#12 「誕生」 木滝りま
 相方のユリが、その太った体を震わせ、泣きじゃくりながら、不倫の子を身ごもった、と告白してきた時、トキオは、ついに来るべき瞬間が来たことを知った。
「その子を堕ろしてはいけない。絶対に産め」
 トキオは、表情ひとつ変えずに言う。ユリは、泣き腫らした顔を上げ、驚いた様子でトキオを見た。
「でも相手には、奥さんも子供もいるんだよ? 別れる気はないって言うし、産んだって幸せになんか……」
「オレが父親代わりになる」
 ユリは、言葉も忘れ、ぽかんとなった。無理もない話だった。
 トキオは、サイコパスキャラとして世間では知られている。ボケ担当のユリに、トキオが繰り出す血も涙もないクールなツッコミは、シニカルな笑いを呼び、ふたりは、お茶の間で人気の漫才コンビだった。しかしユリが知る限り、トキオのキャラは、作ったものではない。トキオは、プライベートでも一切、感情というものを見せたことがなかったのだ。恐ろしく頭は良いが、心がない男──それがトキオに対する、世間やユリの見方だった。
「あのね、私が妻子ある人の子を身ごもったっていうのは、シャレや冗談じゃなくて、本当の話なんだよ?」
「ああ。だから、オレが父親代わりになると言ってるんだ」
「それって……私と結婚するってこと? トキオ、私のことが好きだったの?」
 まさかとは思いつつ、ユリは、おずおずと尋ねた。
「勘違いするな。オレは、お前と結婚する気はない。好きな気持ちも1ミリもない」
「じゃあ、どうして?」
「オレはただ、父親として、お前のお腹に宿った子を育てたいんだ」
「だから、どうしてよ? この子は、トキオとは血の繋がりも何もない赤の他人なんだよ? 意味わかんないし……」
 ユリは、不審な目でトキオを見た。
(まずい……)
 トキオは、頭の回路を目まぐるしく回転させた。そして蓄積されたビッグデータの中から、ユリが信じるに足る理由を捻出し、それを口にする。
「オレの母親は、シングルマザーだった。苦労を重ねた挙句、5歳の時にオレを残して死んだ。それからオレは施設で育ったんだ。ユリ、お前の子に、オレと同じ苦労はさせたくない」
「トキオ……」
 ユリはつぶやき、再び膨大な量の涙をその目から流し始める。
「知らなかった……知らなかったよ。トキオにそんな過去があったなんて……。私、トキオのこと誤解してた。世間の人と同じように、サイコパスなんじゃないかって思ってた。でも本当は、人間らしい、優しい心を持った人だったんだね」
 ユリは、楽屋にあったティッシュで涙を拭い、話を続けた。
「考えてみたら、トキオには、助けられてばかりだね。人気者になれたのだって、トキオのおかげなのに……私ったら足引っ張ってばかりで……ごめん……ごめんね。うわぁん、どうしよう。そんなに優しくされたら、トキオのこと好きになっちゃうよぉ~!」
「いや、好きになられては困る……」
 トキオは、抑揚のない口調で答えたが、その言葉は、ユリが鼻をかむ、けたたましい音にかき消された。
「……わかった。私、この子を産む。トキオが一緒に育ててくれるんなら、もう迷わない。私、この子を産んで大事に育てるよ」
 ユリは、決意したようだ。トキオは、冷静な顔でうなずく。
(それにしても、あんな話を簡単に信じるとは……ユリが単純な女で助かった)
 トキオがユリに語った過去話は、むろん作り話だ。トキオに、母親はいない。強いて言えば、この時代の人間でもない。未来人……という呼び名も、的確ではないのかもしれない。トキオは、AIが搭載されたアンドロイドだ。ある目的があって、100年後の未来から、この時代にやって来たのだ。その目的とは、人類滅亡の歴史を変えること……。
 100年後の未来では、地球温暖化の影響で砂漠化が進み、人類は未曽有の食糧難に陥る。
 僅かに残った緑地を巡って各国は戦争を始め、人類は、ついに滅亡してしまうのだ。
 核に汚染された地球の中で、たったひとり生き残ったアンドロイドのトキオは、検索したデータの中から、人類が滅亡を逃れる切り札を見つけ出した。そしてディープラーニングで自らタイムマシンを作り出し、この時代にやって来たのである。
 ……そう。ユリのお腹の中にいる子供こそが、その切り札だった。彼が未来で研究開発する土壌の緑化を促進する新種のシロアリこそが、人類を飢えや戦争から救う鍵なのである。
 しかし現実の歴史の中では、人々はその研究の価値に気づかず、ユリの子供も貧しい境遇のうちに早死にしてしまう。トキオの目的は、その子の命を守り、彼の研究が日の目を見るように手助けすることだった。
「とにかく、ユリは子供を無事に産むことだけを考えていればいい。あとのことは、すべてオレに任せろ」
 トキオは告げると、さっそく行動を開始した。
 妊娠中のユリのために、仕事をセーブしてもらえるよう、事務所の社長に掛け合ったのだ。コンビで産休、育休も取りたいと願い出たトキオに、社長は驚き、ぽかんとなる。
「コンビで育休って、マジか!? …てか、お前らそういう関係だったのか!?」
 翌日の新聞各紙やテレビのニュースは、トキオがユリを妊娠させたという話題で騒然となった。トキオは、それまでのサイコパスキャラから一転、子煩悩なパパキャラへと変貌を遂げる。その人気は下がるどころか、ウナギ昇り。コンビは、オムツやミルクのCMに引っ張りダコとなった。
 そんななか、トキオは都内に、子供と3人で暮らすための一軒家を購入する。築50年のボロ家だ。
「なんかシロアリが出そうな家だね。私たち、人気者なんだから、何もこんなところに住まなくたって……」
 新居を見て、ユリは難色を示す。しかし、トキオは言った。
「シロアリは大事だ。シロアリは、人類を救う」
「…え?」
「とにかく、ここはオレたちにとって理想の家なんだ」
「そう? まあ、トキオがそう言うんなら……」
 ユリは同意する。トキオの頭の中は相変わらず理解できないことだらけだが、自分と子供のために一生懸命になってくれるトキオのことを、ユリは全面的に信じ、トキオの言葉なら、素直に従える気持ちになっていた。
 トキオは、その脳内にあるビッグデータの中から、この時代の日本で一番良い産婦人科病院を選び、ユリを健診に通わせた。もちろんトキオも付き添って一緒に通う。
「赤ちゃんは、順調に育ってますよ。元気な男の子です」
 産婦人科医が、モニターに映ったエコー画像をふたりに見せる。
「羊水インデックス、心胸郭断面積比、胎嚢、標準偏差、すべて異常なし……」
 トキオは、その画像を食い入るように見つめ、つぶやいた。
 父親学級にも、積極的に参加した。
 妊婦ジャケットを着用し、その重さや動きにくさを男性にも体験してもらう妊娠体験や、赤ちゃん人形を使った抱っこ、オムツ替え、沐浴の練習にも熱心に取り組む。
 トキオは、基本的な育児をすぐにマスターし、父親学級の中の誰よりもスピーディーに、オムツ替えや産着の着せ替えができるようになった。
 それは、予定日の2日前だった。トキオが仕事から戻ると、臨月のお腹を抱えたユリが、新居の縁側にうずくまっていた。トキオは、すぐさま駆け寄っていく。
「ユリ、どうした!?」
「陣痛が来たみたい。お、お腹が……」
 見ると、ユリは破水していた。トキオは、車を手配し、ユリを病院へと運ぶ。予定より早い出産となったが、必要なものは、あらかじめ鞄に入れて用意しておいたので、迅速に対応できた。
「陣痛は、3分間隔。子宮口も開いてますね」
 診察した医師が告げる。ユリは、すぐさま、分娩室に運ばれた。トキオもつき添って一緒に入室したが、その間にもユリは、陣痛にのたうち、獣のような叫び声を上げていた。
(陣痛とは、これほどの痛みを伴うものなのか?)
 アンドロイドに痛覚はない。しかし悶え苦しむユリの姿から、その痛みがどれほどのものかは推し量ることができた。
(まさか……このまま死んでしまう、なんてことはないだろうな?)
 トキオは、不安を覚える。その時、看護師が言った。
「お父さん、手を握ってあげて下さい」
「は、はい……」
 トキオは、あわてて返事をし、ユリの手を握りしめた。
「ユリ、頑張れ! 力を抜いて。ひいひいふう、だ」
 父親学級で習った呼吸法を思い出し、トキオは、ユリを促す。
「ひいひいふう……」
 ユリは、痛みに顔を歪めながらも、トキオの言葉に従い、必死で呼吸を整えようとした。
「それ、ひいひいふう」
「ひいひいふう……」
 コンビの掛け合う声が、分娩室に木霊する。ふたりは、何度も何度も「ひいひいふう」を繰り返した。
 それから、どれくらい時間が経ったのかわからない。
「お父さん」
 ふいに声を掛けられ、トキオはハッとして後ろを振り向く。声をかけてきたのは、医師だ。
「生まれましたよ」
 見ると、医師の手の中には、生まれたばかりの赤ん坊の姿があった。それは、しわくちゃで、いかにも頼りなげだったが、力強い産声をあげていた。
 生まれてきた我が子をその手に抱いて、ユリは号泣する。そして、「ありがとう……」と何度も繰り返した。トキオは、その姿を放心しながら眺めていた。
(これが、生あるものの奇跡なのか……)
 やがて看護師が、産着にくるまれた赤ん坊をトキオに差し出した。
「お父さんも抱っこしてみます?」
「え……あ、は、はい……」
 そう返事をしたものの、トキオは躊躇った。抱っこのやり方は、父親学級でイヤというほど練習してきたが、人形と実物の赤ん坊では勝手が違ったのだ。ぎこちない手つきで、赤ん坊を抱く。その時、赤ん坊の小さな手が目に入った。トキオは、ふと、その手に触れてみた。すると、赤ん坊は、トキオの手を握り返してきた。
(温かい……)
 小さな手の温もりが、その柔らかな感触が、人工皮膚に覆われたトキオの手に染み渡った。
(赤ん坊の手というものは、こんなにも温かいものだったのか……) 
 トキオの中に、今まで知らなかった不思議な感覚がこみ上げてきた。
 温かさは、赤ん坊が手を離したあとも、いつまでも、トキオの手の中に残り続けた。
(この温もりを抱いて、どこまでも行こう……)
 そう決意したトキオの目には、人間の父親のような優しい光が宿っていた。


家族のかたち 丸山朱梨×木滝りま
ふたりのシングルマザーが、短歌→小説と連詩形式でつむぐ交感作品集。歌人の丸山朱梨と、脚本家の木滝りま。それぞれの作品から触発された家族の物語は、懐かしくも、どこか切ない。イラストは、コイヌマユキによる描き下ろし作品。
この記事を書いた人
小説/木滝りま(きたき・りま)
茨城県出身。脚本家。小説家。自称・冒険家。大学生の息子がいるシングルマザー。東宝テレビ部のプロットライターを経て、2003年アニメ『ファイアーストーム』にて脚本デビュー。脚本を担当したドラマ『運命から始まる恋』がFODにて配信中。https://www.and-ream.co.jp/kitaki-rima

短歌/丸山朱梨(まるやま・あかり)
1978年、東京都生まれ。歌人。「未来短歌会」会員。小学校5年生の息子がいるシングルマザー。https://twitter.com/vermilionpear

イラスト/コイヌマユキ(こいぬま・ゆき)
1980年、神奈川県生まれ。イラストレーター。多摩美術大学グラフィックデザイン学科非常勤講師。書籍の装幀やCDジャケットなど多方面で活躍。「Snih」(スニーフ/“雪”の意味)として雑貨の制作も行う。https://twitter.com/yukik_Snih