南條 竹則

第2回 尾崎紅葉とお萩餅【前編】

 妖艶な美女や姫神、お化けや幽霊、妖術師や悪僧、粋な芸者や男伊達、女俠じょきょうまで活躍する万華鏡さながらの泉鏡花の小説を読んで、作中の誰が何を食べていたなどとあげつらう閑人ひまじんは、日本広しといえども筆者くらいのものだろう。
 けれども、鏡花が書いた文章は、飲食という観点から見ても多彩で、中々興味が尽きない。
今回はひとつ、お萩の話をしようと思う。

 泉鏡花は酒をたしなんだけれど、甘い物も好きだった。彼の作品には菓子のたぐいがよく出て来る──団子、金鍔きんつば、豆大福、饅頭、餡パン、玄米パン、微塵棒みじんぼうや鉄砲玉といった駄菓子まで。
 その中で、お萩餅のことは恩師紅葉との関わりで語られる。
 御存知の通り、鏡花は東京に出て尾崎紅葉の弟子となり、横寺町よこでらまちの紅葉の家に書生として住み込んだ。その時、尾崎夫人手製のお萩を食べた話を、「雑記」中の一篇「入子話」という随筆に記している。
 それによると──
横寺町よこでらまちで、お彼岸にお萩が出来た。──故柳川春葉が来て玄関に加はつた頃、折ふし小栗も遊びに来て居た。其処そこへ奥さんの綺麗なお手際で、つぶし餡のがみつづつ……(518頁)
 ここでちょっと解説を入れさせていただくと、鏡花は──明治時代の書生がよくしたように──玄関わきの一間にいて、客の取次などをしていた。そこにもう一人、柳川やながわ春葉しゅんようが加わったというのだ。言うまでもなく、この春葉も、そのあとに出て来る「小栗」、すなわち小栗おぐり風葉ふうようも紅葉の弟子である。
 奥さんはかれらのために、自分たちが食べるのよりも一段と大きいお萩をこしらえてくれた。
 さて、その場にいた三人の弟子のうちで──
柳川は酒においては、後年相撲取のたにおと剣山つるぎざんなんどと丼鉢で渡り合ふほどの下地があるし、小栗と来ては、其頃そのころからお花見酒のちびちび上戸と言ふくせものなんだから、二人とも食べ切れないで、すみやかに陣を引いた。(519頁)
 ところが、「黒地の友染のお羽織に、紅いたすきがけ」の奥さんが、おかわりをなさいと勧める。鏡花は「お声がかりに、何と拙者はもつ立尻たてじりで、ざらを出して、ここへ二つ。」とお代わりをいただいた。彼は春葉と風葉が残したお萩も一つずつ平らげた。自分の分は三つだから、合計五つ、さらに二つのお代わりで、「前後七つと、もの凄く頂戴して、しかして自若としてまだ足りない。」。
 さすがにこれは話題になった。
 のちに、小栗風葉が鏡花と割前で飲んだ時、酒の修行がいまだしの鏡花に、風葉は「お萩の手際でぐツとれ」などと言って、からかったのである。 
 この随筆を書いている時点でも──
今でも、芝へ御年頭の折などは、奥さんがお銚子を下さりながら、「おかさねなさい──お萩はいかが。」と微笑んでお言葉がある。(519頁)
 とあるから、尾崎夫人もビックリしたのであろう。
「いや、萩の餅そのものよりも、おあんばいがかつたのであらう、何しろうまかつた。」と鏡花は弁解するように言う。七つ食べても物足りなかった彼は、その後、自分の家で心ゆくまでお萩を堪能しようと考えた。
──世帯しよたいを持つた初めての秋の彼岸に、さあ、本懐はの時、と其の時のばいけぐらゐ、両手に一つやつすわるほどの大きさなのを、註文によつて、家内がクスクスりながらこしらへたが、頬張るどぢやうの鮨ではないが、これは見たばかりで、ひどく参つた。うだろう、ぼた餅のおほさかづき。(519頁)
 昔読んだ水木しげるの漫画に、ネズミ男が座布団ほどもあるホットケーキを食べる場面が出て来たが、なんだかそれを思い出す。

※引用文は『鏡花全集』岩波書店(第二刷)巻二十八により、それぞれの引用の後に頁を記す。ただし漢字を新字体に改め、ルビを一部省略し、反復記号の表記を変えた。次回以降も、また泉鏡花の作品に限らず、引用はこのやり方でさせていただきたい。


この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に小説『あくび猫』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)