南條 竹則

第5回【前編】鴛鴦

 御存知ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の『怪談』に、「鴛鴦おしどり」という短い話がある。
 陸奥むつの国、田村の郷の猟師が鷹狩りに出たが、いっこうに獲物がない。帰り道、赤沼という沼に鴛鴦のつがいが泳いでいるのを見つけた。
「おしどりを殺すのは感心したことではない。しかし、村允そんじょうはちょうどひもじいおりだったので」(平井呈一訳)矢を射たところ、矢は雄鳥にあたった。
 すると、その夜の夢に美しい女が現われて猟師を激しく責めた。何も悪いことをしない夫を、なぜ殺したのか。あなたは自分のしたことがわかっていない。明日赤沼に来ればわかるだろう──そう言って女は消える。
 翌朝、猟師は夢のことが気になり、赤沼へ行ってみた。
 すると昨日の鴛鴦の雌がまだそこにいて、逃げもせずに、こちらへまっすぐ近づいて来る。そして猟師の目の前へ来ると、己のくちばしで胸を突いて死んだ。
 猟師はこれを機に出家する、という話である。
『怪談』の諸篇にはおおむね粉本ふんぽんがあり、この話は『古今著聞集』巻二十の「おしどり」に基づくものだ。ハーンは日本語の物語の大枠を借りながら自由にこれを語り直す、いわゆる「再話」を行っている。だから、しばしば原作にないことを書き加えるが、この話でも、『著聞集』の方には、べつに鴛鴦を殺すのがよろしくないとは書いていない。
 もちろん、鴛鴦が夫婦愛の強い鳥だということは中国で古来言われてきたことで、晋の崔豹さいひょうの『古今注』という書物に次のような記述がある。

「雌雄未だ嘗て相い離れず。人其の一を得れば、則ち一は思うて死に至る。故に匹鳥と曰う」*1
『著聞集』の話の語り手はこうした通念によって物語を作ったのだろう。
 しかし、日本人が戦前までこの鳥を食べていたことを示す記述が、志賀直哉の小説にある。
「十一月三日午後の事」という短篇がそれだ。大正8年1月の「新潮」に掲載されたもので、小説というよりも身辺雑記のような淡々とした筆致で、ある日の午後の体験を描いている。
 この話の主人公は東源寺という寺のそばの鴨屋へ行く。鴨料理屋ではない。生きている鴨を買いに行くのだ。
 ところが──

鴨は一羽もなかった。その朝丁度東京へ出したところだと云う。そして「今あるのはおしどり位なものです」と云った。*2
 執筆当時、志賀直哉は千葉県の我孫子に住んでいた。この作品の舞台も我孫子で、鴨は手賀沼でとった鴨だろう。鴨だけでなく鴛鴦もとっていたことがわかるが、「おしどり位なものです」という鴨屋の言葉は何を意味しているか。
 わたしは鴨より品物として劣るということだと思う。
 鴨、家鴨あひる鵞鳥がちょう、鳩、うずら──家禽も野鳥もさまざまな鳥を料理する中国だが、鴛鴦の料理というのはあまり話に聞かない。
 わたしの知る唯一の例は、宋の林洪の『山家清供』に載っている「鴛鴦炙えんおうしゃ」という料理である。
 著者が安徽省の廬江に遊び、知人の家に滞在していた時、蟹のはさみで一杯やっていると、たまたま猟師が2羽の鴛鴦を持って来た。
 さっそく熱湯につけて毛を抜き、油で焼き、酒や醤、香料を加えてから、さらに蒸し焼きにした。

酒も吟詠もじゅうぶん楽しんだあとのその味は、またひとしおであった。そこで詩を作り、「盤中の一箸は痩せたるをいとなかれ、入骨の想思は定めて肥えられず」と詠じた。*3
 詩を見ると、この鳥の肉は脂がのっていなかったことがわかる。けれども、著者はその前にすでに蟹の螯で一杯やっており、腹もそこそこくちていたから、野趣ある珍味として喜んだのだと思われる。
 ある人曰く──昔、『山家清供』を読んだ好事家が中国で鴛鴦料理をあつらえて食べてみたが、ボソボソしていて美味くなかったと。
 だから、「おしどり位なものです」となるのだ。
【註】
*1中村喬訳『中国の食譜』東洋文庫126頁の注から孫引する。
*2「小僧の神様・城の崎にて」新潮文庫93頁。
*3『中国の食譜』124頁。



この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に小説『あくび猫』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)