南條 竹則

第4回 幽霊と亡者【後編】

 前回に続いて、泉鏡花の文章に出て来る風変わりな料理名の話をしようと思う。
 小品「麻を刈る」に曰く──

 江戸時代の草紙のなかに、松もどきと云ふ料理がある。たづぬるにくはしからず、宿題にしたところ、近頃神田で育つたあるをんなが教へた。茄子なす茗荷めうがと、油揚を清汁つゆにして、薄葛を掛ける。至極経済な惣菜ださうである。(『鏡花全集』巻二十七、384頁)
「松もどき」は、今日でも江戸料理の一品として作られることがあるそうだ。
『精選版 日本国語大辞典』によると、「茄子を細かく切り、油を加えて煮た料理」だそうで、こちらの製法だと中国料理の麻婆茄子に似ていなくもない。
「松」というのは切った茄子の形から来ているのかもしれないが、由来がいま一つ良くわからない。わたしは何となく正月を連想する。
 正月にゆかりがあるのは「とも白髪しらが」だ。
「紀行」所収の「道中一枚絵」という文章は、明治36年から37年にかけての暮正月の旅行記である。
 旅人は二人、弥次と喜多──喜多が鏡花で、弥次は彼の叔父さんだ。
 二人は大晦日、箱根塔ノ沢の環翠楼に泊まった。
 年を越すまで飲んで二日酔いの元旦、赤い顔をしていると、窈窕ようちょうたるおねえさんがやって来た。「三ツ組の杯台と、雌蝶めてふ雄蝶をてふを美しく飾つた、銚子てふしを両手に、小女に膳を持たせて」、新年の挨拶をする。
「ほんのお記しばかりでございますが、お祝ひ申しましてわざとお屠蘇を」と勧めるので、弥次喜多は──
 すなはち素直に屠蘇を受けて、さて、お肴は何々なになにぞ。まきするめ、より昆布こんぶ勝栗かちぐり、煮豆などある中に、小皿に盛りて、別に小殿原ごまめと、ねぎの美しくこまかい、根のふさふさと附いたままながさ三寸さんずんばかりにして、白いところばかりなのを二本づつ添へてあつた。のごまめのいかめしさ、小殿ことのばらとは覚えたが、ひともじはこれはなんぢやろと、弥次が不審いぶかるのに女中が答へて、「あの、それは友白髪でございます。」と言つた。(同504頁)
 結納品の一つに麻糸で作る「友白髪」というものがある。それを葱でこしらえたわけで、料理といってもほとんどお飾りだ。
 弥次喜多はこの友白髪を話の種に持ち帰った。半紙に包んでたもとにしまい、さる茶屋で昼酒。またも大分だいぶんきこしめして汽車に乗ったら、背後から肩を叩いて、「しばらく」という者があった。

 これはと見ると、二十五ばかりの少紳士わかしんし、新調の洋服しツくりと、清癯せいく鶴に似て、其のくちばしのやうな細身さいしんステツキをついたのを、きよとりと見て、「、見違へた、」新学士、暮に結婚をした好男子であった。(同505頁)
 さては細君同伴かと喜多は尋ねるが、違うという。あたりを見まわしても、それらしい女性にょしょうの姿はない。どこへ行くのか、奥さんは先へ行ってるのか、などとたたみかけて聞いたが、相手ははっきり答えない。
 その時、喜多はふと、箱根で出てきたあの「友白髪」を思い出し、「さあ御祝儀の友白髪」と彼に贈った。
 すると──

 学士、杖を小脇に、美人がすみれを摘んだる態度で、帽のふち深く、涼しい品のある目でじつと見て、「有難う。」(同505頁)
 この学士は、じつは『遠野物語』の柳田國男だった。『鏡花全集』別巻に収録された「泉鏡花座談会」に、このことが出て来る。
 (前略)いや柳田さんといへば、其の頃は詩人でね、女房など持つものかなんぞ言つて、人意を強うさせて置きながら、不意に窈窕嬋娟ようちようせんけんたるのを新婚旅行の汽車中で、不意に見せられて、且つ憤慨し、且つ悲観し、而して実は羨ましかつた。しかも正月……
柳田 新婚旅行なものか。僕は静岡県へ出張を命ぜられて一人で乗つて居たのに、まちがつてをかしかつた。
 三島から沼津の間さ、憤慨したから、箱根で元日の御祝儀に出した葱の糸根の白いのを珍しいと持つて来たのを、乗客満車の中で、進呈、とやつたら、瀟洒なる紳士驚いて「これは何です」そこで「友白髪」最も、私のつれの叔父が、内々けしかけもしたんです。
柳田 あれは静浦で正月休みに調べ物をしようといつてうんと書類をかかへて乗つて居た。泉君が酔つ払つて居て、新婚旅行だらうと言つてしきりに女を探したけれどもお婆さんしか居なかつた。(同254-255頁)
 御存知のように、柳田國男の民俗学は鏡花の文学に大きな影響を与えた。名作「山海評判記」には柳田本人さえ登場するが、右のやりとりなどを見ても両者の親しい間柄がうかがわれる──それに鏡花の迷惑な酔い方も。


この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に小説『あくび猫』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)