【第29回】


江戸期の紙は貴重品?
 柳家三三さんざは柳家小三治こさんじ門下の高弟で実力と人気を兼ね備えた当代指折りの噺家。友人に誘われ、草月そうげつホールで古典と新作(北村薫の小説を原作とする)の連続公演に通ったことがある。
 BS放送のTBS落語研究会で「五貫裁き」を聴く。講談ネタ「大岡裁き」の一つ。名奉行・大岡越前の見事な裁きが眼目である。「あらすじ」をいちおう書くが(面倒だが仕方ない)、「半紙」に関わる部分に注目いただきたい。ヤクザから足を洗って八百屋を始めようという八五郎が主人公。大家に相談したところ、「奉加帳ほうがちょう」を持って町内を回り、寄付をしてもらえというので、最初、大口の「徳力屋とくりきや」という質屋の大店へ行く。しかし、ここで1文しか寄こさないことから騒動になる(「一文惜しみ」という別の題あり)。煙管を投げつけられて額に傷をつけられた八五郎が、大家に報告に行ったところ、面白くなってきたとお上に訴え出ることに。
 結果は意外や八五郎の敗訴で、「五貫(5000文)」の罰金を、1日に1文ずつ払うことに。もとは「1文」がもとで起きたケンカだった。それが5000文とは。ところが、ここに大岡裁きの妙があった。大家からもらった1文を、八五郎が毎日、徳力屋へ届け、必ず受け取りを書いてもらい捺印して証文とする。たった1文のことで、これが面倒だ。徳力屋は主人が、毎日、町役5人衆を同道し、この1文を奉行所へ届けることになる。奉行にそう申し付けられたのだ。これが向こう5000日続く。大変な手間とお礼を含めた出費の大きさに徳力屋が音を上げ、示談となる。これが大岡越前の狙いであった。
 まあ、ざっくりとそんな話だが、八五郎が徳力屋の番頭に受け取りを頼む時、番頭が1文のために半紙1枚使うのは割に合わない、みたいなことを言う。私が「!」と思ったのはここである。まず、1文とは現代でいえばいくらぐらいか。江戸期265年の間に物価変動はあって、正確には割り出せないが、落語「時そば」ほかで登場する「かけそば」1杯の値段が「16文」。これを現在の400円とみて、1文は25円ぐらいと見て当たらずとも遠からずかと思う。となると、半紙1枚は25円以上するのだろう。いやに高いな、と私はその時思ったのだ。
 現在、学校の書道で使う一般的半紙は、1帖(20枚入り)が60円から100円ぐらいで買えるようだ。1枚は5円以下。ただし、これは素材がパルプとなり、大量生産できるようになった上での価格である。江戸時代、こうした量産のパルプ紙はまだ存在していないから、手漉きの雁皮紙がんぴしなど上質になれば、たしかに25円以上するかもしれない。紙は当時、貴重品であった。落語に、よく出てくる「紙くず屋」はいわゆる廃品回収だが、家庭から出る紙ごみを買い取り、選別後リサイクルする。
 このシステムは現在でも生きているし、我々の子ども時代ぐらいまでは、紙を粗末にするな、という教えが生きていたように思う。エッソ・スタンダード石油が刊行したPR誌の傑作「エナジー対話」の13号が加藤秀俊+前田愛『明治メディア考』(1979・のち中公文庫に収録)。ここで前田の「明治でいうと、小学生はだいだい石板を使っていた」の発言を受け、加藤は紙が大切にされた時代を回想する。
「私の子供のころでも、お習字の練習は新聞紙でした。新聞紙がまっくろになっても、墨はいったん乾くとその上にまた書けるので、墨の上に墨で書き、繰り返し練習させられた。よほどでないと清書の半紙はつかわせてもらえなかった」
 加藤は昭和5(1930)年生まれ。すでに量産パルプ紙の時代で、半紙もそんなに高くはない。それでも紙は貴重品という意識は残されていた。私の子ども時代もそうで、やはり習字の練習は、新聞紙を使っていた。週刊朝日編『続続・値段の明治大正昭和風俗史』(朝日新聞社)の「半紙」の項目によれば、「半紙」1帖の値段は、明治20年が1銭。加藤の子ども時代(昭和15年)が3銭。私が子どもの時代(昭和40年)には15円だった。参考までに昭和31年の木村屋のあんぱんが12円。(43年に15円)。やはり、そんなに高価なものではない。
「半紙」のエッセイ部分の執筆者は書家の篠田桃紅とうこう。大正2(1913)年3月28日生まれで私と同じ誕生日。ここで篠田は、半紙が「ものを包んだり、お盆に敷いてお菓子を盛ったり」する「親しみ深い紙」で、「お年賀回りに、半紙を持ってゆく習慣もあった」ことを伝える。また、小学校の書道の時間では「練習用はパルプの半紙で、お清書は改良半紙を使ったように思う」と貴重な証言を寄せている。 

「ショート・ラウンド」って?
 スピルバーグ『インディ・ジョーンズ』シリーズの第2作目『魔宮の伝説』(1984年制作)は、ハラハラドキドキの連続で、私は大好き。ハリソン・フォードもまだ40歳をちょいと超えたところで若かった。
 1935年の魔都「上海」に現れたインディ。ギャングとの取引が決裂し、ハチャメチャな展開になだれこむ。窮地のインディを助け、活躍するのが中国人の少年ショート・ラウンドだ。まだ小学生上級ぐらいに見えるちびっこが、子ザルのように動き回り、自動車まで運転する。アクセルに足が届かないので、靴に木の固まりをつけている。
 扮するはキー・ホイ・クァン。1971年生まれの中国系ベトナム人で、その後『グーニーズ』にも出演。近年は裏方に回り、映画の武術指導などをしている由。映画公開時には12歳。インディを慕い、命を張る危険をものともしない健気な役で、作品を大いに盛り上げる。

 さて、役名の「ショート・ラウンド」だが、ちょっと不思議な名前。野球用語かと思ったが、調べたら「SHORT ROUND」とは「短小不良弾」のこと。俗語でしょうね。男性のイチモツをそう言ってからかうのだろうか。いや、これは分かりません。まあ、そのまま何のことやらと「?」マークをつけたまま数10年がたった。
 2014年刊の芝山幹郎みきおの映画ガイド『今日も元気だ映画を見よう 粒よりシネマ365本』(角川SSC新書)を読んでいたら、この疑問が一挙に解決した。1日に1作、観るべき映画を1ページで紹介するのだが、サミュエル・フラー監督の初期作品『鬼軍曹ザック』(1951)のところを読んでいて、「ああっ!」と声が出た。そこにはこう書かれている。
「朝鮮戦争は四年目に入っていた。ザック(ジーン・エヴァンス)は『北』の待ち伏せに遭い、辛うじて生き延びたようだ。彼は韓国人の孤児に救われる。孤児はショート・ラウンド(スピルバーグの『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に出てくる少年は、ここから名前を借りている)と綽名をつけられ、ザックと行動をともにする」
 なるほどなあ。これで疑問は晴れた。ただし『鬼軍曹ザック』は未見で、韓国人の孤児がなぜそう名付けられたのかは、いまだ分からない。まあ、いつか分かる日は来るでしょう。そのとき、また「なるほどなあ」とつぶやけばいい。

横浜山手「大和町通」直線の謎
 早稲田大学で教鞭を取った国文学者で、洒脱な随筆の名手だった岩本素白そはくの『素湯さゆのような話 お菓子に散歩に骨董屋』(早川茉莉編・ちくま文庫)を読んでいると、こういう件にぶつかった。
「川は、みな曲りくね・・って流れている。道も本来は曲りくね・・っていたものであった。それを近年、広いまっすぐな新国道とか改正道路とかいうものが出来て、或は旧い道の一部を削り、或は又その全部をさえ消し去ってしまった。走るのには便利であるが、歩いての面白みは全く無くなってしまったのである」(「白子の宿──独り行く、二」)。
 これには我が意を得たり、と思ったものである。たとえば昔の旅人が、同じ1里(約4キロ)を歩くのに、もし、ただただ真っすぐな道だったらどうだろう。行けども行けども、目の前に遠近法の消失点があり、少しも近づいた気がしない。しかも単調である。これでは足を運ぶ元気を失っただろう。
 古本屋探訪で横浜市中区大和町の「古書自然林」を訪れた時の話をする。その時は、べつになんとも思わなかった。ところが地図をよく見たら、自然林のある大和町通はJR山手駅前から本牧通にかけて、600メートルほど直線になっている。ほんと、定規で線を引いたように、みごとに真っすぐ。これがたとえば関内に目を移せば、街路が碁盤の目のように街を区分し、直線の交差が当たり前で、そうでない道路を見つける方が難しい。
 しかし、大和町通に関していうと、周辺を見渡すとここだけが、あえて言えば不自然なほど直線なのだ。この一帯は両側から斜面が迫る、いわば谷筋で、他の道はみな曲りくねっている。なぜここだけがそうなのか。疑問に思っていたら、ちゃんと由来があったのである。
 横浜という地名が、江戸期漁村だった町が埋め立てられ、開港され整備されていく際、浜が横に広がっているところからついた(諸説あり)。その開化期に、現在の「港の見える丘公園」あたりにイギリス軍が駐屯していた。その射撃場として目をつけ整備したのが、現在の大和通だという。だから真っすぐなのだ。江戸時代はあたり一面が水田であった。すごい話だなあ。
 真っすぐな道に理由があった、とは! 調べてみるもんです。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
《『Web新小説』開催イベントのお知らせ》
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※新型コロナウイルス感染症の拡大防止に係り、4月11日開催予定のイベントは延期となりました。
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・日時: 2020年4月11日(土)
・時間: 13時30分スタート/12時30分受付開始(16時ごろ文京区胸突坂周辺で解散予定)
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編集者、ライター経験を経て、書評家、コラムニストとして活躍する岡崎武志。 小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。
この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。