第6回 森鷗外『黄金杯』―草書体の活字

清泉女子大学教授 今野真二
黄金杯おうごんはい』(【図1】)は『水沫集みなわしゅう』『かげくさ』『即興そっきょう詩人しじん』に続く、鷗外の第4の翻訳小説集にあたる。

【図1】

【図2】に筆者所持本の刊記を示したが、明治43(1910)年1月1日に発行されている。「著作者 森林太郎」の下には「森」の印がおされている。右側には春陽堂発行の「森鷗外氏著」作の広告が載せられている。装幀担当者の名前は明示されていない。

【図2】

 ちなみにいえば、『水沫集』は明治25年7月、『かげ草』は明治30年5月、『即興詩人』は明治35年5月に、いずれも春陽堂から出版されている。そして、この『黄金杯』と同じ日に夏目漱石『それから』も刊行された。漱石と鷗外を元日に出版するというあたりがすごい。
『黄金杯』には次のような翻訳が収められている。
黄金杯         ヴァッセルマン
いつの日か君帰ります  クロアサン・ルスト
父           シエエフエル
山彦          ヒッペル
顔           デエメル
ソクラテエスの死    クレエゲル
わかれ         ホルツ・シュラアフ
耶蘇降誕祭の買入    シュニッツレル
犬           アンドレイエフ
牧師          ラアエルレエフ
【図3】は所持本の「黄金杯」冒頭であるが、「岡田真」という蔵書印がおされている。岡田おかだただしは実業家で、アララギ派歌人としても活動、古典籍のコレクターとして知られている。岡田真の本がめぐりめぐって、現在は筆者の手元にある──古書のたのしみである。

【図3】

【図4】は86頁、87頁で、「山彦」の一節だ。86頁9行目までを翻字してみよう。
1 舞の楽の響、騒がしき人声、捲き起す塵埃、唯是れ瓦釜雷鳴の境たるを、忽ち一
2 種の幽玄にして、甘美なる音ありて、遠きより至るものの(ママ)如く、ゆくりなく人
3 を警醒すること、譬へばヱヌス山中の宴に、牧童の歌の聞え来たるがごとしと
4 や申候べき。御文の私の許に届きしは、此の如くに候ひき。頓の事とて、余り
5 に心の騒ぎ立ちて候へば、けふは詳には御返事申上げず候。さりながら御身
6 と私との間に架すべき橋あらんやうなきをば、早く今より申上候うて宜しか
7 らんと存候。御身は私を引きて私の世界より御身の世界に入らしめんとせ
8 られ候やう感ぜられ候。されどその既に晩きを奈何致候べき。私の翼には
9 最早飛行の力あらず候。私には最早喜といふものを感ずべき能あらず候。

【図4】

 まず目を引くのは、「候」と「申」に使われている活字だ。ここは「ヒヤルマル」の手紙に対しての「レナアテ」の返事にあたる部分。つまり手紙という設定になっている。
 この時期の日本において、手紙はいわゆる「候文そうろうぶん」で書かれることが多かった。手紙はもちろん手書きされるので、頻繁に使われる漢字は簡略な字形で書かれるようになる。字画をくずさない楷書かいしょにちかい形で書かれる漢字がある一方で、くずして書く草書そうしょ、あるいはそれを超えて簡略化される漢字もある。「候文」で頻繁に使われる漢字といえば、もちろん「候」で、「申し候」も決まり文句であろう。したがって、【図3】の「候」や「申」は極端に簡略な字形と考えられる。
『黄金杯』は活字で印刷されている。それでも、手紙に該当する箇所は「手紙っぽく」印刷したい、そう思うのは人情とみればよいのだろうか。「候」「申」には、わざわざ草書体にちかい活字をつくり、それを使っている。「草書体にちかい活字をつくり」というと、『黄金杯』の印刷のために? と思われるが、当時はそういう活字がつくられていた。筆者は「ボール表紙本」(当連載第3回参照)で初めて草書体のような活字に出会い驚いた。
 わざわざ「手で書いたように印刷する」ということが部分的にしても実現しているとは、手書きの潜勢力が強かったと思われる。現代はといえば、「教科書にあるように漢字を書きなさい」という指導がなされる。それは、「印刷するように手で書く」ということで、明治期から現代までの間に「勢力」が逆転している。
 さて、「黄金杯」を読んでいて次のような箇所があった。
サラアの左右に附いて歩むのは火付の男であつたが、「私共もお蔭で怖くなく死なれます」と、サラアに囁いだ。(41頁)
 ここでは「ささやく」の字で翻字したが、実際は「口×耳」(口と耳とが左右に並んでいる)という漢字が印刷されている。この「口×耳」は日本最大規模の漢和辞典といってよい『大漢和辞典』(大修館書店)にも載せられていない。ここでまた筆者の妄想は芭蕉のごとく「枯れ野をかけめぐる」。いつ、どのようにしてこの活字がつくられたのだろうか? 小さな「耳」をつくるのが難儀だったのだろうか。そしてもうひとつ興味深いのは、「囁いた」ではなく「囁いだ」とあることだ。また誤植じゃないの? と思われるかもしれない。ここは誤植ではなく、「ササヤグ」という語形があったため、と推測している。このことについては、今後また機会があればふれたい。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。