第8回 森鷗外『山房札記』めぐりめぐって

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は森鷗外『山房札記さんぼうさっき』(大正8年12月18日発行)を採りあげる(【図1】本扉)。

【図1】

「山房札記」は「サンボウサッキ」と発音する。これがまずわかりにくくなっているかもしれない。発音できたとしても、「サッキって何?」ということになりそうだ。『日本国語大辞典』は「さっき[劄記]」という見出しをたてている。「劄」は『康熙字典』にも載せられていない字だ。
さっき [劄記]〔名〕(「さつ」は「劄」を「札」の義に用いた慣用音で、ものを書きしるす簡札) 読書したり、話を聞いたりしたときの感想・意見などを、気のむくままに書き記すこと。また、その記録。随想録。「二十二史劄記」「洗心洞劄記」など。
 要するに、「札記・劄記」は読書時などに思ったことを気のむくままに書いたもの、ということになる。「山房」は〈山の中の家〉であるが、転じて〈書斎・書室〉という語義で使われることもある。山の中だから〈風雅な〉という意味合いも併せもっているとみてもよいだろう。ちなみに夏目漱石の使っていた原稿用紙には「漱石山房」と印刷されている(当連載第4回参照)。
【図2】はいつものとおり奥付の頁であるが、「著者検印」のところにおされている印をみると「千朶せんだ山房さんぼう」とある。鷗外は千駄木町57番地に住んでいたことがあり、その家を鷗外は「千朶山房」と呼んだ。「朶」には〈枝〉という字義があるので、鷗外は「千駄木」から「千朶」という(それこそ)風雅な呼称を考えたのであろう。

【図2】

 鷗外がこの家を離れた後、同じ家に夏目漱石が移り住み、漱石がその家を離れた後には魯迅が住んでいる。そして現在では「森鷗外・夏目漱石住宅」という名称で、博物館明治村に移築されている。もしこの家が話せたら、「鷗外、漱石、魯迅が住んで、めぐりめぐって明治村かあ」とでも言いそうだ。
 さて、【図1】本書の扉には、「菜花/莊蔵」「晶子」という朱印がおされている。【図3】は表紙見返しに貼られている紙であるが、これを翻字してみよう。
明治の歌人、與謝野あき<※原文ママ-筆者註>子の舊蔵本である。
 「菜花莊藏」の印は與謝野ひろし(鉄幹)の藏書印であるから寛が
 何れ森鷗外(著者)から寄贈を受けたものであろう。寛は著者
 と明治二十四、五年頃より交誼ありて自分の詩歌集「檞之葉」の如きは
 自筆本を贈っている。又、大正十一年鷗外全集刊行に際しその主任となつ
 たことなどで両者の関係を知ることができる。
 本書は著者晩年の名作であつて寧ろ純然たる歴史書で、博識の程に自
 から敬服の念を禁じ得ない。大正十一年六月没。
 後に見んとする者かたくるしき味なき小説なりと思はず再讀又
 三讀すべし此の一書をもつてしても鷗外の全貌を知り得べし

【図3】

 つまりこの本には与謝野寛と与謝野晶子との蔵書印がおされていることになる。だからといって、鷗外から「寄贈を受けた」かどうかはわからないが、貼り紙が述べるように、両者のかかわりは深く、その可能性はある程度はあるだろう。もしもそうだとすると、刷り上がった『山房札記』を鷗外が、与謝野寛、与謝野晶子夫妻に贈った。そこに寛、晶子が蔵書印をおした。のちにそれを入手した人物が、宣伝文のような趣きのある貼り紙を書いた。その本を、今、筆者が所持していることになる。これまた「めぐりめぐって」だ(当連載第6回参照)。
 春陽堂から大正8年に出版された「具体的なかたち」をもつ『山房札記』が、鷗外から与謝野寛、与謝野晶子に贈られ、その本が当時のまま「具体的なかたち」を保ちながら、そして本と人との接触の痕跡を蔵書印という「具体的なしるし」として残しながら、人と人との間を動いていく。それがおもしろいし、本の「歩み」、人の「歩み」ということを思わせる。「歩み」とは一歩、一歩ということでもある。人の「歩み」が(人類発生以来というと、ひどく大げさになってしまうが)ずっと一歩一歩であることは変わらず、そのようにしか歩けないとすれば、それが「人の速度」といえるかもしれない。「人の速度」は「人の思考の速度」にもつながっていそうだ。
 さて、『山房札記』においては、漢字に振仮名がほとんど施されていない。「ほとんど」とは少しは施されているということであるが、例えば「播磨のむろ」「分疏いひわけ」(13頁)では固有名詞(地名)の「室」に振仮名が施されている。鷗外は「イイワケ」という和語を、例えば「言訳」とは書かずに、漢語「ブンソ(分疏)」にあてる漢字列を使っている。というよりも、「そう書きたかった」ようにみえる。
『日本国語大辞典』は見出し「ぶんそ[分疏]」の語義(二)に「いいひらきをすること。弁解すること。いいわけ」と記している。この語釈からすれば、「ブンソ」は「イイワケ」ということになる。一方、見出し「いいわけ[言訳・言分]」の語義(一)は「物事の筋道を明らかにして説明すること。言説」で、語義(二)は「事情を説明して、失敗などの弁解をすること。また、身の潔白を証明すること。申し開き。弁解」と記されている。この語義(二)には「失敗などの弁解」とあって、自分から失敗を認め、その理由を説明するという含みがありそうだ。そういう、「失敗を背景にした弁解」ではないということを示すために、鷗外は一般的に「イイワケ」にあてられていた漢字列「言訳」を使わなかったのではないか? というのが筆者の「みたて」であるが、どうであろうか。
 こんなふうに、記されたことばをめぐって「ああでもないこうでもない」と考えることもまた「めぐりめぐって」だ。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。