ネット通販の普及と活字離れの影響で、昔ながらの街の本屋さんが次々と姿を消しています。本を取り巻く環境が大きく変わりつつある今、注目されているのが新たな流れ“サードウェーブ”ともいえる「独立系書店」です。独自の視点や感性で、個性ある選書をする“新たな街の本屋さん”は、何を目指し、どのような店づくりをしているのでしょうか。



【連載27】
これからも“青山の本屋”であり続けるために
山陽堂書店(東京・青山)萬納 嶺さん

青山の歴史とともに、ずっと交差点界隈で
「山陽堂書店」の創業者・萬納孫次郎氏が青山に店を構えたのは、1891(明治24)年のこと。明治神宮が創建されるずっと前、この辺りがまだ御屋敷街だった頃から、山陽堂書店は表参道交差点界隈で“街の本屋”を営み続けてきました。関東大震災や山の手大空襲、そして平成に入ってからはバブル崩壊、リーマン・ショックといった数々の危機を乗り越えてきた老舗書店は、取次に頼らない独自の仕入れやギャラリーを併設するなど、“独立系書店”としての歩みもはじめています。老舗であり、独立系書店でもある山陽堂書店はどのような道のりを歩んできたのか、5世代目・萬納嶺さんにうかがいました。
── 萬納さんは5世代目ということですが、ずっと家族で経営してこられたんですね。
はい。1987年に3代目店主の祖父が亡くなってからは、祖母が店主を務めていて、いまは4世代目となる伯母たち三姉妹と、次女の息子である5世代目の僕、そして大叔母(祖父の妹)が書店業務に携わっています。今年88歳になった祖母も数年前まで店に出ていました。ふだん店にいなくても、家長である祖母は、家族と店をまとめてくれる大きな存在です。大事なことは、週に1度の“山陽堂会議”という名の家族会議で話しあい、全員が納得したうえで物事を進めるよう心がけています。
── お店の歴史については、店主のおばあさまから学ばれたのですか?
いいえ、祖母も詳しいことは知らなかったので、昔のことは三姉妹の長女である伯母(遠山秀子さん)から教わりました。伯母が残されていた江戸期の資料や昭和初期の日記などを紐解き、初代の出身地に出向いたり、国立国会図書館のデータベースで調べたりして、初代の実家は岡山城下で諸問屋をやっていたことや、初代と2代目の時代に書籍の出版をしていたことがわかりました。4~5冊出していたようですが、いま手元にあるのは、古書店から入手した『講壇と論壇』(山路愛山著、明治39年発行)と『気のきいた唄』(中川愛氷著、大正4年発行)の2冊だけ。本の奥付けから、この界隈で何度か引っ越ししたことも判明しました。

写真左、『気のきいた唄』の口絵は鏑木清方の筆

── いまの場所に至るまで、どのような変遷をたどられたのでしょう。
創業したのは現在の南青山で、その後、今のみずほ銀行のあたりに移り、大正時代、明治神宮表参道造成の頃に、当時はまだ道のなかった後の御幸みゆき通りの入口に店を構えました。店の目の前が表参道でした。その後、天皇が通る御幸通りが造られるときに再び引っ越すことになり、1931(昭和6)年に現在の場所へと落ち着いたようです。1945(昭和20)年5月25日の山の手大空襲で青山表参道一帯は焼け野原となりましたが、鉄筋鉄骨コンクリートだったこのビルは運よく焼け残りました。その後、前回の東京オリンピックのため青山通りを拡幅する工事の際は、移転するか1/3に縮小するか悩んだそうですが、「狭くなってもここに残したほうがいい」というお客さまの後押しもあって、創業以来ずっとこの交差点界隈で本屋をしています。

1931(昭和6)年の山陽堂書店。1階にはステンドグラスが施された和洋折衷の建物だった※山陽堂書店 提供

老舗が選んだ、“独立系書店”の道
── 取次からの配本に頼らず独自の仕入れをはじめたのは、いつ頃、何がきっかけだったのでしょう。
仕入れ方法を見直したのは、2009年10月頃からでした。バブル崩壊後に売上げが下がったときは伯母たちが南青山、北青山、神宮前エリアにある美容室に営業してまわったこともあって、一時は“雑誌屋”を自認するくらい雑誌がよく売れていました。でも、リーマン・ショックのあとにまた売上げが低迷。そんなとき、伯母の次女が通っていた合気道教室にミシマ社の代表・三島邦弘さんがいらしていたご縁から、店でミシマ社さんのフェアをやったところ、手ごたえを感じたそうです。そのことがきっかけとなり、仕入れる本を厳選していくうちに徐々に書籍を扱う割合が増えていって、いまでは書籍が7割になりました。

── 選書はどなたが担当されていますか?
伯母たち三姉妹と僕の4人で選んでいます。斎藤茂吉さん、北杜夫さん、向田邦子さん、岡本太郎さん、村上春樹さん、安西水丸さん、和田誠さんなど、青山にゆかりのある方の著書や青山表参道が登場する本のほか、絵本やライフスタイルに関する本が多いでしょうか。最近は読書会の影響もあって、海外文学も増えてきました。ご注文の本を参考にさせていただくことも多く、お客様と一緒に棚をつくっている感覚もあります。僕は本屋の息子なのに、子どもの頃からサッカーに夢中で、読書より身体を動かしているほうが好きなタイプでしたが、仕事として日々本と接するようになって、今さらながら、本の面白さと奥深さを感じています。
── 萬納さんがお店の仕事をはじめたのは、いつからですか?
本格的にはじめたのは、2017年の10月からです。大学を卒業してから2年ほどバックパッカーとして海外を放浪して、帰国後は築地市場の魚屋でアルバイト。その頃からときどき店を手伝いはじめ、いずれは店の仕事をしたいと考えるようになりました。
一度は外で働いたほうがいいと家族に言われて就職活動をしてみたものの、どうしても一生懸命になれる気がしない。心からやりたいのは、家業である本屋の仕事だという思いが日に日に強くなり、それが家族にも伝わって、正式にこの店で働くことになりました。でも考えてみると、家の仕事を意識しはじめたのは、創業120周年がきっかけだったかもしれません。
街と店をつないできた人の縁
── 2011年に迎えた創業120周年。そのとき、何があったのでしょう。
親戚縁者やお世話になった方々、かつて住み込みで働いていた方々に集まってもらう機会があり、これまでにどれほど多くの人たちがこの店に思いを寄せ、関わってくれたかを知りました。その頃、売上げが落ちていたことは先ほどお話しましたが、僕なりにこれからの山陽堂書店をどうすべきか真剣に考えて、ホームページのリニューアルや2~3階をギャラリーに改装する案をまとめて企画書を提出したんです。それをもとに、当時大学生だった僕も含めた山陽堂の皆で初めて家族会議をして、計画を実行することになりました。そのとき力を貸してくれたのは、僕がこれまでサッカーを通じて知りあった人たちでした。
── サッカーと書店が、つながるんですね。
そうなんです(笑)。大学生の頃、小学生時代に所属していた「キンダー善光よしみつサッカークラブ」でアルバイトをしていたのですが、チームのオーナーが広告会社の方で、いろいろと相談に乗っていただきました。ギャラリーのオープンが決まったときには、新潮社で編集をされている寺島哲也さんが安西水丸さんを紹介してくださいました。寺島さんのご子息と僕は、小学1年から6年まで同じサッカークラブのチームメイトで、以前から親しくしてもらっていたのです。水丸さんには、ギャラリーについての貴重なアドバイスをたくさんいただきました。水丸さんは以前からお客様として店に来てくださっていたそうですが、寺島さんのおかげで、ギャラリーオープンの年に水丸さんの個展を開くことができました。それ以来、和田誠さんとのトーク・イベントや、第一線で活躍されているイラストレーターの方々の個展の開催など、ご縁がどんどん広がっていきました。

── こちらのブックカバーのイラストは、和田誠さんでしたね。
もともと水丸さんが描いてくださる予定でしたが、残念ながら2014年に亡くなりました。そのことを伯母が和田さんにお話ししたら、「水丸さんがやるって言ってたことなら、僕やるよ」と引き受けてくださった。そんな和田さんも昨年亡くなって本当に寂しいです。新型コロナウイルスの影響で、いまは読書会や落語会などイベントはできませんが、お客さまとのつながりが途絶えないよう郵送販売を4月から開始。ブックカバーのイラストをあしらった「山陽堂書店オリジナルマグカップ」もようやく完成しました。これはサイズや形にもこだわった自信作です。同じ場所で同じ商いを続ける意義を考えながら、これからも青山で本屋を続けていくために、家族で力を合わせていこうと思います。
バブル崩壊で昔から住んでいた人たちがいなくなり、リーマン・ショックで多くのクリエイターが去ったという青山の街。明治から、激動の大正・昭和を経て、平成そして令和へ──青山を行き交う人々の心のよりどころとしてこの地にあり続け、変わりゆく街の姿を見続けてきた山陽堂書店は、2021年3月に創業130周年を迎えます。落語会のために高座用の畳を貸してくださる近所の善光寺さん、青山を拠点として活躍してきたクリエイターやお客さん。それぞれの世代が育んできた人の縁と店にかける家族の思いは、次世代にもしっかりと引き継がれていきます。


山陽堂書店 萬納さんのおすすめ本
『アフリカの難民キャンプで暮らす ブジュブラムでのフィールドワーク401日』小俣直彦著(こぶな書店)
難民キャンプに暮らす人々の日常を追った本書には、「難民」が遠い世界にいる顔の見えない誰かではなく、身近な存在の「隣人」として生き生きと描かれています。他人を批判することや差別・偏見は、相手をよく知らない、知ろうとしないから起こるのではないか。知ることの大切さを教えてくれた1冊です。
『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』玉木正之著(春陽堂書店)
競技としてだけでなく、”文化としてのスポーツ”について書かれたこの本を読んで、スポーツとは、人間とその生活、そして社会をも豊かにするものなのだと再認識しました。僕がサッカーを通して学んできたことはスポーツそのものだったと、学生時代所属していたクラブに改めて感謝したくなりました。

山陽堂書店
住所:107-0061 東京都港区北青山3-5-22
TEL:03-3401-1309
営業時間:月曜~金曜 10:00~19:00、土曜 11:00~17:00(不定休)
定休日:日曜、祝日、土曜(不定休)
(2020年7月28日現在)
http://sanyodo-shoten.co.jp

プロフィール
萬納 嶺(まんのう・りょう)
1988年、東京都生まれ。山陽堂書店5世代目のひとり。小学生から高校生まで、サッカーのクラブチームに所属。創業120周年を迎えたときにギャラリー設置を提案して、現在のスタイルに改装するきっかけをつくる。2017年10月から書店業務に本格的に関わりはじめ、現在はギャラリーでの展示や読書会、郵送販売、オリジナルグッズ製作を主に担当している。
写真 / 隈部周作
取材・文 / 山本千尋
この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
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