#4「泥のついたネギ」 木滝りま

「家族と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? お父さんやお母さん、ご家族の顔かな? それともペットのワンちゃんや猫ちゃん? なんでもいいんです。家族と聞いて思いつくことを絵に描いてみて下さい」
 図工の時間に先生が言った。大概の生徒は、家族が手を繋ぎ合っている絵や、家族皆で食卓を取り囲んでいるといった、通り一遍の家族像を思わせる絵を描いた。しかし平田淳一が描いた絵だけは、ほかの生徒と大きく違っていた。
 淳一の絵の中に出てくる人物は、たったひとり、淳一本人と思われる少年だけ。黒く塗り潰された背景の中で、ひとりぼっちの淳一がカップ麺を食べている……そんな絵だった。まさかこの絵がきっかけで人生が一変してしまうとは、淳一はこの時、想像だにしなかったのである。
 その日の放課後、淳一は職員室に呼ばれ、先生からあれこれ質問をされた。質問の内容は、主に淳一の家庭に関することだった。
 淳一は、母親とふたり暮らしだった。母親は、仕事で夜は家にいない。夕飯はもっぱらコンビニ弁当やカップ麺ばかりで、淳一はそれをひとりで食べる。しかし寂しさや苦痛を感じたことは一度もなかった。物心ついた時から、それが当たり前になっていたのである。
 それに、母親が家にいると、殴られたり、蹴られたりする。気分次第で母親は、淳一を抱きしめてくることもあるが、そういう時は大抵酔っ払っていて酒臭い匂いがした。淳一は、母親の抱擁が大嫌いだった。
 しかしだからと言って、自分が不幸だと感じたことは一度もない。そもそも幸福とは何かを知らなかったのだから……。
 それゆえ、先生の質問にもありのままに答えた。淳一はその後、児童相談所や病院に連れて行かれ、同じ質問を繰り返し受けたが、その時も、同じ答を口にした。大人たちは、その度に強張った様子になり、溜め息をついたり、何かヒソヒソ言い合ったりしていた。
「平田淳一くんは、母親から日常的に虐待を受けている疑いがあります。母子分離の措置を取るべきだと思います」
 見知らぬ大人が、そんな審判を淳一親子に下した。8歳の淳一には、その意味さえわからなかった。
 一時保護された児童相談所で2か月ほど暮らしたのち、淳一は「ファイミリーホーム」というところへ連れていかれた。そこは普通の民家のような家だった。ジソウの人の話によると、そこは普通の家庭のお父さん、お母さんが里子になった子供たちを預かる場所で、7歳から17歳までの子供が8人ほど暮らしているという。
「こんにちは。私は今田佳代。子供たちからは、佳代ママって呼ばれてるの。淳一くん、今日からあなたもうちの家族よ」
 ジソウの人が「里親さん」と呼ぶ、小太りの日焼けしたおばさんが、満面の笑顔で淳一に挨拶をしてきた。
 家族──その言葉に、淳一は違和感を覚える。佳代のいう「うちの家族」は、淳一が知っている「家族」とは余りにもかけ離れていた。
 ここで暮らしている子供たちは、この家を我が家と心得ているのか、皆、妙にのびのびとしている。時には、佳代に我儘を言って困らせてもいた。淳一は、自分だけが別世界の人間のように思え、居心地の悪さを感じた。
 何もかもが恐ろしかった。何せこの場所は、むせ返るほどの活気と生活感に満ち溢れていたのだ。誰かに話しかけられるのが怖くて、淳一は縁側の隅で、じっと膝を抱えていた。
「おい、そこの坊ず」
 庭にやってきた見知らぬおじさんが、突然、淳一に声をかけてきたのは、その時だった。
「見かけねぇ顔だな。新入りか?」
 淳一が怖くて固まっていると、おじさんは「ガハハ」と笑う。
「怖がるこたぁねぇ。おじさんはな、隣に住んでる木村って者だ。これ、佳代ママに渡しといてくれ」
 おじさんは、淳一に新聞紙に包まれた何かを押しつけてきた。
「親戚の農家から沢山もらったんで、お裾分けだ。じゃあな、頼んだぞ」
 それだけ言うと、おじさんはその場を去っていった。淳一は、しばし呆然となる。
 しかしやがて重い腰を上げると、台所へと向かった。台所では、佳代が米を研いでいた。淳一が声をかけると、佳代は振り返って笑顔を見せる。
「淳一くん、どうしたの?」
「あの……これ。木村って人から……」
 淳一は、おじさんから預かったものを佳代に渡す。
「まあ何かしら?」
 佳代が新聞紙を開ける。中から出てきたものは、ネギだった。
「あら、おネギだわ」
「ネギ?」
 淳一は驚く。今までネギと言われるものは、小さく刻んだ形でしか見たことがなかったのだ。だが今、目の前にあるこのネギは、長くて、濃い緑色をしている。その上、泥だらけだったのである。
「これ、泥がついてるよ?」
 淳一は、思わず見たままを口にした。すると、佳代は、笑いながらこう言い返してきた。
「野菜は、みんな土に生えているんだから、泥がついていて当たり前なのよ。土から栄養を吸った野菜は、とても美味しくて、食べると、みーんな元気になれるの」
「それ……食べられるの?」
 淳一は、またまた驚く。
「もちろんよ。泥は洗えば平気なんだから」
「……」
「そうだ。今日はこのネギで、すき焼きを作りましょう。淳一くん、あなたの歓迎会よ」
「すき焼き」も「歓迎会」も、初めての、耳慣れない言葉だった。淳一はどう答えていいかわからず、その場にじっと佇む。泥のついたネギを、佳代がどう調理するのかは気になった。淳一は、台所に立つ佳代の姿をじっと眺めていた。
 夕飯の時間になり、今田家の居間には、ちゃぶ台をふたつ合わせた食卓が用意された。その食卓を、淳一を含む9人の子供たちと、今田夫婦が囲む。気が遠くなるほどの賑やかさだ。ふたつのちゃぶ台には、それぞれカセットコンロが置かれ、その上ですき焼きの鍋がグツグツと音を立てている。
「いただきます!」
 大合唱と共に、子供たちは一斉に、すき焼きに箸を伸ばし始めた。
「お前、早くしねぇと、肉、なくなっちまうぞ」
 隣にいた10歳位の大柄な男の子が、箸を伸ばすのを躊躇っている淳一に声をかける。見ると、その子の器には、肉がてんこもりに盛られていた。ほかの子供たちが取り分けているのも、ほぼほぼ肉ばかりである。
「……」
 淳一は箸を手にしながら、しばし鍋を見詰めた。迷った末、最初に箸を伸ばしたのは、ネギだった。箸でつまんだひと切れのネギを、淳一はじっと見詰める。荒々しく濃い緑色をしたネギは、火を通したことによって、いっそう鮮やかな色になっていた。
(泥のついたネギ……どんな味なんだろう?)
 淳一はネギを黄色い卵の液体に浸し、恐る恐る口に運んでみた。すると、何とも言えない香ばしい香りと、甘さが口いっぱいに広がった。
 子供たちの喧騒が、一瞬、遠のく。そのネギのひと切れは、今まで食べたどの料理よりも、淳一には美味しく感じられた。
(これが……土の味?)
 何か、とてつもなく大きなものに包まれ、体の奥から力が湧いてくるような気がした。
 食卓の一角で、子供同士が喧嘩を始める。しかし淳一は、この家のむせ返るような活気も生活感も、もはや恐ろしくはなくなった。
「おいお前、ネギばっか食ってないで肉も食え」
 大柄な男の子が、淳一の器に肉を入れてくれる。淳一は「うん」と返事をし、肉とご飯を頬張った。
 この時から、家族と聞いて淳一が真っ先に思い浮かべるものは、大勢で食卓を囲む今田家の食事風景……そして泥のついたネギになった。

家族のかたち 丸山朱梨×木滝りま
ふたりのシングルマザーが、短歌→小説と連詩形式でつむぐ交感作品集。歌人の丸山朱梨と、脚本家の木滝りま。それぞれの作品から触発された家族の物語は、懐かしくも、どこか切ない。イラストは、コイヌマユキによる描き下ろし作品。
この記事を書いた人
小説/木滝りま(きたき・りま)
茨城県出身。脚本家。小説家。自称・冒険家。大学生の息子がいるシングルマザー。東宝テレビ部のプロットライターを経て、2003年アニメ『ファイアーストーム』にて脚本デビュー。脚本を担当したドラマ『運命から始まる恋』がFODにて配信中。https://www.and-ream.co.jp/kitaki-rima

短歌/丸山朱梨(まるやま・あかり)
1978年、東京都生まれ。歌人。「未来短歌会」会員。小学校5年生の息子がいるシングルマザー。https://twitter.com/vermilionpear

イラスト/コイヌマユキ(こいぬま・ゆき)
1980年、神奈川県生まれ。イラストレーター。多摩美術大学グラフィックデザイン学科非常勤講師。書籍の装幀やCDジャケットなど多方面で活躍。「Snih」(スニーフ/“雪”の意味)として雑貨の制作も行う。https://twitter.com/yukik_Snih