【第24回】


「ジョルジュサンク」で木下杢太郎とはっぴいえんどについて考えた
 心屈することがあると、家を飛び出し、自転車を走らせて隣の市・国分寺にある古書店「七七舎しちしちしゃ」までよく向かう。30分ぐらいの道程か。あまり車が通らない脇道を選んで、編み出したコースをたどることになる。車の通行の多い幹線道路は避けたいわけだ。1本裏筋の旧街道のような道。この道中もいい。2月下旬、体を包む空気はすでに春の匂いだ。毎年迎えているのに、毎年忘れて、初めてのように春の暖かさを感じ、少し心がほころぶ。春に向かう感じは春そのものよりもいい。時々寒さがぶり返し、また暖かい日が続き、気がついたら春だ。
 1年をかけての蔵書大量処分中とあり、あまり本を買わないようにしているが、それでもこうして時々古書店を覗いて、何冊かは買う。主食の摂取は止めたが、スイーツは別腹で……という感じか。この日も「七七舎」とすぐ近く路地裏の「早春書店」の店頭均一で数冊を買う。たまには何を買ったかを書いておこうか。「七七舎」では、小川国夫『青銅時代』(新潮社)と河盛好蔵かわもりよしぞう編『木下きのした杢太郎もくたろう詩集』(岩波文庫)。「早春書店」では、文芸誌「新潮」2016年6月号(アレン・ギンズバーグ、五篇の詩 村上春樹・柴田元幸訳)と、薄い横長の図録『平成30年度 収蔵品展 建築からまちへ1945-1970 戦後の都市へのまなざし』(国立近現代建築資料館)の4冊。すべて1冊100円である。
 本を買うとコーヒーが飲みたくなって、いつもどこへ行こうかと迷う。名曲喫茶「でんえん」は静かで、雰囲気もばつぐんだがタバコが喫えない。私は外へ出ると、ときどきタバコが喫いたくなる。家では喫煙しないので、1箱買うと1か月くらい保つ。ところがご承知の通り、昨今、喫煙可の飲食店は激減している。どこかにないか。そこで、駅近くに1軒の喫茶店があることを思い出した。「ジョルジュサンク」である。
「30年以上続くカフェ『ジョルジュサンク』の扉を初めてくぐる人は、外の通りとはあまりに違う、クラシックレトロな空間に驚くに違いない。まず目に飛び込んでくるのはヨーロッパ式の柱から放射線状に伸びる特徴的な太い梁。暖かな間接照明が照らす店内には静かにクラシック音楽が流れ、ふわりと鼻をくすぐるコーヒーの香り。駅前の喧騒とは無縁のゆったりした時間が流れている」(国分寺エリアガイド
 ほんと、そんな店なのだ。いやあ、灯台下暗し。存在は知っているのに、いつもの私がうろつく動線からはずれていたため、入ったのはこの日が初めて。希望する条件にドンピシャの、じつにいい店である。壁際の2人席に腰を下ろし、一人で切り盛りしているらしいマスターにブレンド(500円)を注文する。しばらくまったりとして、買ったばかりの本をテーブルの上に積み重ねる。コーヒー(美味い!)が届いたところで、本を読み始めるのだ。そしてタバコに1本火をつける。これはもう半ば儀式化されている手順である。
 こうした古い喫茶店で、岩波文庫のページをめくるのは独特な感じがある。なんだろう、岩波文庫の持つ知的スタンダードの歴史が読む気持ちを引き締め、同時にどこかで開放するということか。木下杢太郎をちゃんと読むのはこれが初めて。「七七舎」の店頭で、あれこれ本に触っていてこれを手にし、「田圃道の放尿」という作品に目が留まった。正月三日、背広服の紳士が田圃道で放尿する。それだけだが、これはいい詩である。というわけで買ってみた。100円という価格は、どこか1か所引っかかりがあれば、それで買えてしまう。
 コーヒーを口にふくみながら、少しページをパラパラとめくっていると、次のフレーズが出てきた。
「向ひ通るは清十郎ぢやないか、/笠がよう似た、菅笠が——」
「お夏清十郎」という詩の冒頭。ここで、あれ?と思ったのは、はっぴいえんどの「春らんまん」(作詞・松本隆)によく似た歌詞があるからだ。引用するとお金を取られるので気になる方はご自身で検索下さい。「歌ネット」というサイトが便利ですよ。……ね、そうでしょう。「清十郎」が「お春」になっているが、これは「お夏」の言いかえだろう。しかも旧かなづかい。松本隆は明らかに「お夏清十郎」を意識してなぞっている。ただし、木下杢太郎の詩というより、大衆に広く浸透した江戸期の事件とその芸能化の方であろう。大店の娘「お夏」と手代の男「清十郎」が恋をし、手に手を取って駆け落ちするも捕えられ、男は斬首される。女は狂乱し行方不明となる。泰平の徳川治世下、心中や駆け落ちが流行り、それが芝居や歌になった。
 お夏と清十郎の事件も、西鶴『好色五人女』ほか、芝居や小唄のバリエーションが作られ流布していく。ある時代まで(1949年生まれの松本隆、1957年生まれの岡崎武志ぐらいまで)、タイトルおよび代表的な文句はなじみのものだった。だからどうした、と言われると困るが、喫茶店でコーヒーを飲む、わずか10分ぐらいの間にわが脳髄にひらめいたことの報告でした。おしまい。

切り離されたギンズバーグ
「早春書店」店頭で買った「新潮」を、家に帰って「アレン・ギンズバーグ、五篇の詩 村上春樹・柴田元幸訳」の部分だけ本体からとりはずし、木工用ボンドで表紙を新たにつける。読みたいのはここだけ、あとは邪魔だ。目次の該当部分を切り、表紙に貼れば特製小冊子ができあがる。こういうことはじつにマメである、私は。

 我々の世代では、ギンズバーグといえば諏訪ゆうの翻訳と決まっていたし、それは遠い昔の話のようだが、村上春樹と柴田元幸の新訳となれば話が違ってくる。村上訳の長編詩「ウィチタ渦巻きスートラ(抄)」の最初と最後だけ引いておく。
「今では老いぼれた、カンザスの孤独な男になっちまったが/車の中でこうして自分の孤独について語ることを/おれは恐れちゃいない/というのは、それはおれだけの孤独じゃなくて/アメリカ中にいる、おれたちみんなのものだから、/なあ、みんな、語られる孤独というのは預言なのだ」
「『ピュア・スプリング・ウォーター』がひとつの給水塔に集められ/フローレンスの街が/とある丘の上につくられている/お茶と給油で一服してください」 
 村上の解説によれば、ウィチタはカンザス州の都市(初めて聞いた名前だ)。40歳のギンズバーグは、ビートの仲間たちとこの街へ長距離バスで旅をした。詩は紙に書くのではなく、バスの車内で移り行く景色を見ながら、テープレコーダーに録音された、とのことだ。でも、なかなかいいですね。「お茶と給油で一服してください」というあたりに、長距離バスで移動している感じがよく出ている。アメリカ映画には、ガソリンスタンドで給油し、同時に軽食やコーヒーを摂るシーンがしばしば登場します。日本映画ではあまり見かけませんね。片岡義男の短編にアメリカの簡易食堂を兼ねたガソリンスタンドを舞台にした「心をこめてカボチャ畑にすわる」がある。これは名作ですよ。

同人誌「くまさんあたしをたべないで」の同人A・N嬢って?

 この「オカタケな日々」というウェブ連載を始める時、最初は日記をと思ったが、ブログで日々のできごとや行動は書いているので、やっぱりある程度まとまったことを各ジャンルにわたって書いていこうと方針を決めた。その書き方について、一つの手本となったのが大岡信の「文学的断章」シリーズであった。これはまだ「ユリイカ」が詩の雑誌と呼べた頃、いつ始まったのだったか。長期連載となり一定量がまとまると順次『彩耳記』『狩月記』『星客集』『年魚集』と青土社から本になった。かつて4冊とも持っていたが、一度手放し、最近になって『年魚集』が古本屋店頭に100円になっているのを見つけ、買いなおした。懐かしかったなあ。A5の横幅をやや膨らませた変型サイズで、本体は簡易フランス装のソフトカバーで函入り。たいへんぜいたくな造りだ。本文文字も大きめでたっぷり余裕のある組み方だから読みやすい。1976年刊の定価が1400円というから高価である。1975年当時の物価は大卒初任給が8・4万円。コーヒー200円。そこから現在、物価上昇率は2・5倍と荒っぽく考えて、1400円は3500円ぐらいの重さの金額だった。いや、貧乏学生には新刊ではとても買えません。
 さて中身の話。これは「断章」という如く、短い文章をしりとり(あるいは連想ゲーム)のようにつなげて叙述されるスタイルを取る。例えば『年魚集』のⅨ章目次には「武満徹企画『今日の音楽』という催しでクセナキスを聴く/ジョン・ケージの小曲とキノコのこと/笛の唱歌(しょうが)を初めて聴いた/鳥のさえずりの多様さと日本音楽についての素人の考え」と断章の各タイトルが並ぶ。文学、音楽、美術など幅広い分野の関心が大岡信にあった。
 その中で私が注目したのは「同人雑誌」について書いた章(Ⅷ章)。日野啓三が文学賞を受賞し、大岡を含む昔の同人誌仲間が日野宅に集まった。そこで保存されている大学時代の回覧雑誌を目にして、いろいろなことを思う。話は「今の高校生は、どんな雑誌を作っているのだろうか」となり、手元にある「くまさんあたしをたべないで」という「風変わりな名前のガリ版雑誌」を取り上げる展開に。都心部にあるミッション系の女子高校の11人が2号まで出したガリ版刷りの雑誌だ。しかし、なんと異色で魅力的な雑誌名だろうか。内容もユニークで、矢切の渡しの船頭、上野動物園のクマ担当、宮内庁庶務課にインタビューしている。ちなみに雑誌名にちなんで、動物園職員を訪ねクマについて聞いている。「熊に襲われたら死んだふりをしろと言いますが」の質問に、「いくら死んだふりをしても、熊がふんふんと匂いをかいだだけで行ってしまうとは思われませんね」。きっと襲うだろうと言うのである。この雑誌、読みたいですねえ。
 私の関心がもう一歩踏み込んだのは、同人の中に「A・N嬢」がいて、「そのお父さんと長年の知合い」だという個所だった。雑誌発行の年月日から推定すると、A・N嬢は私と同じ1957年生まれ(もしくはその前後)。さて、ここからA・N嬢は誰かを推理してみた。大岡の「長年の知り合い」でおそらく詩人、頭文字が「N」と言えば意外に少なくて中村稔がすぐ思い浮かんだ。その娘で検索してみたら、旧姓のまま「中村朝子」がヒット。まさしく「A・N」。現在、上智大学文学部教授でドイツ文学者になっている。『トラートル全詩集』は彼女の訳業だ。まず、間違いないと思われる。
 試しに「中村朝子」「くまさんあたしをたべないで」で検索したが、こちらは手がかりなし。「おかざきさんあたしをさがさないで」と言われそうだが、どうしても読んでみたくなってきた。久しぶりに古書展(古書即売会)めぐりをするか。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
編集者、ライター経験を経て、書評家、コラムニストとして活躍する岡崎武志。 小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。
この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。