第5回 島崎藤村『若菜集』―濁点を使うか使わないか

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は島崎藤村の第一詩集『若菜集』を紹介しよう。装幀、口絵、挿画は、中村なかむら不折ふせつによるものである。

【図1】

【図2】にあるように、本書は明治30(1897)年8月29日に発行されている。その後、翌31年5月27日には再版、同年11月11日には3版、翌32年4月22日には4版、同年10月22日には5版、明治34年9月10日に6版、明治35年10月7日に7版が出版されていることがわかる。初版発行から2年あまりの間に5版まで発行されているところから、多くの読者を獲得したことがわかる。四六判で、「本文」は196頁、25銭で販売されている。

【図2】

 一方、北原白秋『思ひ出』(東雲堂書店)は明治44(1911)年に出版されている。その冒頭に置かれた「わが生ひたち」の中に次のようなくだりがある。
 私が十六の時、沖ノ端に大火があつた。さうしてなつかしい多くの酒倉も、あらゆる桶に新らしい金いろの日本酒を満たしたまま真蒼に炎上した。(略)私は恰度そのとき、魚市場に上荷げてあつた蓋もない黒砂糖の桶に腰をかけて、運び出された家財のなかにただひとつ泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時までも何時までも凝視みつめてゐたことをよく覚えてゐる。
 島崎藤村は明治5(1872)年生まれ、北原白秋は明治18(1885)年生まれで、両者には13歳の差がある。16歳の白秋は、すでに藤村の『若菜集』に親しんでいた。
 中村不折が装幀全般を担当した『若菜集』はいわば「凝った」つくりである。表紙見返しには次のように赤い小ぶりの活字で印刷されている。
 こころなきうたのしらべは
 ひとふさのぶだうのごとし
 なさけあるてにもつまれて
 あたたかきさけとなるらむ(略)
 そはうたのわかきゆゑなり
 あぢはひもいろもあさくて
 おほかたはかみてすつべき
 うたたねのゆめのそらごと

 そしてその裏の頁にはやはり赤い小ぶりの活字で次のようにある。
 明治二十九年の秋より三十年の春へかけてこころみ
 無草の色も香もなきをとりあつめて若菜集とはいふなり、
 このふみの世にいづべき日は青葉のかげ深きころになり
 ぬとも、そは自然のうへにこそあれ、吾歌はまだ萌出し
 ままの若菜なるをや。

「大方は噛みて捨」てるべき「うたたねの夢のそらごと」、あるいは「根無草の色も香もなき」、「吾歌はまだ萌出しまま」といった表現からは、「こころみ」としてつくった「歌」という意識を藤村がもっていたことが窺われる。書名の「若菜」にもそういう藤村の意識がこめられているのであろう。
【図3】の84頁には、79頁から始まっている「蓮花舟」という作品の終わりが印刷され、「葡萄の樹のかげ」という作品が始まっている。左頁の挿絵はそれに合わせたものであろう。84頁を翻字してみよう。

【図3】

 きみのかたちと
  なつばなと
 いづれうるはし
  いづれやさしき
  葡萄の樹のかげ
 はるあきにおもひみたれてわきかねつ
 ときにつけつつうつるこころは(略)

 まず「きみのかたちと~」は七・五・七・七となっている。一方「はるあきに~」は五・七・五・七・七で短歌形式を採る。『若菜集』について「デジタル大辞泉」は「浪漫的詩情に満ちた文語定型詩五十一編を収め、日本の近代詩壇に新生面を開く」と説明している。あるいは「七五定型詩の調べにのせて青春のみずみずしい情感をうたった詩集」といった説明がされることもある。
 『若菜集』「初恋」の「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」がよく知られているために、「七五定型詩」とくくられるのかもしれないけれども、次に示す「月光」は八拍、七拍で定型を形成している。つまり、『若菜集』に収められている作品すべてが「七五定型詩」ではない。
   月光
 しかにてらせる
  月のひかりの
 なか絶間なく
  ものおもはする
 さやけきそのか
  こゑはなくとも
 みるひとの胸に
  忍入るなり(略)

 先に【図3】84頁の翻字を示したが、「はるあきにおもひみたれて」の「みたれて」は「ミダ(乱)レテ」を書いたものであろう。「葡萄の樹のかげ」のここでは濁点が使用されていない。ところが、「月光」その他の箇所では濁点が使用されている。「またまたそんな細かいことを」と思われるかもしれないが、90頁の「高楼」という作品もタイトルに続いて「わかれゆくひとをおしむとこよひより/とほきゆめちにわれやまとはん」とあって、「ゆめち」は「ユメジ(夢路)」であろうから、ここでも濁点が使用されていない。
このことをどう考えればよいか。今はひとまず「こういうこともあるのだ」と思っておくことにしよう。悩みは尽きない。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。