【第47回】


日記の中の「1991年」
 大規模な蔵書整理が続いていて、長年触らずにいた本棚や、床に積みあがった雑誌や資料類を点検しながら「残す」、「廃棄」、「売る」で仕分けしている。長年詰まった側溝のごみを取り除き、新鮮な水を流す作業に似ていて気分がいい。ときに床にしゃがみこみブツを手にして感慨にふけることも。感慨にふけりすぎ、という指摘もあるが……。
 ずっと続けてきた新聞、雑誌の膨大なスクラップブックも、けっきょくうまく仕事には活かせていない(インデックスがないので過去記事を引っ張り出しようがない)ことに気づき、これは「廃棄」。取材ノートやさまざまなメモ、そのときどきで得たパンフや資料類も同様に「廃棄」。量販店で買った紙袋に詰め、10個は紙ごみの日に捨てただろうか。
 おや、こんなものがとしばらく読みふけったのが1991年からの「東京日記」ノート。関西から上京してきたのが1990年春。6月から小さな出版社に編集者として通い出す。その頃の日記もどこかにあるはずだ。住んでいたのが埼玉県戸田市。日記は途中、何度か途切れては再開されているが(たぶん、このノートがどこかに紛れ、見つからなかったのだろう)、初めの1ページの日付は1991年4月15日。くもり、晴れの暖かい日だったようだ。
 トースト2枚(刻みキャベツ挟み)と紅茶で朝食。「午前中、玉川良一先生と歯医者から電話あり」。もと浪曲家で俳優の玉川良一に取材した覚えがある。自宅へうかがったのだが、途中道に迷い(東京人歴まだ1年と少し)、約束の時間に5分か10分遅れ、そのことでひどく叱責され取材を別の日にやり直しとなった。失策の多い、新米編集者だった。
 歯医者というのは、当時勤めていた出版社が都営新宿線「曙橋駅」からすぐのところにあり、駅近くの歯医者へ通っていた。前年まで高校講師として保険に入っていて、それが適用されると思っていたら(思う方がおかしいが)、辞めた時点で資格が失われ、保険適用外になるので全額負担しろと言うのだ。なんと9万いくらかの支払いになるという。これをいったいどうしたか。どうしても思い出せない。

 同日「森田芳光の取材決まり、パブリシティの資料もらう」とある。森田芳光監督がちょうど『おいしい結婚』という三田佳子と斉藤由貴主演の新作を撮り終え、公開前に各媒体の取材が始まっていた。好きな監督だっただけに興奮したのか、熱心に資料を集め取材の準備をしていたことが日記の記述から分かる。
 同じ年の11月27日の1行目が「いよいよ来るべき時が来た。会社を辞めるのだ」。バブル崩壊の波をかぶり、雑誌が出なくなって給料の遅配も続いていた。忘れていたが、この時、すでに自分の部屋の家賃も1カ月滞納していて「貯金は1万7000円」。もう30年も前の話だが、読んでいてドキドキしてきた。 翌11月29日「退職一日目」。「野犬(狂暴)に追いかけられている夢」を見ている。職を失ったことの恐怖の反映だろう。なんという単純な夢か。ただ起床後の「部屋の中はパァーッと明るい。前夜の雨止んで、晴れている」という記述は、退職前のもやもやが晴れたことも同時に重なっているようだ。
 貯金は底をついていたが、講師時代に組んだ定期預金50万円があり、それを最寄りの銀行で卸している。利子が「3万4000円いくらか」というから、まだまだ金利が高い時代だったのだ。ぶじ、これで滞納した家賃が払える。翌年、フリーライターとして『自由時間』(マガジンハウス)の仕事にありつく。同時に校正の仕事もアルバイトで引き受けていた。東京に骨を埋める覚悟はしていたが、明日がどうなるかわからない。どうせなら、一番住みたかった町「高円寺」へ行こうと決めて、1992年2月末、高円寺南の下宿へ引っ越しする。高円寺には2年近く住んだ。このあたりのことは過去にも書いてきたので割愛。あれから30年の歳月が過ぎた。

西新井「森の家」と現代の良寛さん
 懐かしく、しばらく日記を読みふけり、30年前の自分と対面する。1992年7月8日に「一か月以上ぶりにスクーターを引っ張り出し、環七をどんどん北上。足立区西新井へ。『森の家』牛込さんを訪ねる」と書かれているのを読み、記憶がよみがえった。当時「自由時間」の見開きモノクロページ「トピックス」を担当し、企画出しをして取材と執筆。編集者(現在は映画評論家の滝本誠さんだ)から「これ、行ってきて」と資料を手渡されることもあった。
 その中の1回で「森の家」を取材している。ネット検索するとどうやら現存するようだ。西新井栄町3丁目、尾竹橋通り沿いに塀で囲まれた広大な屋敷があり「森の家」と呼ばれ、子どもたちに開放されていた。外からもうっそうと茂る樹林が見える。なかには樹齢200年という木もある。1300平方メートルという森にさまざまな植物、昆虫が生息している。家の主は牛込源晃さんといい、会うと仏様のような人だった。「森の家」の活動で「朝日賞」を受賞されていて、足立区役所の「緑化係」へも取材したが、牛込さんのことを「良寛さまのような方」と言っていたのが印象に残った。
 とにかくあまりに広い屋敷で、同行したカメラマンはその「広さ」を出すのに苦慮し、尾竹橋通りの対面に建つマンションに交渉して、屋上から撮影を試みた。これがいい写真であった。撮影は小野庄一くん。「100歳のお年よりばかりを撮っているんです」と言っていたが、1993年には「太陽賞」を受賞することになる。その翌年にこれが写真集『百歳王』(新潮社)にまとまった。小野くんとは何度か組んで仕事をしたが、機転がきき、優秀な人だった。
 取材したのは6月。7月に再訪したのは、原稿締め切りが近づき、森に植わった木について話を聞くためだった。このとき牛込さんは不在。代わって夫人に話を聞いた。とても上品な方で、こちらも自然に「さようでございますか」と言葉が丁寧になった、と日記にある。
 夫人からその日投函するはずだった牛込さんから私宛ての手紙を受け取った。「森の家」を辞し、そこから歩いてすぐの「西新井大師」にお参りをする。境内でもらったばかりの手紙を読むと、私のことを「すばらしい先生」などとべた褒めしている。日記を読むまで、そんなことはすっかり忘れていた。今回、西新井「森の家」で検索すると、牛込さんは2020年2月に逝去されたと知る。ご冥福をお祈りしたい。 

ヒッチコック『バルカン超特急』(1938)
 ヒッチコックのイギリス時代、トーキーになって初期のモノクロ映画。大変よくできていて、アイデアとトリックに満ちて楽しい作品になっている。私はどうだろう、4、5回は観ているか。まず雪深い山間の宿屋から始まる。各国が大戦に参加し、緊迫した世界情勢にあるが、この村はいたって平穏。ただし大雪でイギリス行きの列車が不通となり、乗客は足止めされ、小さな宿屋はすし詰め状態である。イギリス人男性の2人組はあおりを食って泊まる客室がなく、屋根裏のようなメイドの部屋へ押し込まれる。いったい何語が公用語なのか、英語はさっぱり通じず、それがギャグして使われるという軽快な進行だ。
 メインのキャラクターは結婚間近のヒロイン・アイリス(マーガレット・ロックウッド)、最初はまったく馬が合わずいがみ合うが、やがて恋仲となる音楽家ギルバート(マイケル・レッドグレイヴ)のカップル、そして列車から突如姿を消す謎の老嬢フロイ。ようやく動き出した列車でアイリスとフロイは6人のコンパートメントで同室になる。仲良くなり、食堂室でも同席し言葉を交わすが、このフロイが突如姿を消す。このミステリと謎解きが本編を引っ張る原動力である。
 ヒッチコックのプロットがじつに巧みなのは、アイリスとともに老嬢フロイを見たはずの客が、ことごとく「見なかった」と証言する、そのアイデアである。たとえばイギリス人2人組はイギリスで重要なクリケットの試合を観戦するため、列車を遅らせてはならない(アイリスは列車を止めようとする)。そのエゴのため嘘をつく。あるいは不倫カップルのように保身(関係が公になるとまずい)のためしらばっくれる。なかには、敵国間の抗争で暗躍する怪しげな一団もいて、彼らは老嬢を隠した犯人であるため、これも嘘を言う。
 果たして老嬢は無事なのか。後半、銃弾が飛び交うスリリングな展開となるが、私は前半の鬼ごっこのような密室(走る列車)でのドタバタが楽しかった。そして、嘘をついてまで観たいという「クリケット」というスポーツとイギリス人の関係について考えた。それほど執心し、熱狂する気持ちが現代日本人の私には分からない。野球の原型と言われるこのスポーツの発祥は、13世紀イギリスなのである。
 もう一つ、ヒロインを補佐する口ひげの男性を演じるマイケル・レッドグレイヴ。姓を見て、ひょっとしたらと検索したら、やっぱりあの名女優・ヴァネッサ・レッドグレイヴの父親であった。私はフレッド・ジンネマン『ジュリア』(1977)を名作中の名作として愛し、とくにジェーン・フォンダとダブルヒロインを得た(抜擢だと思う)ヴァネッサ・レッドグレイヴの演技を「神の領域に達した」と考え惚れ込んでいる。
『バルカン超特急』の、やや軽薄であるが行動的な二枚目が、あの「ジュリア」のお父さんかと思うとなかなか感慨深いものがあるのです。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)


『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。