第9回 齋藤茂吉『あらたま』強い光

清泉女子大学教授 今野真二
 齋藤茂吉の歌集『あらたま』(【図1】表紙)は、アララギ叢書の第10編として、大正10(1921)年1月1日に春陽堂から函入りで発行された(【図2】奥付)。本文は「大正2年」~「大正6年」の章立てで構成され、巻末に「あらたま編輯手記」が置かれている。

【図1】

【図2】

 塚本邦雄は『茂吉秀歌 『あらたま』百首』(文藝春秋、1978年)において、『あらたま』について、「標題は森鷗外の小説『青年』及び『雁』の中の一節、「次第にあらたまから玉が出来るやうに、記憶の中で浄められて、周囲から浮き上がつて、光の強い、力の大きいものになつてゐる」「まだあらたまの儘であつた。(略)」に暗示を受けたやうだ」(18頁)と述べている。「あらたま編輯手記」で齋藤茂吉自身が森鷗外の『青年』及び『雁』の一節を引き、「僕は自分の歌集が佳い内容を有つてゐることを其の名が何となし指示してゐるやうな気がして秘かに喜んでゐた」と述べている。
 塚本邦雄はまた「私はそのかみ始めて『あらたま』を通読した時も、数十年後の今日、一首一首鑑賞した時も、この輝ける大正4、5年作品に激しい愛着を覚え、かつ畏敬の念を懐く。この後も変ることはあるまい。また変つてはなるまい」とも述べている。齋藤茂吉の『あらたま』を起点にして、塚本邦雄、岡井隆の「よみ」を「よむ」ということをいつの日かしてみたいというのが筆者の「夢」だ。  
「あらたま編輯手記」には次のように春陽堂とのかかわりについて述べられている。
 大正8年1月に用事あつて東京に帰ると、古泉千樫君の云ふには、早く「あらたま」を纏めないか。そして春陽堂から発行しないか。さういふから、春陽堂の小峯氏にも会つて、「あらたま」の原稿や雑誌の切抜を持つて長崎に来た。さて夏に入つてぼつぼつ纏めようとしたが、その頃不自由な生活をしてゐるのに、夏ぢゆう病院にも休まないで勤めたりなどして、編輯がなかなかはかどらない。それに、いざ清書しようとすると、見る歌も見る歌も不満で溜まらない。さればとて其を棄ててしまふと、歌の数が減つてしまつて、歌集の体裁を為さなくなるであらう。それなら、いま歌が直せるかといふに、さういふことはなかなか出来るものでない。落胆と失望とで為事が中絶した。
 齋藤茂吉が『あらたま』をまとめるために、苦労したことが窺われる。『あらたま』には746首が収められている。「あらたま編輯手記」には「僕は僕の改作の迹を暴露させて見ようと思ふ」とあり、歌の「改作の迹」が8例示されていて、これは非常に興味深い。そのうちの一例をあげる。
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子かすかにるも (原作)
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子幽かにあゆむ (改作)
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子幽かに来つつ (改作)
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子むかう歩めり (改作)
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子坂のぼりつつ (改作)
「大正三年」「冬日」という小題のもとに最後のかたちが収められている。「原作」と各「改作」とは「ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子」までは同じで、最後の7拍だけが異なる。つまり、角兵衛獅子かくべえしし童子どうじがどうしたか、というところだけを「改作」している。「カスカニ+動詞」というかたちが3つ続き、それを離れて「むかう歩めり」とし「坂のぼりつつ」を最終形としている。「カスカニ+動詞」と「むかう歩めり」は向こうの方を歩いているという「ムコウ」の「ぼんやり感」とでもいうもので、連続しているようにみえる。
 茂吉は「角兵衛童子」をはっきりとしたものとして描写したくなかった。いや、ぼんやりとしたものとして描写したかった、というべきか。動詞「クル」はむこうからやってくるということで、具体的な動作をあまり想起させない。それに対して「アユム」はどういう風に歩んでいるかということはあるが、ある程度具体的な動作を思わせ、ある程度「読み手」の「イメージ」を喚起する。そこでも茂吉は迷っているようにみえる。抽象的に「クル」とするか、具体的に「アユム」とするか。迷っているのは「ぼんやり感」をどう表現するかということと、それとのかねあいで動詞をどうするか、ということであろう。そうした迷いを「のぼりつつ」というかたちで解消した。
 言語表現における抽象度と具体度ということを最近よく考えるようになった。虹のたつ冬空のもとの「角兵衛童子」を実見したことのない筆者には「のぼりつつ」がどの程度表現としてバランスがとれているかはわからないとしかいいようがない。しかしそれでも、きっとほどよいバランスがとれているのだろう、と思う。こういうところに「伎倆ぎりょう」が出そうにも思う。
 拙書『日日是日本語』(岩波書店、2019年)の8月13日のところに、川端康成の『みづうみ』にでてくる「柴犬をひいた少女」について唐突な「妄想」を書いた。北村太郎の『港の人』(思潮社、1988年)に収められている29という番号の詩に「犬が/跳ねながらこちらにのぼってくるらしい/いっしょに来る人は/日没を見たろうか」とあり、犬と「いっしょに来る人」が『みづうみ』の「柴犬をひいた少女」ではないか? というものだ。齋藤茂吉の作品をよんでいて、坂をのぼりつつある角兵衛童子の「イメージ」がさらにそこに重なってきてしまった。塚本邦雄は「宝石原礦げんこう」という語を使っているが、「あらたま」から発せられた光が筆者に見させた「妄想」だろうか。
 ちなみに【図3】は、『あらたま』「大正五年」の章末に掲載された、木下杢太郎もくたろうによる挿絵「五月末」。

【図3】

(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。