柏木 哲夫

【第2回】タブーへの挑戦

自己距離化
 前回紹介した直腸がんの患者さん(58歳、男性)に関して、続きの話。回診のたびごとの患者と医者の川柳のやりとりを見て、奥さんが川柳に興味を持つようになりました。「川柳の勉強をしたい」と言われるので、家にあった川柳の入門書をお貸ししました。かなり熱心に読まれたようです。
 患者さんの病状は進み、衰弱が目立つようになりました。12月の半ば頃から、正月を家で迎えるのは難しいかもしれない状態になりました。患者さんは「最期の正月を家で」という思いが強く、奥さんも「寝正月でもいいので何とか家で正月を」という希望でした。ホスピスのチームカンファレンスで正月に外泊していただくことを決めました。寝正月でしたが正月3日間は自宅で過ごすことができました。奥さんがナースステーションに来られて言われました。「寝正月でしたが、最期の正月を家で過ごせてよかったです。主人の様子を見ていて、わたし、川柳を作りました」と言って、色紙に毛筆で書いた川柳を見せてくださいました。素晴らしい一句でした。
  がん細胞正月くらいは寝て暮らせ
 ナチスの強制収容所から生還したフランクルという精神科医は著書『夜と霧』の中でユーモアが持つ「自己距離化」という働きについて「一見、絶望的で逃れる途が見えないような状況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離をおかせる働きをする」と述べています。奥さんは川柳を作ることによって、夫の死という悲しい出来事と自分自身との間に距離を作ることができたのではないでしょうか。
タブーへの挑戦
 ユーモアが持つもう一つの働きに「タブーへの挑戦」があります。普通ではとても許されないことでも、ユーモアが介入すれば許されることがあります。
 大腸がんの手術を前にした中年の男性がいました。手術そのものも不安なのですが、彼は手術をする主治医にも不安を抱いていました。年齢も若く、何となく“頼りない”雰囲気があるのです。彼には川柳の趣味があり、自分の不安を川柳にしました。そしてナースに頼んで主治医に渡してもらいました。彼の一句は、
  御守りを医者にも付けたい手術前
 これを見た主治医の反応も素晴らしい。患者のところへ行き「安心してください。私若く見えますが、これでかなり歳を食ってるのです。それに大腸がんの手術に関しては、この辺りでは、私の右に出る医者はいません」と大ウソをつきました。しかし、患者さんは主治医のユーモアのセンスに脱帽。手術も成功裏に終わりました。


『柏木哲夫とホスピスのこころ』(春陽堂書店)柏木哲夫・著
緩和ケアは日本中に広がったが、科学的根拠を重要視する傾向に拍車がかかり、「こころ」といった科学的根拠を示せない事柄が軽んじられるようになってきた。もう一度、原点に立ち戻る必要性がある。
緩和ケアの日本での第一人者である著者による「NPO法人ホスピスのこころ研究所」主催の講演会での講演を1冊の本に。


この記事を書いた人
柏木 哲夫(かしわぎ・てつお)

1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務した後、米ワシントン大学に留学し、アメリカ精神医学の研修を積む。72年に帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。日本初のホスピスプログラムをスタート。93年大阪大学人間科学部教授に就任。退官後は、金城学院大学学長、淀川キリスト教病院理事長、ホスピス財団理事長等を歴任。著書に『人生の実力 2500人の死をみとってわかったこと』(幻冬舎)、『人はなぜ、人生の素晴らしさに気づかないのか?』(中経の文庫)、『恵みの軌跡 精神科医・ホスピス医としての歩みを振り返って』(いのちのことば社)など多数。