【第33回】


コロナ禍の幽閉状態から脱出
 スケジュール帳を数カ月さかのぼって見ていくと、3月の最終週は、23日に春陽堂書店ウェブマガジン「新小説」の連載対談で、奥泉おくいずみひかるさんと会って話をしている。26日には中央公論新社で、永江ながえあきらさんと「中央公論」の対談。27日からは京都へ。この時、マスクはまだ着用していなかったような気がする。スケジュール帳も書き込みで混みあっている。
 これが4月に入って、原稿締め切り以外の仕事がぱたりと途絶えて、空白の日が続く。ほぼ家に閉じこもりっきりとなり、それが3カ月続き、7月に入って少し自粛が緩んだが、相変わらず人にも会わず、電車に乗って移動などもしないまま梅雨のさなかにある。「幽閉」という言葉と、井伏鱒二「山椒魚」が思い浮かぶ。
 そんな中、晴れ晴れとした気持ちになったのが7月2日のこと。埼玉県東松山市在住の友人Iくんのお誘いで、同県比企郡鳩山町にある古美術と古書の店「遵古堂じゅんこどう」を訪れることになった。古書組合にも加盟せず、ネット販売もしていない店であるため、これまでノーマークであった。「ついでに、車であちこちご案内しますよ」という言葉に甘えて、午後から夜遅くまで、Iくんのマイカーに同乗しての埼玉めぐりをしてきた。
「遵古堂」については、古書店探訪を連載している「古書通信」に書くとして、ここではオプションとなる観光をご紹介する。事前に巌殿いわどの観音(岩殿観音とも表記)をコースへ加えることを伝えておいた。画家の風間かざまかんがここを訪れて、高見から絵を描いたと知ったからだ。Iくんとは東武東上線「東松山」駅前で待ち合わせ、まずはこの巌殿観音を目指す。東松山から隣の市・高坂周辺一帯は、Iくんの庭みたいなものらしく、幹線道路をぐいぐい飛ばしていく。「三密」を避け、マスク着用、窓は開けてあるので風が車内に流れ込む。言い忘れたが、この日、梅雨の合間の貴重な快晴だったのだ。 

初の沈下橋
「ちょっと、見せたいものが」とハンドルを切り、田圃の間を突きぬけて連れていかれたのが越辺おっぺがわの土手。ここに、いわゆる「沈下橋」が架かるという。川が増水した際、水の下に沈むことを想定して作られた橋で手すりはない。ここ、荒川の支流となる越辺川に架かる「島田橋」は軽自動車がようやく通れるほどの木製橋。「NHKの大河ドラマなんかで、よくロケされるんですよ」とIくんが言う。車を土手の空地へ止め、少し歩いてみる。昨日までの雨で増水してはいるものの、川の流れは静かである。そこで気づいたが、全国あちこちにある沈下橋を、私がこうして渡るのは、どうやら初めてのことらしい。
 続いて巌殿観音へ。車で山門の近くにある駐車場へアクセスできるが、わざともっと手前、少し離れた弁天沼あたりで駐車する。というのは、先述の風間完が、ここ巌殿観音に至る門前町を絵に描いているからだ。この弁天沼からのアプローチがよかった。山に囲まれた平地に、小さな蓮沼がある。朱色の鉄橋を渡ると池の真ん中に島、そこに観音像が安置されている。あたりに人影はなく、鳥の声だけがする。カッコウが鳴く。セミはまだ早い。
 しばらくたたずんでいると、「ああ、こういう感じが欲しかったんだ」と思えるようになった。つまり、コロナ禍で家に長く逼塞ひっそくしていて、知らず知らずのうちに魂が曇り萎縮していたようだ。そういう時、自然に囲まれた小さな沼のほとりにいて、その魂が開放されていくのを覚え、旅情を感じたのだ。そこでこんな妄想を思い浮かべていた。どこか信州にでもある宿に泊まりに行く。荷を解いて、宿の女将に「夕食までの間、あたりをぶらり散歩しようと思うのですが」と言う。「そうですか。このあたり、何にもないところで……。ここをずっと下りていくと古い街道へ出て、しばらく行くと小さな神社と蓮が浮いた沼がありますが」と聞いて、「いや、何にもないのがいいんです」と笑い、出かけていく。ちびた下駄を借りて、そしてここへ来た……というふうに。


昭和レトロを装った温泉施設でくつろぐ
 弁天沼から小さな橋を渡ると、遠く正面に見える観音まで、まっすぐな一本道が伸びる。これが江戸時代に観音霊場参りでにぎわった門前町。今はまったく人通りはなく、店もないが、かつては「豆腐屋」「畳屋」「菓子屋」「油屋」「建具屋」、そして門前近くには旅人を迎える宿泊所が櫛比していた。なぜそれが分かるかというと、民家となったそれぞれの住居に、現在に伝わる屋号が掲げてあるからだ。

 汗かきながら仁王門をくぐり、長い石段を上ると巌殿観音の境内へ出る。「巌殿」は通称で、本来は坂東33観音第10番札所となる「正法寺しょうぼうじ」。境内脇の暗いトンネルを抜けると、幹線道路へ出て、これを越えた目の前に物見山が姿を現す。標高300メートルもないような小さな山だが、頂上に立つと眺望が開け、街が見渡せた。運動不足がたたり、かなり疲れたが、来てよかったのだ。
 このあと、ふもとの茶店でかき氷を食べ、Iくんの車で「遵古堂」訪問を果たし、比企郡ときがわ町玉川にある「玉川温泉」へ。古い地図では「玉川温泉保養所」となっているが、近年に全面リニューアルされ「昭和レトロな温泉銭湯」と銘打つスパに変身した。入り口でミゼット、円筒の鋳物ポスト、木の電柱に古い自転車などがお出迎え。かなり広い館内には入浴施設のほか、食事のできる大広間、壁面に雑誌や書籍が並ぶ図書室、ハンモックがぶらさがるテラスなど、たっぷり時間が過ごせそうだ。

 お湯はアルカリ性単純温泉。無臭透明だが体にぬるぬるとまとわりつく。あまり熱くないのもありがたい。目をつぶって手足を伸ばせば、先ほどの妄想(信州の宿へ泊りがけ)をまた思い出す。身も心もさっぱりして(と書けば、パンフレットの安直な宣伝文句のようだが)、ふりだしの「東松山」駅へ戻り、Iくんと居酒屋で打ち上げ(車は自宅へ戻し)、カラオケに興じて一日が終わる。あんまり時間を過ごしたため、帰宅したのは日付が変わるちょっと前であった。


松本清張「典雅な姉弟」
 松本清張を全部読んでいるわけではない。それでも代表作は一通り目を通し、映画化された『点と線』『張込み』『霧の旗』『ゼロの焦点』『砂の器』などもたいがい観ている。拙著『上京する文學』(ちくま文庫)では、松本清張の章を立てて、この時はその生涯を含め熱心につき合った。人間にはみな、恨み、嫉妬、人に言えない過去があり、それがやがて殺人にまで発展する。そのことが高度成長期の社会と絡み合い、なんともやるせない結末が待っているのが清張作品の特徴ではないか。
 清張が遺した膨大な作品の中で、なんとなく気になっているのが「典雅な姉弟」。これが不思議なテイストの短篇なのだ。総タイトル『影の車』として、1961年1月から8月まで雑誌『婦人公論』に連載された全8話の連作である。私が読んだのは角川文庫版。「連作」と言っても各話に共通するものはなく、あえて言えば「人間の運命をあやつる『影の車』という共通したモチーフがつらぬかれている」(郷原宏/文庫解説)。ちなみに野村芳太郎よしたろう監督、加藤剛と岩下志麻主演により映画化された『影の車』があるが、これは同著収録の短編「潜在光景」を原作とする。表題作となる短編はない。
「典雅な姉弟」は東京・麻布「T坂」にある高級住宅地が舞台。「T坂」とは「鳥居坂」だろう。現在でもこの周辺は、東洋英和女学院や各国大使館が並ぶ高級住宅地である。その中の1軒に「生駒家」があり、60歳ばかりの上品な姉と50歳の弟が住む。銀行に勤める弟・生駒才次郎は別の坂道(おそらく芋洗坂)を上がって都電通りへ向かう。昭和で言えば30年代、まだ麻布十番周辺に地下鉄は走っていない。

 周囲で彼のことが噂になるのは、才次郎が美男の面影を残し、「すらりとした姿で、背が高」く、「鷹揚おうような歩き方をしていた」からだ。さらに「撫で肩で、中性的な身体からだつき」と描写されている。「それ、生駒いこまの才次郎さんが通る」と近所の人がささやくのだ。情念深き脂臭い男たちばかりが登場する清張作品において、いかにも異色。
 しかし才次郎はまだ独身で、同じく独り身の姉・桃世、亡兄の妻・お染とともに暮らしている。桃世はかつて旧大名華族の御殿女中を務め、何かといえばそれを鼻にかけ、誰も頭が上がらない。桃世にも才次郎にも結婚の事実はなく、才次郎の縁談の話もことごとくつぶれてしまう。桃世の趣味は爬虫類を飼うこと。このあたりから、ちょっと「典雅な姉弟」が気味悪くなってくる。
 そして殺人が起きるのだが、トリックに「電報」が使われる。犯人は東京西郊の川崎市・登戸のぼりと郵便局から電報を打つ。前日に打ったものを誤解させる手口だが、なぜ電話でなく電報なのか。この小説が書かれた1961年に「登戸から東京都内への電話は、当時、まだ直通になっていなかったから」だ。ここに時代を感じさせます。
 また、才次郎が「若いとき美男」だっただけに、「老いの哀れさを容貌に見せる」ことを「無残な凋落」だと清張はしつこく書きたてる。同じ『影の車』所収の「薄化粧の男」に登場する草村卓三も同様に「昔は相当美男子として騒がれた」男だが、54歳になった今、かつての美貌は衰えて薄化粧をしていると冷酷に描く。それでも自分の美貌を信じている姿は「鼻持ちならなかった」と同僚の女事務員に言わせるなど手厳しい。
 清張さんの容貌は、お世辞にも「美男子」とは言えない。突き出た太い唇や、刻み込まれた皺は人生の苦闘の跡を物語るものだ。それだけに「美男子」が許せなかったのでは、と想像してみるのである。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。