漱石人気を支えた縮刷本の世界
──津田青楓の装幀と春陽堂

東洋大学専任講師  服部 徹也


夏目漱石と津田青楓
 本連載ではこれまで、漱石登場前の『新小説』における牡猫ムルの気炎待望の『新小説』掲載作「草枕」講義録『文学評論』『新小説 臨時号 文豪夏目漱石』(春陽堂、1917・1、以下『文豪夏目漱石』と表記)を取り上げてきた。最後に一つだけ付け加えるならば、漱石と春陽堂との関係を語るうえで欠かせないキーパーソンがいる。『文豪夏目漱石』にも寄稿している津田青楓である。
 小宮豊隆に案内されて漱石山房を訪れた津田青楓は、すぐに漱石に気に入られ、親しく出入りするようになる(漱石と弟子たちの交流を描いた津田青楓『漱石と十弟子』世界文庫、 1949;再刊本・芸艸うんそう堂、2015)。青楓「漱石先生の画事」(『文豪夏目漱石』)によれば、漱石は青楓に画をよく見せた。はじめのうちは「これは駄目でしようと云ふと目の前ですぐ破いて仕舞はれました」というような次第であったのが、ぐんぐんと上達し、青楓が「この画は先生生涯の傑作ですよ」というと「馬鹿を云へ、おれはこれ位でいきづまるものか、おれは死ぬ迄に一つ津田をおれの画の前でお辞儀させる様なものを一つ描書いてやる」と言ったという逸話を紹介している。
 漱石の弟子たちとの交遊から、青楓初めての装幀となる森田草平『十字街』(春陽堂、1912)に続いて、鈴木三重吉『桐の雨』(濱口書店、1913)、『櫛』(春陽堂、1913)、『霧の雨』(春陽堂、1915)、『三重吉全作集』(全13巻、春陽堂、1915-16。ただし11~13巻は高野正哉装幀)などを手がけた。漱石の単行本については、『道草』(岩波書店、1915)の装幀を担当して以来、単行本『色鳥』(新潮社、1915;収録作は『倫敦消息[第二・三節]』『カーライル博物館』『一夜』『吾輩は猫である[第三章]』『二百十日』ほか)、『明暗』(岩波書店、1917)の装幀は津田青楓が行なった。
 それまでの漱石本は橋口五葉が担当していた(本連載特別編 川島幸希氏インタビュー参照)。山田俊幸「橋口五葉と津田青楓の漱石本──アール・ヌーヴォからプリミティズムへ」(『漱石研究』翰林書房、2000・10)はこの交代劇*1を「日本が推し進めていた富国強兵の政策と連動した、帝国主義的な領土拡大の経済的バブルによって支えられた形式」である「装飾過多(デコレーティヴ)」な五葉のデザインから、「バブル以後の激しい社会変動を背景に」した「単純(プリミティヴ)」な形式によって「内的表現」を試みる新世代の青楓のデザインへ、という時代と表現の転換期に位置づけ、「芸術は自己の表現にはじまって、自己の表現に終わるものである」(「文展と芸術」『東京朝日新聞』1912・10・15~28)という漱石の思想との連動を読み取っている。そこまで言えるかはともかく、青楓のデザインが縮刷本(廉価な小型本)に適していたことは確かだ。

津田青楓と漱石作品の縮刷本
 単行本、それも初版に注目が集まりがちな漱石本だが、縮刷本は発行部数が多くロングセラーであったから無視できない。松岡ゆずるは「先生の生前津田氏は『道草』と若干の縮刷本を手がけたのみだつたのは、何にしても物足りない感がないでもない」(「全集の装幀」『漱石先生』岩波書店、1934)と述べたが、漱石生前に限っても縮刷本の出版点数は意外に多い。
 漱石生前刊行の春陽堂による縮刷本をあげてみよう。縮刷本『鶉籠 虞美人草』(春陽堂、1913;収録作は『坊っちやん』『二百十日』『草枕』『虞美人草』)、縮刷本『三四郎 それから 門』(春陽堂、1914)、人気作だけ抜き出して新たに校正を加えた縮刷本『坊ちやん』(春陽堂、1914)。

縮刷版『鶉籠 虞美人草』表紙・函

 

縮刷版『坊っちゃん』表紙
(いずれも秀明大学『夏目漱石展』図録より)

 やはり別立てで出し直した縮刷本『草枕』(春陽堂、1914)。縮刷本『彼岸過迄 四篇』(春陽堂、1915)は『彼岸過迄』にアンソロジー単行本『四篇』(春陽堂、1910;橋口五葉装幀。収録作は『文鳥』『夢十夜』『永日小品』『満韓ところどころ』)を合わせたもの。

縮刷版『彼岸過迄』表紙・函(秀明大学『夏目漱石展』図録より)

 縮刷本『文学評論』(春陽堂、1915)、縮刷本『夢十夜』(春陽堂、1915;収録作は『夢十夜』『文鳥』『永日小品』)、縮刷本『満韓ところどころ』(春陽堂、1915)、縮刷本『思ひ出すことなど』(春陽堂、1915;収録作は『思ひ出す事など』『二百十日』)、縮刷本『三四郎』(春陽堂、1915)、縮刷本『それから』(春陽堂、1915)、縮刷本『門』(春陽堂、1915)、縮刷本『虞美人草』(春陽堂、1916)。これらすべて津田青楓の装幀によるものだ。
 

縮刷版『三四郎』表紙・函

 

縮刷版『虞美人草』表紙・函
(いずれも秀明大学『夏目漱石展』図録より)

 他社のものでは評論集の縮刷本『社会と自分』(実業之日本社、1915;収録作は「道楽と職業」「現代日本の開化」ほか)、縮刷本『金剛草(大正名著文庫 第22編)』(至誠堂書店、1915;収録作は「素人と黒人」「私の個人主義」ほか)、縮刷本『行人』(大倉書店、1916)、鈴木三重吉の出した『須永の話(現代名作集 第1編)』(鈴木三重吉・東京堂、1914;『彼岸過迄』の須永の語りを抜き出したもの)、『倫敦塔(現代名作集 第7編)』(鈴木三重吉・東京堂、1915;『倫敦塔』に加え『行人』の「塵労」からHさんの手紙を収録)、これらもすべて津田青楓の装幀による。
 安価で持ち運びやすいためもあってか、縮刷本は瞬く間に部数を重ね、ロングセラーとなった。たとえば縮刷本『吾輩ハ猫デアル』(大倉書店、1911)は129版まで版を重ねている(川島幸希「夏目漱石の重版本」『日本古書通信』2016・4)。しかも、春陽堂は多くの単行本を発行した版元として、縮刷本の発行にも有利だった*2。これに没後刊行も含めれば、膨大な量の漱石作品が縮刷本の形で流通したことになる。青楓が装幀し春陽堂が出した縮刷本は、漱石作品の読者の裾野の広さを支えた立役者といえる。

縮刷版『草合』表紙・函(秀明大学『夏目漱石展』図録より)
※没後刊行(1917年4月)のため本文中では言及していない


文庫本の時代へ
 漱石没後すぐに刊行された『文豪夏目漱石』で漱石トリビュートの重要な役割を果たした春陽堂。その後も縮刷本によって漱石作品の読者を広げることに貢献していったが、現在では「漱石といえば春陽堂」というイメージはさほど共有されていないかもしれない。どうしてそうなってしまったのかは、漱石没後の出版についてさらなる研究が必要だ。
 山本芳明は、漱石没後6年間ほどの部数比較により、「少なくとも一般読者にとって、漱石は『彼岸過迄』『行人』『心』『道草』『明暗』の作者というよりも、『吾輩は猫である』『坊っちやん』『草枕』『虞美人草』の作者だったのである」と述べている(『漱石の家計簿──お金で読み解く生活と作品』教育評論社、2018、p.201)。後者のうち『吾輩は猫である』以外の3点が春陽堂から単行本・縮刷本が発行されていたことは、漱石と春陽堂との関係を理解するうえで重要なことだと強調したい。だが、その後ほどなくして漱石作品の出版形態が縮刷本から文庫本へと転換していった。
『漱石全集』は岩波書店・春陽堂・大倉書店の三社共同の刊行会の名の下にリニューアルを重ねていたが、実質的には岩波書店と漱石の門下生が実務を担っていた。1928年に刊行開始された普及版『漱石全集』では事前調整を欠いたためか大倉書店と岩波書店との間で摩擦が生じた。結果として1930年に『吾輩は猫である』『漾虚ようきょ集』『行人』『文学論』の版権を大倉書店から岩波書店が買い取り、続々と創刊したばかりの岩波文庫に収録していく(ちなみに1927年7月10日の岩波文庫創刊ラインナップには、漱石『こゝろ』が含まれていた)。改造社、春陽堂、新潮社も文庫化に乗り出す。清水康次やすつぐによれば、縮刷本は1925年~28年頃までの重版が確認できる一方、文庫本での漱石の作品の刊行は1927年に始まり、29年頃から本格化。この頃の普及版『漱石全集』とあわせて、文庫本は大きな普及力を持ち、「漱石作品の出版は、大正期の形態を脱して、昭和期の新しい形態に移行していく」(「単行本書誌」『定本 漱石全集』27巻、岩波書店、2020、pp.540-541)。
 漱石作品以外にも、春陽堂は文庫本の時代に乗り遅れまいとさまざまな文庫レーベルを立ち上げ廉価な書籍を膨大に出版していった。

春陽堂の経営危機?
 最後に、漱石と春陽堂、岩波書店のその後について、ちょっとした逸話を紹介したい。1935年6月17日、岩波書店の長田幹雄は新しい『漱石全集』の企画を相談するため、テニスファン社へ漱石の娘婿松岡譲を訪ねる(松岡は同社の発行するテニス雑誌の編集主幹だった)。やりとりを記録した日誌(未公刊、山下浩氏所蔵)には、次のような記録が残っている。
春陽堂問題
破産の結果債権者に紙型しけいなどがうつり、検印してやれないやうな事態になつたらどのやうなトラブルがあるか。大倉もあゝなつたのだし、統一を図つたらどうか。適当なコストなら買ひ取る場合、店で引受られるね。
 大倉書店から漱石作品の版権を買い取ったように、春陽堂からも版権を買い取っておいたらどうかという話題だが、「破産」が懸念されているというのは驚きだ。その二日後、松岡は長田に「とにかく和田氏〔春陽堂社長、和田利彦〕に直接きいて見よう。先ず手紙を出して返事をとらう」と告げた。松岡の問い合わせにはすぐに返事が来た。同じ日誌の10月17日の頁に引用されているので、全文掲載しておこう(たぶん初公開)。
拝啓益々御清祥奉賀上候がしあげたてまつりさうらふ 御承知の通り「大日本文庫」発表に巨額の出費を要し且つ財界不況の為め一時苦境におちいり申候処まうしさうらふところ全部諒解を得 引続き無事に営業罷在候まかりありさうらふ 就ては御心配相わずらはし候発行権譲渡の如き問題はあり得るはづなく尚ほ今後とも無之これなき事を確信致し居り候 此点は安心の上従来通りよろしく御願申上げ候 右不取敢とりあへず御返事申上候 敬白
乍失礼しつれいながら夏目家へも貴下より宜敷よろしく御伝言願上候
昭和十年六月二十二日
春陽堂 和田利彦
松岡譲様
 侍史
 この手紙にいう「大日本文庫」とは、1935年1月に春陽堂創業60年記念出版と銘打ち、国体編、神道編、国史編、文学編などからなる全100冊構成で予約者を募った「日本精神の涵養振興に積極的に役立つ」「日本古典の新時代に於ける画期的の集大成」であるという(『東京朝日新聞』掲載の広告より)。ちなみに装幀は津田青楓による。
 松岡が「破産」の可能性まで考えた情報源については未調査だが、大々的な文庫シリーズの立ち上げ準備と昭和恐慌以来の不況とが相まって一時「苦境」に陥っていたことは事実だったらしい。創業60年記念出版だったはずの「大日本文庫」は、ほどなくして大日本文庫刊行委員会に出版者を変更。自社単独で完結させる体力を失っていたのだろうか。
 一方、岩波書店は決定版『漱石全集』(1935年10月20日配本開始、1937年10月10日最終回配本)の巻末に新たに小宮豊隆による作品解説を付し、のちにこれを集めて『漱石の芸術』(岩波書店、1942)として単行本化した。また小宮豊隆は全集編纂の監修・解説執筆と並行して評伝『夏目漱石』(岩波書店、1938)を上梓する。岩波から刊行された小宮の著述によって、後期漱石作品の評価が高められていった。

おわりに
 単行本から縮刷本へ、そして文庫本の時代へという出版形態の変化。粘り強く『漱石全集』をリニューアルし続けた岩波書店の継続的な努力。「漱石神社の神主」(内田百閒)と揶揄されるほどに熱心な小宮豊隆による、後期漱石作品の再評価。これらがどのように絡みあい、「実は今日に於ける漱石文化のエージエントの一つは、岩波書店の存在なのだ」(戸坂潤「現代に於ける「漱石文化」」『都新聞』1936・11・18~21)といわれ、「漱石といえば岩波書店」というイメージが定着するまでに至ったのだろうか。
「夏目漱石と春陽堂」という視野から出発したこの連載は、両者の直接的な関係を問うことから始まり、他社を含めた出版動向や、漱石を誰がどのように論じてきたかという状況にも視野を広げて追究していく必要性に至った。読者の方に「夏目漱石と春陽堂」というテーマの広がりを知っていただけたなら幸いだ。
謝辞 川島幸希先生に連載開始にあたりインタビュー掲載をご快諾いただき、連載記事には度々貴重な書籍の図版を提供していただきました。御礼を申し上げます。また貴重な資料を閲覧させて頂きました山下浩先生に御礼申し上げます。
【註】
*1 村上敬が指摘しているとおり、津田青楓自身は自分が夏目家に出入りしだしてすぐに橋口五葉が亡くなり自分が装幀を引き継いだと述べているが、これは誤り。五葉が死んだのは漱石よりも後の1921年である(『夏目漱石の美術世界』東京新聞・NHKプロモーション、2013、p.214)。
*2 春陽堂の編集者、本多嘯月「夏目先生と春陽堂と新小説其他」(『文豪夏目漱石』)によれば、『倫敦塔 幻影の盾 薤露行かいろこう』(千章館、1915)は本多が企画して友人の経営する千章館に持ち込んで発行したという。詳しくは真田幸治「夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾・薤露行』──千章館における本多直次郎(本多嘯月)の役割」(『日本古書通信』2018・8)参照。
【参考文献】
秀明大学(編)『夏目漱石展 秘蔵コレクションでたどる生涯』(秀明大学、2016)
練馬区立美術館(編)『背く画家──津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』(芸艸堂、2020)
津田青楓『漱石と十弟子』(芸艸堂、2015)
日高佳紀「テニス文芸のレトリック──田中純と月刊「テニスフアン」」(疋田雅昭・日高佳紀・日比嘉高編『スポーツする文学──1920-30年代の文化詩学』青弓社、2009)
山下浩「初期漱石全集の未公開資料──昭和10年の決定版と編集日記(配本開始まで)」(ウェブ掲載)http://www008.upp.so-net.ne.jp/hybiblio/10_HTML.html
この記事を書いた人
服部 徹也(はっとり・てつや)
1986年、東京生まれ。東洋大学専任講師。著書に『はじまりの漱石──『文学論』と初期創作の生成』(新曜社)、共著に西田谷洋編『文学研究から現代日本の批評を考える──批評・小説・ポップカルチャーをめぐって』(ひつじ書房)など。