第13回:谷崎潤一郎『女人神聖』 木偏か手偏か

清泉女子大学教授 今野真二
『女人神聖』には「女人神聖」と「美食倶楽部」とが収められている。「女人神聖」は『婦人公論』に大正6(1917)年9月から翌7年6月まで連載されていた。谷崎潤一郎は明治19(1886)年に、東京市日本橋区蛎殻かきがら町2丁目14番地(現在の東京都中央区日本橋人形町1丁目7番10号)に生まれているので、大正6年には31歳であった。
 装幀担当者の名は、本のどこにも記されていないようにみえるが、小村雪岱こむらせったいによる。埼玉県立近代美術館監修『小村雪岱―物語る意匠』(2014年、東京美術)においては、「表紙は、木版刷りの朱一色の地に、金箔押しの「女人神聖」の文字を膠刷りの文様で囲む。光が反射することで浮かび上がるこの文様は、恐らく鏡か光背を表現したものであろう。タイトルと呼応した繊細な意匠である」(104頁)と述べられている(【図1】表紙/【図2】扉)。

【図1】

【図2】

 読み始めるとすぐに「うはさ近所きんじよ合壁がつぺきひろまつて」という表現にいきあたる。「近所合壁」は〈壁一重を隔てた隣〉つまり「トナリキンジョ(隣近所)」ということであるが、現代日本語ではほとんど使わない語であろう。また、「いかにもふさわしい」という語義の「ツキヅキシ」を使った「つき\/〈※おどり字・くの字点―筆者註〉しくびたうなじ」という表現なども、現代日本語との「距離」を感じさせる。表記でいえば、掲げた【図3】の1行目にみえる「自分じぶん縹緻きりやう」では、「キリョウ(器量)」という漢語を文字化するに際して、「ヒョウチ(縹緻)」という語義がちかい他の漢語に使う漢字列をあてていることなどは目につく。
 さて今回は【図3】の5行目の「くずぐりつこをしてわらはせて齒列はならびを觀察くわんさつしたり、」の「くずぐりつこ」を話題にしてみたい。振仮名は図でもわかるように、たしかに「くずぐ」となっている。「クスグル」ではなく、「クズグル」という語形が、当時あったことを確認することは現時点では難しい。したがって、このことについては話題にせず、「クスグリッコ」(の意味)が「櫟」によって文字化されているということのみを話題にする。

【図3】

「櫟」という字がもっとも自然に結びつくのは「クヌギ」であろう。『大漢和辞典』を調べてみると、「くぬぎ」の他に「うつ」「つく」「ふみこえる」「こする」という字義も示されている。すでにこのことが現代日本語母語話者にとっては、意外なことといってよいだろう。「櫟」は樹木名である名詞「クヌギ」であると思っていたところが、幾つかの和語動詞を文字化することができる。しかしこれらの和語動詞の中に「クスグル」は含まれていない。
 実は(というのもおかしな表現であるが)、手偏の「擽」という字がある。この字は「クスグル」という和語と対応する。ここまでわかったところで、「くずぐりつこ」は「擽りつこ」と印刷するはずのところを、「櫟」と「擽」との形が似ているために誤植したまま印刷してしまった、という一つの「みかた」ができる。「誤植説」だ。
 明治期の文献などを読んでいると「結構」を「結搆」と印刷してあることに気づく。もちろん「結構」が多いが、「結搆」もあるという感じだ。「搆」には「事を解しない」「とどく」「ひく」「かまえる」という字義がある。木偏の「構」と手偏の「搆」とは偏が異なるのだから別の漢字で、字義も異なる。しかし「かまえる」という字義は共通している。そのため、「かまえる」という字義の場合は「構」「搆」どちらでもよいことになる。これは、別の字であるが、同じように使うことがある「字の通用説」だ。
 さらに、行書体では、木偏が手偏のようになることが少なくない。つまり行書体においては、木偏と手偏が区別しにくい。総合的に考えると、木偏の字と手偏の字とは「通用」しやすいということになる。このことを知っていたため、筆者は「櫟」に「クズグ」ルという振仮名が施されている例をみて、手偏の字があるのではないかと思った。たった一つの漢字からあれこれと想像がひろがる。おもしろいのか、難儀なのか。
「由太郎」と「光子」という兄妹を軸に作品は展開していくが、この兄妹の母親は「前身が芸者だと云ふ噂」(10頁)がある。そして「「内の子供は学校の成績が悪くつて困ります。」と、愚痴をこぼす彼女自身が、全体どのくらい教育があるのか、誰にもハツキリと推測が出来なかつた」(10頁)とある。その母親が「暇さへあれば自堕落に寝そべつて、都新聞や文藝倶楽部の続き物を読み耽る」(12頁)ことになっている。こういう箇所がまた「なるほどそういう感じなのだ」ということを教えてくれる。
 この母親は「午後のお茶受けの時刻が来れば、甘泉堂のしるこ、浜町の福助団子、三橋みはし堂の餅菓子などを取り寄せて、子供より先に自分が頬張つて、しるこならば二三杯、餅菓子ならば五つ六つをぺろりと平げる」(12頁)。江戸深川佐賀町の尾張藩御用菓子舗で、練羊羹で知られる船橋屋から分かれたのが「三橋堂」で小島政二郎の『食いしん坊』(1954年、文藝春秋新社)でも触れられている。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

   ≪関連書籍紹介≫

『人魚の嘆き・魔術師』(春陽堂書店)谷崎潤一郎・著
大正8年8月に春陽堂から水島爾保布におうの装画20点余りに飾られ、大型本として刊行、 乱歩や横溝が心酔した谷崎の初期小説2編が100年の時を経て豪華装丁で完全復刻!

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。