【第25回】


寅さんはなぜ江戸川から柴又へ帰ってくるのか
 新潮社主宰の文化講座「新潮講座」の文学散歩「オカタケ散歩・新潮文庫を歩く」を受け持って、東京をあちこち生徒さんたちを連れて歩いている。前回は3月14日に柴又へ。メインは「男はつらいよ」の舞台となった帝釈天参道から「寅さん記念館」を巡ることにあったが、そう銘打てば「松竹」の許可がいる。まことに申し訳ないが、表立っては伊藤左千夫『野菊の墓』を歩く、ということにした。ちゃんと新潮文庫に収録されていて、あながち嘘とも言えない。江戸川の堤に出て、川原の「矢切やぎりの渡し」を使って対岸へ渡れば、「野菊の墓」案内所があるし、政夫が民子を見送った別れのシーンは、この「矢切の渡し」であった。

 しかし、この日は新型コロナウイルス感染拡大による「自粛」ムードの中にあり、しかも季節はずれの冷たい雨が雪に変わった。予約した人のキャンセルが続き、参加者はたった3名。私と講座の担当者を含めても5名での決行となったのである。予定していた江戸川の堤も「矢切の渡し」もパス。帝釈天と「寅さん記念館」および併設された「山田洋次ミュージアム」を見学するにとどめた。「コロナ」禍により、いつもはにぎわう参道も記念館も閑散としていた。おかげで少人数により小回りもよく、結果的にけっこう充実した回となった。
 例によって、事前にあれこれ熱心に「寅さん」および『野菊の墓』について調べたのだが、ここでは「寅さん」について少しだけ書いておきたい。1969年に第1作が作られ、これが予想外に当たり、続編、続々編と立て続けに制作され、盆と正月は映画館で「寅さん」という、いわば国民的行事化されていったのである。渥美清の死去(1996年)によりシリーズは第49作で途絶えた。2019年には新作として第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が作られた。もちろん主演の渥美は不在のまま、過去の映像を盛り込みながら、その後が描かれたのである。私はそれを観ていない。だから、出来うんぬんについては何にも言えないのだ。
 申し遅れましたが、私は「寅さん」シリーズのファンで、全作品を観ているし、繰り返し観たものもある。自称「フーテンの寅」が、四季折々に日本各地で開かれる祭りで商品を売り(啖呵売たんかばい)生計を立てている。年に何度か、ふらっと故郷の柴又へ帰ってくる。そこではいつも、団子屋を営むおいちゃん、おばちゃん、それに妹のさくらが優しく迎えてくれるのだ。え? そんなこと言われなくても分かってます……って。いや、そうなんだけれども、今から書くことに関係して、ここは大事なところなんです。
 団子屋の「くるまや」(「とらや」の時代あり)は、帝釈天参道にあるのだが、失恋して寅がまた旅に出る際にさくらと別れるのは、いつも京成金町かなまち線「柴又」駅である。いま、改札を出た広場には「寅」と「さくら」の銅像が立っている。寅は旅立つ時、改札をくぐり、いつも電車に乗る。ここまではよろしいでしょうか。それなのに、である。寅が旅先から柴又へ帰ってくる時はどうか。一番便利なはずの「柴又」駅を使わない。たいてい、江戸川の堤を、トランクを提げてゆっくり歩いて来る。何作かは「矢切の渡し」で対岸から帰ってくることもあった。そこで野球をしている人や、堤に寝そべる恋人同士を邪魔して怒らせる場面がサイレントで挿入され、タイトルバックが登場するのが決まりだ。
 ところがこれは常識的には不自然なのである。江戸川の堤を歩くということは、京成金町線の終点「金町」駅を出て江戸川へ、そして帝釈天参道へ向かうはず。金町駅から直線で最短を結べば1・3キロだが、江戸川を経由すれば2キロ以上はあると思われる。旅立つ時と同じように、これを「柴又」駅にすれば100メートル強ぐらい歩けば済む。いやいや、子どもの頃から遊び場だった江戸川の風景を眺めながら柴又へ帰ってくることが、寅にとって「帰郷」の意味があるのだ、という説明はつく。第一、映像的に考えてもその方が絵になる。納得できるのだ。
 では「矢切の渡し」に乗って、というのはどうか。これはかなり無理があるのだ。地図を見ればわかるが、矢切の渡しがある江戸川の対岸はもう千葉県松戸市で、付近にバス停さえない。現在は最寄りの駅として(それでも直線で1・5キロは離れている)北総ほくそう線「矢切」はあるが、これは1991年の開業で、第43作「寅次郎の休日」までは使えなかった。つまらない屁理屈を言うなあ、とあきれられるかもしれないが、もう少し我慢して付き合ってください。そこで私は考えた。なぜ、寅は鉄道の最寄り駅を使わず、遠回りでも川の堤から現れてくるのか。
 つまり、寅は聖なる存在なのである。寅が「聖」性を帯びていることは、日本各地を訪れ、しばしば困った人や傷ついた人を助けることもそうだし、あれほど女好きであるのに、決して「女犯」をしない点にも表れている。古代信仰で他所からやってくる人を「客人(まろうど・まれびと)」と呼び「聖なる者が俗界に幸福をもたらす」として神格化された。これは折口信夫しのぶの説であり「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在」であるとした。
神様が、俗事にまみれた電車に乗って、みんなの前の姿を現すわけにはいかなかったのである。


大正創業の京都路地裏の銭湯に入る
 3月末、コロナ禍騒動のなか、不謹慎ながら京都へ新著『明日咲く言葉の種をまこう―心を耕す名言100』(春陽堂書店)の販促で出かけてきた。本当は、本が出たら京都でトークイベントをとも考えていたが、この手の大小のイベントがことごとく中止、延期になるご時世を鑑みてあきらめた。まずは友人が経営する古書店「古書善行堂」で荷を解く。ここを拠点に、市内3軒の特色ある人気書店を巡る予定だ。

 まずは「ホホホ座」へ。店長の山下(賢二)くんとは、前の店「ガケ書房」からの知り合い。山下君と「ガケ書房」については、「ガケ書房の頃」(夏葉社)をお読みください。やあやあと声をかけて自著を売り込む。「よろこんで注文します」と約束を取り付けた。続いてバスで白川通を北へ。「一乗寺下り松町」で下車。おお、宮本武蔵がかの吉岡一門と決闘した場所ではないか。ここから徒歩で「恵文社 一乗寺店」へ。
 なんてこと長々と書いていたら、今回書きたいことにたどりつけない。ショートカットしまして、いきなり河原町丸太町すぐの「誠光社」へ。店長の堀部(篤史)くんのことは『90年代のこと 僕の修行時代』(夏葉社)をお読みください。長く京都で学生時代と卒業してからも暮らしていたが、「誠光社」のある路地へ足を踏み入れるのは初めて。行く途中に「桜湯」という、とんでもなく古い銭湯を見つけた。堀部くんに聞くと、「京都の銭湯にしては熱めの湯で、浴室の水槽で金魚が泳いでます」と言うではないか。ここでも注文を取り付けて、「桜湯」へいざ見参。いかなる外見かは写真を見ていただくとして、あとで調べたら、なんと大正8年創業の湯であった。博物館に収めたいほど古びた下駄箱、柳行李やなぎごうりの脱衣かごと、おそらく大きなリニューアルなしでここまで営業が続けられたのではないか。

 小ぶりの浴槽が水風呂含めて4つ。そのうち中央壁に水槽が埋め込んであって、ほんとだ、大きな金魚が3匹泳いでいる。ミストスチームサウナ(無料)も設置。こりゃあいいわ。備え付けのシャンプーやボディソープ(近頃の銭湯はたいていある)はないので、湯に浸かって温まっただけ。それでも十分、「桜湯」の実力は知れたのである。外へ出ると雨が激しくなっていたが、体はポカポカ。旅先でぶらりと銭湯へ入る。これは病みつきになりそうじゃありませんか。


(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
《『Web新小説』開催イベントのお知らせ》
岡崎武志さんと行く 春爛漫の早稲田界隈~漱石&春樹散歩
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止に係り、4月11日開催予定のイベントは延期となりました。
詳細はこちらをご覧ください。

・日時: 2020年4月11日(土)
・時間: 13時30分スタート/12時30分受付開始(16時ごろ文京区胸突坂周辺で解散予定)
・集合場所: 新宿区立漱石山房記念館(新宿区早稲田南町7)
・参加チケット: 『Web新小説』会員…3300円/一般…4400円
※税込み。漱石山房記念館観覧料を含む
・募集人員: 25名程度
大人気の書評家岡崎武志さんと一緒に、早稲田界隈を巡る文学散歩にでかけませんか? テーマは明治時代の文芸雑誌『新小説』で活躍した夏目漱石と、早稲田にゆかりの村上春樹。講師ならではのわかりやすい文学解説が聞けること請け合い。『Web新小説』の会員になると、お得な会員価格で参加できます。
『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
編集者、ライター経験を経て、書評家、コラムニストとして活躍する岡崎武志。 小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。
この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。