【第21回】自転車とウクレレ

 眠さのあまり目を白黒させながら原稿を書いていたら──、うっかり机に向かったまま寝落ち。
 それからどれくらいの時間、寝ていたのかは分かりませんが、起きたとき、ぼくの首はガチガチに固まっていて、しばらくの間、下を向いたまま動かせませんでした。
 あまりにも痛いので、ゆ〜っくり時間をかけて首を動かしていたら、なんとか頚椎の機能は戻ってきたのですが、寝起きで頭がボーっとしているので、リフレッシュのため深夜の散歩に出ることにしました。
 時刻は午前3時過ぎ。
 車が走っていない家の前の坂道をのんびり下っていくと、いつも目にしている自転車のアイコンの道路標示が目に入りました。
 ん? 自転車のアイコン?
 そのとき、ぼくの心に「何か」が引っかかりました。
 でも、その「何か」が何なのか──が分からず、悶々としてさらに歩いていくと、今度は道端に捨て置かれた自転車が目に入りました。前輪が無くなり、カゴはゴミだらけで、蔓植物(自然薯)に絡まれた自転車です。

何年も前からある悲しき自転車

 可哀想な自転車だなぁ、と思った刹那──、
 あっ! と、ぼくは心のなかで声を上げました。
 ついさっき、うたた寝しているときに見た夢を思い出したのです。心に引っかかっていた「何か」が、はっきり分かりました。
 その夢のなかで、ぼくは自転車に乗って最寄りのターミナル駅へと急いでいたのでした。
 しかも、なぜか「裸足」で。
 駅前で自転車を乗り捨てたぼくは、そのままエスカレータで駅の構内に入ります。そして、自動改札を通り抜けようとしたら──、キンコンキンコン──改札機に通せんぼされてしまいます。
 カードはちゃんと反応しているのに。
 困ったなぁ……と思っていたら、数人の駅員さんたちが集まってきて、ぼくを取り囲み、なぜか嫌疑の目を向けてきたのです。
「あなた、裸足で駅のなかを歩いているなんて、怪しいですね」
 正面にいた駅員にそう言われました。
 焦ったぼくは、スマートフォンでエゴサーチをして、表示された自分の写真を見せながら、「ほら、これ、ぼくです。ね、怪しくないでしょ?」とやったのですが、今度は別の駅員がこんなことを言い出したのです。
「あなたが本物の森沢明夫なら、ウクレレを弾けるはずです」
 ふいに誰かにウクレレを押し付けられたぼくは、大勢の通行人たちの視線を浴びつつ、裸足でウクレレを弾きながら自動改札を通るハメになったのでした。
 地元の駅だし、誰かに見られてたらヤバいなぁ、なんて思いながら。
 覚えていた夢の内容は、ここまでです。
 しかし、阿呆な夢を見たなぁ……と、苦笑しそうになりながら、ぼくはコンビニに入りました。
 顔なじみの店員が、「いらっしゃいませ」と笑顔を向けてくれたとき、あらためて、ああ、ここは現実の世界なんだ──と、ぼくは小さな安心感に浸ったのでした。
 コンビニでコーヒーとアイスを買い、帰途についたぼくは、線路沿いの道を歩きながら、ふと夜空を見上げました。
 月はなく、いくつかの星がチリチリと瞬いています。
 前にも後ろにも人がおらず、歩いているのはぼくひとり。
 うむむ……。

自転車の道路標示

 この世界もまた夢で、目覚めたら、ちゃんと布団のなかにいて、首も痛くなくて、しかも、原稿が終わっていたらいいのに──。
 なんて、まさに夢みたいなことを思いながら、ぼくは深夜の美味しい空気で深呼吸をするのでした。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「おいしくて泣くとき」「森沢カフェ」「ぷくぷく」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。