【第30回】人生をバラ色にする方法

 人生には三つの坂があります。ひとつは「上り坂」、ふたつめは「下り坂」そして、みっつめは「まさか」です──、なんていう使い古された結婚式のスピーチがありますが、先日、ぼくはその「まさか」と出合ってしまいました。
 熱中症になったのです。
 喉が渇いたなぁ、と思いつつも、我慢して自宅の廊下で棚を組み立てていたら、いきなり目眩がしはじめて、気づけば「ハアハア」と変態みたいに呼吸が荒くなり、やがて倒れてしまったのです。
 しかし、往生際の悪いぼくは、倒れる直前に、冷やした経口補水液をガブ飲みし、さらに氷嚢で鼠蹊部そけいぶ頸動脈けいどうみゃくなどを冷やしたので、ぎりぎり救急車を呼ばずに済みました。
 いまだから言えますが、「うそ、俺、死ぬの?」と思いましたし、復活してからも、3日間くらいは、後遺症で身体の調子がすこぶる悪かったです。
 というわけで、転んでもタダでは起きないぼくは、この「まさかの経験」を生かして、「散歩をする前には水分補給」を心がける人間へと成長したのでした。
 つい先日も、散歩の前に麦茶をごくごく飲んで、出発。
 外はかんかん照りでしたが、真夏の開放的な感じは嫌いではありません。
 サルスベリの花のピンク色、マッチョな入道雲のまぶしい純白、水たまりに揺れる小さな世界──、ああ夏だよなぁ、でも、執筆ばかりでどこにも行ってないよなぁ、なんて思いながら、いいペースで歩いていました。

海か川に飛び込みたくなる夏空

 ところが、しばらくすると下腹部に違和感が。
 尿意です。
 出発前に麦茶をガブ飲みしたのがマズかったようです。
 ヤバい、ヤバい、と少し慌てながらも、近くにあるコンビニに飛び込んだぼくは、心のなかで勝手に「セーフ」とつぶやいていたのですが、なんと、その店のトイレのドアには、こんな張り紙があったのです。
『新型コロナウィルス感染予防のため、現在、トイレの貸し出しは中止とさせて頂いております』
 えええええ〜っ!
 ぼくは慌ててその店から飛び出しました。
 そして、満タンの膀胱に振動が伝わらないよう、忍者のごとく足音のしない歩き方でもって自宅へと急ぎました。
 いい歳して、立ちションは出来ないよなぁ……。
 つーか、日本政府よ、俺たち国民はトイレが心配で、もはや散歩もロクにできないではないか。こうなった以上、主要道路には200メートルおきに公衆トイレを設置してくれ!
 もはや脳内がパニックになりかけていたぼくは、そんな阿呆なことを考えながら、必死に腰から下を動かし続けるのでした。
 なんとか自宅の近くまで戻って来た頃には、すでに全身から冷や汗がダラダラ。そのせいで脱水症状になり、ふたたび熱中症になってしまうのではないかと心配になるほどでした。
 やがて帰宅したぼくは、ぎりぎりのところでトイレに飛び込み、セーフ。
 放尿中は、あまりの解放感で、目の前がきらきらのバラ色に♪
 人生をバラ色にしたいなら、おしっこを極限まで我慢してから放尿すればいい、ということを学びました。
 さらに、転んでもタダでは起きないぼくは、この「バラ色の経験」を生かして、「散歩の前と途中でこまめに水分補給」を心がける人間へと成長したのでした。
(写真は全て筆者撮影)

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「おいしくて泣くとき」「森沢カフェ」「ぷくぷく」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。