「このような本」とは「明治20年頃までに出版されたボール表紙本」だ。「ボール表紙本」はボール紙を表紙にしている本の総称であるが、和本から本格的な洋装本が定着する移行期に多くつくられている。春陽堂はこの「ボール表紙本」をかなり出版している。ボール紙を表紙にしているからといって、あなどることなかれ。この時期の日本語の「あり方」を観察するための好資料である。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

乱歩の日本語(春陽堂書店)今野真二・著
乱歩の操ることば──その“みなもと”と、イメージとの“結びつき”を探る書。
明治27 年に生まれ昭和 40 年に没した江戸川乱歩は、明治~大正~昭和期の日本語を操っていたことになる。テキストとそこに書かれた日本語を分析することで、推理小説作家乱歩のあまり知られていない側面を描き出す 。
「新青年」「キング」などで連載した初出の誌面も多数掲載した、これまでにない乱歩言語論。
この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。