【第26回】


『傷だらけの天使』はブルー
 日本映画専門チャンネルで『傷だらけの天使』全話が再放送され、録画しておいた。1974年10月5日放送開始で75年3月29日終了の全26話。これまで再放送で何度も観ているから、改めて全話通して視聴することはないだろうが、まあ保険である。そのうち、深夜に第7話「自動車泥棒にラブソングを」を、ちびちび焼酎をなめながら観る。この日本テレビ史に残る傑作の中身については方々で言及され、あらかた言い尽くされているので、当方は今回気づいた細部についてのみ述べる……なんて、えらそうに。
 まずはおさむ(萩原健一)が寝起きするビルの屋上のペントハウス。まったく独立した住居空間で、屋上を占有し、見下ろせば中央線、総武線などの電車が行きかう。いま「中央線」「総武線」などと書いたが、リアルタイムで観ていた大阪在住時代、電車の区別などはつかなかった。上京して、東京のあちこちを取材や散歩でほっつき歩くようになって、「これが!」と驚き、感動したことはたくさんあるが、JR「代々木駅」近くに、修のペントハウスのある「代々木会館」ビルを見た時は本当に興奮した。ドラマを見てから、もう20年以上たっていた。スクラップ・アンド・ビルドの激しい東京で、いまだ健在とは思ってもみなかったのである。思わず何枚も写真を撮って、その後、何度か訪れた時も写真を撮った。建物は逃げません、と言われそうだが。
 この「代々木会館」、竣工は1964年の雑居ビルで、7階の屋上に(つまり8階)に『傷だらけの天使』で使われたペントハウスがあった。地下から地上数階は飲食、ビリヤード、麻雀などの店舗がひしめきあって雑居し、5、6階部分が居住スペースである。3階に中国書籍専門店の「東豊書店」が入っていて名物となっていた。私がこのビルの現存を意識して、わざわざ訪ねたのは、もう2000年代に入ってから。それまでも目撃していたが、これがそうだとは気づかなかったのである。竣工からは40年近く、ドラマ放映からでも30年近く年月が過ぎ、風化は激しく、外壁の崩落など「おんぼろビル」の印象を受けた。事実、「代々木の九龍城」などと呼ばれていたのである。2010年代に見た際には、もう店舗の撤退が始まっていて、いよいよ有終の美が迫っている感じがした。はたして、2019年8月から再開発事業により解体が始まったという。近々、夢の跡を見物しに行こうと思っている。
 第1クールの7話「自動車泥棒にラブソングを」の出演者、スタッフの顔ぶれがすごい。演出・恩地おんち日出夫、脚本・市川森一しんいち、撮影・木村大作、音楽・井上堯之たかゆきバンドと超一流。出演者も、メインの萩原健一、水谷豊(「アニキ~」)、岸田今日子(「オサムちゃん」)、ホーン・ユキ(巨乳)、岸田森(胃下垂)のほか、悪徳刑事に西村晃、脇に高橋昌也、蟹江敬三と豪華きわまる。ゲストが川口晶である。水も漏らさぬ鉄壁の布陣、と言いたくなる。いやあ、ほれぼれするわ。
 そう、今回気づいた話の続き。相棒の亨(あきら)が例によって、アニキの住むペントハウスを訪れる巻頭部分。この回は雨のシーンが多いが、亨が持っているのはビニール傘である。1974年にもうビニール傘があったかしらん、と思って調べたら、1970年代から一般に需要が拡大し始めたという。1964年東京オリンピックの際、来日したアメリカ人の要請で作られ、まずアメリカで売られたというのですね。知りませんでした。加えて言うと、亨は代々木会館に入る時、1階の郵便受けから「どれにしようかな」と言いつつ、挿さった新聞を失敬している。この新聞を失敬する、という習慣が最後に効いてくる(オープニングでは修が朝食のエプロン代わりに新聞を使うことも有名ですね)。

 最後にもう一つ。この頃のドラマはスタジオ録画以外は多くフィルムで撮影されていたが、画面の全体の色調が青っぽいな、ということ。これは『傷だらけの天使』に限らず、ロケ中心のフィルム撮影によるドラマは総じてそうだった印象がある。使われた銀塩式フィルムの特徴など、専門的なことはよく分からぬが、青とその補色関係にあるオレンジが際立ち、茶や緑はくすんで見えた。『プレイガール』などもそうだったなあ。のちデジタル撮影に代わり、加工により色調の調整、補正は簡単になった。北野武がブルーな色調を好んで使い、世界で「キタノブルー」と呼ばれたりした。とくにバイオレンスな映画などには、この寒々とした色がよく似合う。
 アメリカン・ニューシネマを彷彿とさせる、やや同性愛っぽいアウトローコンビ。切なく淋しい、もっと言えば叙情的な「ブルー」。まさにそれは「限りなく透明に近いブルー」であった。昨今のデジタル撮影による、進歩した技術で撮られたドラマは失った「青」である。

フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』読み比べ
 気づくと繰り返し読んでいるロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ(ハヤカワ文庫に収録)。そのうちの1作『拡がる環』(菊池みつ訳)のこんな箇所に目が留まった。子どものいない探偵スペンサーにとって、疑似息子ともいうべきポールとの会話。ポールがまず言ってスペンサーがそれに返す。
「『華麗なるギャツビー』にもっといい文句があるよ。彼が撃たれる直前の、なつかしい温かい世を失うことに関する……」
「ただ一つの夢を抱いて生きるのが長すぎたために、高価な代償を払った」
「それだよ」ポールが言った。
 ひゃあ、かっこいい。スペンサーは読書家で、シェイクスピアでも詩の一節でも、たちどころに引用してみせる。こうして文学作品の一部がうまく引かれると、そのことで元の作品の魅力が増して、無性に原典に当たりたくなる。そこで手持ちの『ギャツビー』を取り出す。村上春樹訳が出る前、『ギャツビー』と言えば、新潮文庫の野崎孝訳であった。菊池光訳で引用された『華麗なるギャツビー』というタイトルはこれを敷衍している。ただし当該箇所の訳が違う。以下は野崎訳。
「高い代価を払いながら、唯一の夢を抱いてあまりに長く生きすぎたと感じていたにちがいない」
 村上春樹訳(『グレート・ギャツビー』)はどうか。

「たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感していたはずだ」
 三者を英文の原文に照らし合わせて、比較論評するほどの語学力は私にない。ただ、ぼんやりと日本語訳を眺めて、一番簡潔なのが菊池光訳(おそらく省略している)。あとは好みだろう。私は菊池訳がしっくりくる。暗誦して引用するには、この菊池訳がもっとも記憶しやすい。声に出して読んだ時、息継ぎなしに一気に最後まで通せる。村上訳はひょっとしたら原文には正確かもしれないが、途中、息継ぎが必要なようだ。

 ところで『ギャツビー』と言えば、なぜか年末から正月にかけて読みたくなる。20代より少なくとも2、3回は通して読んでいるから、あらためて全部を読むことはしない。最初の方だけとか、途中からとか、最後の方を少しという具合に、部分を数十ページ読んでそれで満足する。交響曲の第4楽章だけ聞くという感じか。ブラームスの交響曲1番の第4楽章だけ聞いて、気分を奮い立たせるということはあるだろう。小説だってそういうことがあっていい。今回久しぶりに通読して、いい気分になった。やっぱり名作だ。
 仕事も些末な雑事もいちおう年内に終えて、静まり返った夜の中で、厳かな気分で『ギャツビー』を読むのは、よく似合うのだ。途方もない金持ちの青年による、徒労ともいうべき豪奢で派手なパーティの日々。そして叶わぬ一途な愛と、待ち受ける悲劇。それが文学のおつゆをたっぷり吸った、こんな文章で彩られる。
「航跡に浮ぶ汚ない塵芥ごみのようにギャツビーの夢の後にいていたものに眼を奪われて、ぼくは、人間の悲しみや喜びが、あるいは実らずについえ、あるいははかなく息絶える姿に対する関心を阻まれていたのだ」
 あるいは、
「やがて夕映えの色はせ、彼女の面からも、黄昏どきに楽しい道路から去って行く子供たちのように、あとに心を残しながらも刻々と光は消えていった」
 いずれも野崎訳によるが、溜息が出るような美しい文章で綴られる「滅びの美学」だ。京都にいる頃、街のどこにいても大晦日にはどこかの寺かでつく除夜の鐘が響いてきた。あのしんしんと冷え込む空気の中で読む『ギャツビー』と除夜の鐘ほど似つかわしいものはない、と思えたものだ。真底、貧乏な学生だったが、その時だけは心が豊かだったのだ。読書の楽しみを早いうちから身につけておいて、本当によかったと思う。残る人生怖いものなし、である。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
編集者、ライター経験を経て、書評家、コラムニストとして活躍する岡崎武志。 小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。
この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。