【第42回】


廃線になった砂利運搬鉄道「安比奈線」跡探索
 西武線について書いた本(辻良樹『知れば知るほど面白い西武鉄道』洋泉社)を図書館で借りたら、本当に面白くて西武線に乗りたくなる。たとえば西武新宿線「南大塚」駅に、かつて入間川から砂利を運ぶ「安比奈線」があり廃線となった後も痕跡が残っているというのだ。がぜん興味がわいてきた。しかし、その「南大塚」という駅がすぐにピンとこない。鉄道路線図をにらみ、西武新宿線の終点「本川越」の一つ手前の駅と知る。「本川越」へは年に何度か足を運ぶが、「南大塚」を意識したことはなかったのである。
『西武鉄道』に記載された「安比奈線」を、愛用する『でっか字まっぷ 埼玉』(昭文社)の該当ページに赤鉛筆でなぞって秋の一日、いざ出陣とあいなった。私の住む町では西武新宿線の最寄り駅となる「鷹の台」からは30分くらいか。電車内で地図を何度も確認、歩くべきルートを決める。このあたりからひとり遠足気分で、うきうきとしてくる。平日の昼間、こんなに気楽な63歳がいるだろうか。
 横綱、大関が大勢を占める「鉄」オタク分野では、私など新弟子検査にようやく合格したあたりに位置する。また幕内を目指そうとも思っていない。細分化された「鉄」趣味分野の一つに「鉄道廃線跡」があり、この人気も高く、宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く』(JTB)がシリーズで出ている。
 私が所持する1冊で、編著者の宮脇俊三が「廃線跡歩きのすすめ」と題する序論を書いている。さまざまな理由で鉄道路線が廃止されていく。「だが、廃線、それでおしまい、とならないのが鉄道趣味なのであって、『廃線跡をたどる』という新しい分野が開けてくる。一般の建造物なら取り壊されて跡形もなくなるが、廃線跡には何かしらの手がかりが遺される。トンネル、橋梁の跡、築堤や切通し、道床砂利(バラスト)、廃線跡が転用された林道や散歩道などである。これを探訪することは「史跡めぐりと考古学とを合わせたような世界になる」と宮脇はその楽しみについて熱っぽく語っている。
 まだ「鉄」のちょんまげも結えない私だが、府中の下川原しもがわら線、三鷹の武蔵野競技場前など、廃線跡が緑道となっている箇所を歩いた経験がある。立川から旧陸軍立川飛行場へ資材を運搬した引き込み線跡も「栄町」「西町」緑道として整備されていて、ここはよく自転車で通る。いずれも市民の憩いの散歩道として愛用されているのが歩くとよく分かる。
「安比奈線」については、今回私が参考にした「乗物ニュース」の記述が簡明で、これを借りる。
「鉄道西武新宿線の南大塚駅と、入間川の右岸河川敷にあった安比奈駅を結んでいた全長3.2kmの貨物線です。1925(大正14)年2月に入間川の川砂利輸送を目的に開業。その後、川砂利採取の規制強化などにより、1963(昭和38)年に運行を休止しました」。
「安比奈」は「あひな」と読む。現在、入間川西側に町名として残る「安比奈新田しんでん」の方は「あいな」である。もちろんそんなこと、今回関心を持つまで知らなかった。

 正午少し前に「南大塚」駅到着。降りた「下り」ホーム前方に、雑草の生えた休閑地があり、左へカーブしていることがわかる。これがおそらく「安比奈線」跡であろう。駅を出るとロータリー。ここには牛丼、立ち食いソバ、カフェなどのチェーン店はなく、がらんとしている。交番を過ぎて右側、斜めにカーブして回り込んでいく道があり、まさしくチェックした「安比奈線」跡と重なる。しばらく行くと、フェンスに囲まれ、錆びた線路がそのまま放置されていた。いずれこれらも撤去される運命にあるはずだ。

 すぐに国道16号線に出て、ここは大型車が頻繁に行きかう。「南大塚」駅周辺には線路際に「本田技研」「大林組」「ロッテ」「森永製菓」「光村印刷」など大型工場が立ち並ぶ工業団地で物流の拠点でもある。国道を越えると喧騒を背中に、静かな住宅街へ入る。道はなお緩やかにカーブし、「大袋」と呼ばれる町へ。このあたり一帯、いまだ田んぼや畑の広がる農業地で、秋の風が吹きわたっていく。酔狂と風情を楽しむ茶人の心境だ。
 しかし、鉄道の痕跡は見当たらない。路線跡も、現在の道路とは微妙にずれているようだ。途中、散歩している老婦人に「安比奈線」について尋ねると、農地を横切る草に埋もれた土手を指さし、「あそこがそうですよ。前は線路も残っていて、歩くこともできたけど、今は立ち入り禁止になって草も伸び放題なの」と教わった。鉄道跡なら「白髭神社」あたりまで行くといいとも。これで方向が定まった。私の所持する地図にも「白髭神社」は記載されている。
 神社に着いたのは駅から約1時間後。境内で休んでいると、犬を連れた老人が現れ、不審な目で見られたが、ここでも思い切って「安比奈線」と口に出してみた。すると、思いがけず再び情報を得られた。こんな目的がなければ、見知らぬ土地で、見知らぬ人に声をかけることもなかったろう。教わった道を歩くと、道路と交差して、かつて踏切があっただろう場所へ出た。道にまだ線路がそのまま残っている。ちょっと興奮して地面をパチリと激写。その両側、草に埋もれて線路が長く伸びている。

 その線路沿いからなるべく離れないように「池辺」という町を歩く。目の前にこんもりと樹木が生い茂る森を見つけ、これが「乗物ニュース」にあった「池辺の森」であろう。森の中を、電車が通らなくなった線路がずっと伸びていく絶好の撮影スポットらしかったが、現在は入口が閉鎖されて立ち入ることができない。しかしその手前、やはり道路に線路を見つけることができた。
 このあとも入間川河川敷近くまで、迷走を繰り返し探索し続けたが、結局「池辺の森」入口が現物を目視できた最後であった。駅から歩きどおしですでに2時間近くが経過し、疲労も極点に達した。『でっか字まっぷ 埼玉』には、入間川に架かる八瀬大橋の南に「大袋」というバス停表示が見えて、ここで多少待ってもバスを捕まえて駅まで戻るつもりだった。ところがこの地図は2002年の版で、バス路線は廃止されたのか、バス停は見当たらず結局歩いて駅へ。倒れこむように駅改札をくぐったら、万歩計は1万3000歩を超えていた。

美術の高校教科書に釘付け
 私がいま一番よく行く古本屋は国分寺「七七舎しちしちしゃ」だ。店主の北村誠くんとは、店を始める前からの顔見知りで、オープン時には古本屋ツアージャパン小山力也くんとコンビで店番をした。自転車でなら約4キロ20分の距離。昼時なら、国分寺洋食の名店「フジランチ」でランチを。「七七舎」で熱心に見るのは店頭の均一で、なにしろ2軒が合体した店だから均一の量も多い。まず買えない、ということはない。1本裏筋に「早春書店」という古本屋もできて、このエリアの古本血中濃度が増した感がある。
 この日も「七七舎」で何冊か買ったのだが、なかに高校の美術の教科書『高校美術2』(日本文教出版株式会社・1982)を1冊混ぜた。活字の本ばかりだと飽きる。このあと入る喫茶店「ジョルジュ・サンク」でコーヒーをすすりながらしばらく見るのにいい、と思ったのだ。そして正解だった。まず、この教科書より10年ほど前に高校生だった我々からすると、カラー印刷が見違えるようにきれい。私は高校時代の選択授業で「美術」を取ったが、担当のY先生は現役の画家で、美術の教科書を使わないし、生徒にちょっとした課題を与えた後は準備室で制作に励んでいるようだった。咎めているのではない。美術の先生はそれでいいし、なにより現役の画家であることが、我々高校生坊主に刺激を与えたのである。
 だから、「美術」の教科書をちゃんと見るのは今回初めてだった。しかし「絵画」「版画」「彫刻」「デザイン」とテーマ別に章分けし、それぞれ細分化して美術の世界や技法を図像入りで解説し、非常に勉強になった。たとえば巻頭の「美術と人間」でモローの水彩画、ルオーの油絵図版を掲げてこう書く。
「人間は、他の動物と同じように、『見る』ことができる。しかし、動物たちと違って、人間は『見た』ものを他に伝達することができる。いや、伝達することに喜びをさえ覚える。ときには、伝達しないではいられない欲求にかられるのである」
 うーん、とうなりました。簡潔にして絵を描くことの本質をやさしく説いている。「デザイン」の章で「レコードジャケット」を取り上げているのも、我々の時代にはなかった対応で意識が進んでいる。横尾忠則による「サンタナ」のレコードジャケットなど、たしかにこれを見ればほしくなる。
 というわけで、最初から最後までたっぷり時間をかけて『高校美術2』を見て、読んで楽しんだ。これはいい時間でした。このあと、調子に乗って隣りの市・武蔵小金井まで遠征。駅近くに移転した「中央書房」と、新小金井街道にある「はてな倶楽部」を巡ったのだが、途中、空き店舗のガラス窓に「古書みすみ」という古本屋の近日開店の告知張り紙を見つける。初耳の情報で、やっぱり町をうろつくのはいいものだ、と思ったのでした。
 
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)


『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。