柏木 哲夫

【第3回】緊張の緩和

 これは緊張の緩和に関して、大学で教鞭をとっていた頃、私自身が身近に体験した例です。ある年の大学院社会人入試でのことです。大学を卒業し、何年かの社会人時代を経験したのち、大学院で勉強したいという人たちのための入試です。
 受験生の1人がかなり緊張していました。20人くらいの教授が受験生を取り囲むように座り、その受験生はまるで被告のように1人で面接を受けたのです。教授陣の質問に緊張のためスムーズに応えられない状況でした。「なんとか緊張をほぐしてあげないと大変だ」と私は思いました。この種の緊張を和らげるには、ユーモアが一番効果的です。
 すでにその受験生に関する資料が回って来ていたので、よく見ると大学生時代に胎教の勉強をしていたということがわかりました。胎教というのは、「モーツアルトの曲を聴くと赤ちゃんに良い」「妊娠中、精神的に安定していれば元気な赤ちゃんが生まれる」「ストレスが多い妊娠状態だと未熟児が生まれやすい」など、妊娠の経過が赤ちゃんに及ぼす影響を調べるものです。彼女が胎教に関する卒業論文を書いたことがあるということがわかったので、私は、一つ川柳を思い出し、質問をしました。「書類を見ると、学生時代に胎教を勉強されたということですが、私は少し川柳に興味があるのですが、この前、ある新聞に胎教に関する川柳が一つ載っていました。なかなか面白い川柳だと思いました。ちょっと紹介しますので、それに対してどういうふうに思われるかコメントしてください」と前振りをしておき、
  「クラシックきらいな胎児きっといる」
と私は読み上げました。彼女はプッと笑い、20人くらいいた教授の半分くらいも笑いました。これは、私の偏見だと思いますが、笑った教授は大体優秀な教授で、笑わなかった教授はそうでもない教授でした。
 そこで、部屋全体の緊張が、ふっとほぐれました。彼女自身が一番リラックスしました。その後、質問にも上手く応えることができ、結果的に彼女は合格しました。
 その後、私はそのことはすっかり忘れていました。1ヶ月くらい経った頃、彼女が私の研究室へわざわざ来てくれ、「先生の川柳のユーモアのお蔭で、私は大学院に入学できました。ありがとうございました」と丁寧に頭を下げました。「それはあなたの実力ですよ」と私は言いながらも、少しは合格に貢献したかなと思いました。これは、ユーモアによって緊張の緩和が達成された一つの例です。



『柏木哲夫とホスピスのこころ』(春陽堂書店)柏木哲夫・著
緩和ケアは日本中に広がったが、科学的根拠を重要視する傾向に拍車がかかり、「こころ」といった科学的根拠を示せない事柄が軽んじられるようになってきた。もう一度、原点に立ち戻る必要性がある。
緩和ケアの日本での第一人者である著者による「NPO法人ホスピスのこころ研究所」主催の講演会での講演を1冊の本に。


この記事を書いた人
柏木 哲夫(かしわぎ・てつお)

1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務した後、米ワシントン大学に留学し、アメリカ精神医学の研修を積む。72年に帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。日本初のホスピスプログラムをスタート。93年大阪大学人間科学部教授に就任。退官後は、金城学院大学学長、淀川キリスト教病院理事長、ホスピス財団理事長等を歴任。著書に『人生の実力 2500人の死をみとってわかったこと』(幻冬舎)、『人はなぜ、人生の素晴らしさに気づかないのか?』(中経の文庫)、『恵みの軌跡 精神科医・ホスピス医としての歩みを振り返って』(いのちのことば社)など多数。