第7回 『[新撰/数学]五千題』葡萄酒をブレンドする

清泉女子大学教授 今野真二
 春陽堂は文学作品のみを出版していたわけではないので、他分野の本も採りあげていきたい。今回は明治17(1884)年9月に出版された『[新撰/数学]五千題』という数学の本を選んだ。この本は上巻、中巻、下巻に分かれている(【図1】下巻表紙)。

【図1】

【図2】は筆者が所持している中巻の奥付であるが、「明治十七年五月十七日版権免許/同年九月発売」と印刷されている。上巻、下巻の奥付もこの箇所は同様である。つまり、出版されている本の奥付からすれば、上巻、中巻、下巻はいずれも明治17年9月に出版されている。しかし、『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』の7頁においては、上巻が9月、中巻が11月、下巻が12月に出版されたとある。このあたり、「総目録」には何かよりどころとなる「情報」があるのだろう。

【図2】

 さて、上巻は題簽だいせんに「答式」と記されている。上巻は「命位答」「加法答」「加法問題答」に分けられ、そこに、何らかの問題の答えと思われるものが列挙されているが、その問題が上巻には見当たらない。このことについては現時点ではわかっていない。
【図1】の下巻表紙には、目次が貼られている。右下には雲形定規、その隣には方位磁石、直線定規、双眼鏡、コンパスなどが描かれていて、ちょっとかわいいというか、おしゃれな感じになっている。左側には地球儀、右側には天球儀(渾天儀こんてんぎ)らしきものも描かれていて、数学には関係ないような気もするが、なかなか凝ったイラストである。
 下巻の目次には「累乗法」「開平法」「開立法」「重利法」「平差級数」「幾何級数」「求積法」「復習雑問」とある。中巻の目次には「正比例」「転比例」「正転混合問題」「合率比例」「単利法」「連鎖比例」「按分逓析あんぶんていせき比例」「損益算」「平均算」「和較比例」とある。それぞれがどういうことか、現在ではすぐにはわかりにくいが、とにかくいろいろなジャンル分けをして、問題が載せられている。問題の答えは、各巻末に載せられている。
【図3】は中巻の「平均算」の(14)~(17)までだ。翻字してみよう。句読点を適宜補う。
(14)三種の葡萄酒あり。各一瓶の価、上は四十銭、中は三十六銭、下は二十銭なり。今、上二瓶と中三瓶と下五瓶とを混合するときは、平均一瓶の価、如何。
(15)今、一円に一斗五升の上米十四円と、一円に一斗六升の中米及ひ一斗八升の下米、各三円宛を交ゆれは、平均一円に幾何の相場なりや。
(16)爰に毎升二十五銭の酒三升と、二十八銭の酒五升へ水二升を混合するときは平均一升の価、如何。
(17)毎升三十銭の酒四升と、二十七銭の酒七升と、二十五銭の酒三升へ水二升を混合して売らんとす。平均一升を幾何に定めて可なるや。

【図3】

 中巻末の答えをみると、(14)は二十八銭八厘、(15)は一斗五升六合、(16)は二十一銭五厘、(17)は二十四銭となっている。どうですか。できたでしょうか。もっとも、単位が換算できなくては、これらの問題はとけない。百銭が一円で、十厘が一銭、十合が一升で、十升が一斗だ。
 数学はともかくとして、上級、中級、下級の葡萄酒を「混合」したり、酒に水を「混合」したりしている。ある程度リアルな問題設定だろうと仮定すれば、そうしたことは珍しくなかったことになる。葡萄酒は「ブレンド」と表現してもいいだろうが、お酒に水を入れるのは……ちょっと「ブレンド」とはいいにくそうだ。
 問題文を読んでいるとなかなかおもしろい。
 甲乙丙三人酒楼に上り、金五円二十五銭を費す。之を月給の多寡に応して出金するときは各幾何。但、各月給、甲は三十円、乙は二十五円、丙は十五円。(中巻・六十七丁表)
 3人でお酒を飲んで遊興をし、割り勘ではなくて、月給に応じて按分して支払いをするというようなことがほんとうにあったのだろうか。支払いをするたびに、「おまえは給料いくらもらってるんだっけ?」と聞かないといけない。これはリアルな話ではないだろう。ちなみに、これは「按分逓析比例」の(5)の問題だ。答えは甲が二円二十五銭、乙が一円八十七銭五厘、丙が一円十二銭五厘払う。
 また「連鎖比例」にはこんな問題があった。
(72)仏人日本に来り、「フランク」なる本国の貨幣を以て、金千円に交易せんとする。其一「フランク」は英国の九「ペンス」十三分の三に当り、英の一「ポンド」は美国の四「トルラル」八十四「セント」に当る。其一「ドルラ」ル(原文ママ)は、我九十三銭三分の一に当ると云。然らは、金千円に換ふる「フランク」は幾何なりや。但し一「ポントは」(原文ママ)二十「シルリング」一「シルリング」は十二「ペンス」。
「美国」はアメリカ合衆国のこと。「亞米利加合衆国」(五十四丁表)と書いたり、単に「合衆国」(五十四丁裏)と書いたり、「米利堅合衆国」(六十二丁裏)と書いたり、さまざまな書き方がなされている。いまならゲラの段階で、校正者が指摘してくれるかもしれない。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

【新刊】『乱歩の日本語』(春陽堂書店)今野真二・著
乱歩の操ることば──その“みなもと”と、イメージとの“結びつき”を探る書。
明治27 年に生まれ昭和 40 年に没した江戸川乱歩は、明治~大正~昭和期の日本語を操っていたことになる。テキストとそこに書かれた日本語を分析することで、推理小説作家乱歩のあまり知られていない側面を描き出す 。


春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)
春陽堂書店が1879年~1988年に発行した図書の総目録。書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。
この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。