南條 竹則

第4回 幽霊と亡者【前編】

 台湾の小吃しょうきつ(軽食)に「棺材板かんざいばん」というのがある。
 台南の夜市で食べたことがあるが、パンを四角い箱の形にして揚げ、その中にトロリとしたスープを入れたものだった。
 食べ物にこういう変わった名前をつけることは日本にも外国にもあり、好事家に消閑しょうかんの具を供してくれるが、泉鏡花もその種のことが好きだったようで、作品中にいくつか例が見られる。
 たとえば、「幽霊」。これは「鬼の角」という初期の寓話風の物語に出て来る。
 節分の夕べ、大店おおだなの小僧・長松ちょうまつがご隠居様の供をして街を歩いていると、とある家から異形の大男が飛び出して来る。
 例の「鬼は外」で追われた鳩槃荼くはんだという鬼だった。
 鳩槃荼は逃げ出した拍子に金のつのを道に落とす。これを拾ったご隠居様はたちまち心が鬼のようになり、寄りすがった長松を張り飛ばすので、小僧は号泣。逆に角がとれて仏心の起こった鬼は、小僧を棲家すみかに連れて帰る。 
 そして食事を勧めるのだが、「これにしろ」と言って与えたのは、蛇のかみなりぼし。小僧が食べられないので、次に吸物椀を差し出して──「そりや、虫ぢや無い、幽霊さ。」
小僧は当然肝をつぶした。

「ひええ、食ひます。戴きますよ。うも大変なことに成つて来たなあ。何で死んだ幽霊でせう。伝染病うつりやまひぢやございますまいか。」と小僧は既に泣声なり。鳩槃荼くはんだは腹を抱へて、
「何かと思へばわけもないことをふ奴だ、人の死んだのぢやい、幽霊といふのは五位ごゐさぎの吸物だ。」
「五位鷺ですとえ。ぢやあまあ人間に御縁があります。へい戴きませう。」(岩波版『鏡花全集』巻一、593頁)
 五位鷺という鳥は、まだわたしたちの身近に自然がたくさん残っていた頃、夜中に藪陰などをバサバサッと飛んで、人を驚かした。人はお化けが出たかと思った。そこで、こんな名前をつけたのだろう。この鳥は暗闇で光り、人魂と間違えられたという話もあるから、料理名は「人魂」にしても良さそうだ。
 鬼はつづけて小僧に言う──

うだそれならば食はれよう。まだ亡者ととなへて海豚いるかの刺身もある。」
小僧は正体を聞きて心を安んじ、空腹すきはらのことなれば、(亡者)と(幽霊)を多量に食し、飽けばすなは眠気ねむけざしつ。(同、594頁)
「亡者」とは何か? 「雑記」所収の「赤インキ物語」によると──
すべて幽霊と言ひますのは仏家ぶつかで食ひます青鷺の吸物です。亡者と申しますのは、海豚の刺身でございます。(岩波版『鏡花全集』巻二十八、288頁)
 お坊さんたちは酒を「般若湯」、あわびを「伏せがね」といった符牒を用いたというが、そのお仲間にこんなものまであったとは知らなんだ。
 泉鏡花の後期の長篇「風流線」は、題だけ見ると風船玉の紐みたいな気がするが、そうでない。
 作者の郷里石川県を舞台として、鉄道敷設のためにやって来た技師と大勢の工夫たち、それに土地の美女やお定まりの悪人たちが活躍する、ちょっと「水滸伝」を意識した小説である。
 この中に、金沢に近い手取川川口の漁村、今入の飲み屋というのが登場する。客がここでは何ができるかと訊くと、店の者が答えるには──

「鯉こく、蒲焼、どぢやうじるでございます、ぼらの照焼、ふなのそろばんもございます。」
「鮒のそろばんといふのは何だね。」
「はい、なますにしまして、大根だいこおろしの中へ入れますのでございます。」(岩波版『鏡花全集』巻八、171頁)
「雑記」所収の一文「鮒売」には、「鮒のそろばん」の作り方がもう少し詳しく書いてある。

郷里にては一体に鮒といへば賞すれど、八田やつだがたの産其最たり。煮且つ焼く、また皮を剝かず刺身にして煎酒いりざけにてこれをくらふ。「そろばん」と俗にいふは其天窓あたまからしつぽまでを一分切りにぶつぶつに切つて大根おろしにして食するなり。(同 巻二十八、274頁)
 これを見ると、鮎の背ごしに近い料理のようだが、大根おろしを使うところがオツではないか。今でも作っているなら、一度食べてみたいものである。


この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に小説『あくび猫』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)