【第28回】満月の光を浴びながら

 ぼくは、あまり失くし物をしないタイプなのですが、最近、珍しく、どこを探しても見当たらない物の存在に気づいたのでした。
『月光浴』という写真集です。
 著者は、写真家の石川賢治さん。
 書名のとおり、太陽光ではなく「満月の光だけ」で撮影された自然風景の写真集なのですが、これが、じつにいいんです。
 ひとつひとつの写真のなかに「青い静謐」がそっと閉じ込められているようで、これを眺めていると、不思議なくらい心がすうっと落ち着いてくるのです。
 でも、なぜかその写真集が書棚に、ない。
 う〜ん、誰かに貸したかな?
 もし、ぼくから借りた覚えのある人が、これを読んでいたら、返却をお願いします。なるべく早くネ。
 さて、写真集『月光浴』が見つからずにいたその夜、なんとなく換気をしようと執筆部屋の窓を開けると、外はふわっとした優しい光で満ちていました。
 なんと、偶然にも満月なのでした。
 そうか、写真集で『月光浴』を堪能できないのなら、自分が外に出てリアルに月光浴を愉しめばいいじゃないの。
 というわけで──、
 さっそく、ぼくは夜道へと繰り出したのでした。
 なるべく月の光を味わいたいので、できるだけ街灯のない路地を選んで歩いていきます。
 暗ければ暗いほど、満月の光は存在感を発揮して、ぼくの足元をやわらかく照らしてくれました。
 見上げた農家の瓦屋根も、すぐそばの生垣の葉っぱも、その1枚1枚がひとしく月光を浴びて、つやつやと輝いています。

葉っぱを透かすほど明るい満月の光

 うん、月光浴をしながらの散歩、いいな──。
 静かな夜の匂い。
 草むらから湧き上がる虫たちの歌声。
 襟元を撫でる夜風までが「青い静謐」に彩られているような気がしてきます。
 ぼくはバニラアイスみたいな月を眺めながら、ゆっくりと深呼吸をしました。
 暗い道を抜けると、すぐに街灯や自動販売機の明かりが目につきます。ふだんはあまり意識したことがなかったのですが、人工の明かりって、ものすごく明るいんですね。
 月明かりが「軟質」なら、街灯や自販機の明かりは「硬質」に感じます。
 そんな煌々とした明かりのなかを歩きながら、ぼくは思いました。
 夜って、もう少し暗くてもいいんじゃないかな、と。
 夜がしっかりと暗いって、じつは、それだけで「夜らしい」という風情を感じられるような気がしたんですよね。
 でも、やっぱりアレかな。暗いと犯罪や事故が増えたりしそうだから、なかなかそうもいかないのかな?
 満月の光を味わいながら散歩を続けたぼくは、コンビニに立ち寄りました。せっかくなら、満月みたいなカップのバニラアイスを買って帰ろうと思ったのです。
 コンビニからの帰途、ぼくはiPhoneのカメラで満月をロックオン。そのままシャッターボタンを押したのですが──、しかし、撮れたのは「青い静謐」ではなく、黄色っぽい写真でした。
 う〜ん……、まあ、いっか。
 いまは写真の色より、アイスが溶ける前に帰宅することの方が大切だ。
 花より団子。
 月よりアイス。
 そんなことを考えながら、清々しい月光浴の散歩から帰宅したのでした。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「おいしくて泣くとき」「森沢カフェ」「ぷくぷく」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。