【第29回】メメント・モリサワ

 最近、ぼくのお気に入りの喫茶店では「スパークリング珈琲」を飲ませてくれます。
 まだメニューにもない、常連だけが知っている試作品です。
 そういうのが飲めるって、ちょっと嬉しいですよね。
「スパークリング珈琲」とは、ざっくり言うと、濃いめのアイスコーヒーを炭酸で割って、そこに潰した果実(日によって違う)を投入したものです。
 コーヒーのコクと苦味、果実の酸味と甘み、それらが炭酸によって口のなかでパーンと弾ける、まさに「大人の夏っ!」って感じの逸品です。

スパークリング珈琲

 その日も、ぼくは「スパークリング珈琲」を飲むために、ぶらぶらと近所の道を歩いていました。頭を殴られるような日差しを避けるため、ちょっぴり遠回りだけど、樹々の多い日陰の道を選びながら。
 喫茶店に着くと、ぼくは「どうも、どうも」と言いながら、いつものカウンター席へ。そして、マスターと「今年もヤバい暑さだよねぇ」なんて、他愛のないおしゃべりを愉しみながら、キンキンに冷えた「スパークリング珈琲」を飲みはじめました。
 うん、やっぱり美味しい。
 少しして、マスターが別のお客のコーヒーを落としはじめたので、ぼくは何となくスマートフォンを手にしました。そして、SNSのタイムラインに目を通していると──。
 え……。
 その瞬間、世界から音が消えました。
 ぼくが編集者だった頃から、何度も仕事でご一緒させて頂いた装丁家(ブックデザイナー)の訃報と出合ってしまったのです。
 その訃報は、装丁家のご家族が書かれたもので、SNSの投稿としては、かなりの長文でした。
 ぼくは、それを二度繰り返して読みました。
 投稿には、在りし日の装丁家の写真や動画も付いていました。
 この人と、もう会えないなんて──。
 写真のなかの装丁家は、愛嬌たっぷりに笑っていました。
 ころん。
「スパークリング珈琲」のグラスのなかで、溶けた氷の音がしました。
 その音を合図に、ぼくは、ひとりの世界から戻ってきました。
「俺は、こういう風に死にたいんだよ」
 生前、装丁家は周囲の人たちに「理想の臨終」について話していたそうです。そして、実際、その通りの亡くなり方をしたのだとか。
 ぼくにとっては、唯一、その情報だけが救いとなりました。
 スマートフォンをカバンにしまって、「ふう」と息をついたら、マスターがぼくを見て、にっこりと笑いかけてくれました。
「やっぱり、美味しいよね、これ」
 ぼくは、そう言って「スパークリング珈琲」を飲み干すと、喫茶店を後にしました。
 帰り道も、行きと同じく日陰の道を選びました。
 ところが、同じ道を歩いているはずなのに、ぼくの目にはまるで違った風景に映るのでした。
 世界の彩度が上がって、きらきらして見えたのです。
 草木も、夏空も、木漏れ日も、目に見えない風までも。
 ふと、道端に生えている小さな黄色いキノコが目に留まり、ぼくはしゃがみ込みました。

作り物みたいな色をしたキノコ

 絵本に出てきそうなくらいカラフルなキノコだな──、と思いながら写真を撮っていると、なぜか脳裏にラテン語の一節がよぎりました。
 メメント・モリ。
 死を忘れるな、という意味の警句です。
 ああ、そうか──、とぼくは胸裏で頷きました。
 装丁家の「死」は、ぼくに「生」を意識させてくれたのです。
 だからこそ、目の前の風景がきらきらして見えたに違いありません。
 ぼくは、ふたたび歩き出しました。
 そして、自分なりに五感を開いてみました。
 頭上から降り注ぐ無数のセミの声、むっとする草いきれ、サウナみたいな蒸し暑い熱気、背中を伝う汗の感覚──、「暑すぎるだろ」とボヤきながらでもいいから、すべてをしっかり味わっておこうと思いました。
 だって世界は、きらきらしているのだから。
 今日からぼくは、死を意識することで生を輝かせて生きる「メメント・モリサワ」になりますので、宜しくお願い致します。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「おいしくて泣くとき」「森沢カフェ」「ぷくぷく」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。