南條 竹則
第8回【前編】 ハヤすと茶漬る
餃子はなぜギョウザというのだろう?
わたしはひと頃、そんなことを考えていた。というのも、「餃子」という字の標準中国語の発音は「ジャオズ」だからだ。
あれこれ調べた挙句、これは煙台あたりの方言だろうということに落ち着いたが、百パーセントそうだと言い切れる自信はない。この種の名称の由来というのは、中々断定し難いものだ。
ハヤシライスという料理名なども同様である。
精養軒の林さんがつくったからだという説もあれば、丸善の早矢仕さんが考案者だという説もある。英語のhashed beefから転訛したともいい、ハンガリーのグヤーシュという煮込み料理が起源だという人もある。
諸々の説のうちに、「はやす」という日本語の動詞に由来するというものがある。ここにいう「はやす」は「ワイワイ囃す」の「囃す」とちがって、英語のhashと同じ「細かく切る」という意味の古語だが、地方によっては近代まで使われていた。
泉鏡花の作品にもこれが再三出て来ることに気づいたので、以下に例を挙げてみよう。
まず初期の短篇「一席話」に、「やれ粥を煮ろの、おかうかうを細くはやせの、と云ふ病人が、」(岩波版『鏡花全集』巻二十七、117頁)とある。
「幻の絵馬」には、娘が父親に言うこんな台詞が──
知らないわ、そんな事を言ふんなら、かくやを刻して上げないから可い。(岩波版『鏡花全集』巻十七、330頁)
誰かがね、お腹を空かして、待つてると思へば、銀杏にも千六本にも、大根をちよきちよき囃すのが、(岩波版『鏡花全集』巻二十一、61頁)。
味噌漬の香の物。……其のくらゐな事は心得た。となりへ音のきこえぬやうに、細かく柔かにはやしてある。(同127頁)
明治大正期の日本人がどれくらいの頻度でこの動詞を使っていたか、他の作家の例も調べてみたら面白いだろう。「ハヤシライス」の語源究明に直接つながるかどうかは別としても、である。
食べ物に関係のある動詞の話をもう一つしたい。
(魚などを)さばく、料理するという意味で「料理る」という言葉を使う例は、戦前の作家の文章に散見されるから、読者諸賢もどこかで御覧になったことがおありだろう。
鏡花の場合、たとえば、「紀行」所収の「七宝の柱」という文章(大正十年七月)に、こうある──
此はしかし、活きたのを料られると困ると思つて、わざと註文はしなかつたものである。(岩波版『鏡花全集』巻二十七、558頁)
茶漬けをサラサラやるのを「茶漬る」。
「鬼の角」に「午飯を天丼で茶漬ッて」(岩波版『鏡花全集』巻一、576頁)とあり、年次不詳・左衛門宛の書簡下書にも、この言葉が使われている。
「……半ぴ会は催した塲所はいい上槙町のみよしと云ふ先づ居酒屋だね竹の子とむつの子のうま煮おさしみ少々赤貝とわかめの酢さつま汁とこれに御酒つきあとは茶づッて会費一枚は安からう、……しかし飲んだよ最も無事で皈つたよ」(岩波版『鏡花全集』別巻、384頁)
この「る」つき言葉、わたしも真似してみようと思う。
まずは鮨屋で──「イカる」「サバる」「アジる」「コハダる」「ヒラメる」。
洋食屋へ行って、「ピザる」「スパゲる」「サラダる」「ハンバグる」。
八百屋さんでは「ナスる」「キャベツる」「カボチャる」「タマネギる」。
中華料理で──「麻婆る」「青椒る」「回鍋る」「海参る」「フカヒレる」「熊掌る」──まだまだできる。
けれども、鏡花はこのやり方を飲食の世界の外まで広げているから、凄い。
「雑記」所収の「知つたふり」には、何と、「憚らず痴話つたが」(岩波版「鏡花全集」巻二八、396頁)とあり、「化鳥」に至っては「懐る」という表現がある。
片手懐って、ぬうと立って、笠を被ってる姿というものは、堤防の上に一本占治茸が生えたのに違いません。(『化鳥・三尺角』岩波文庫、14頁)
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┃この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)