第1回『金色夜叉』──春を寿ことほぎ、華咲き誇る婚活パーティー

東海大学教授 堀啓子

 2023年、没後120年を迎えた尾崎紅葉は明治を代表する作家でした。紅葉の作品の多くは『読売新聞』に連載された後、春陽堂から単行本として刊行されます。初回の今回は、冒頭の年始の描写が印象的な、紅葉の代表作『金色夜叉』をひもといてみます。(当時はもう新暦でしたが、今月は旧正月ですので公開を合わせてみました)


「まあ、あの指環は! 一寸ちょいと金剛石ダイアモンド?」
「そうよ」
「大きいのねえ」
「三百円だって」(略)
「まあ! 好(い)いのねえ」
 時は明治、絢爛豪華に着飾った女性たちが大勢集まる場所で、もれ聞こえてきた会話である。尾崎紅葉の代表作『金色夜叉』の名場面、とお気づきのかたも多いだろう。

『読売新聞』明治二十九年十二月二十二日掲載の広告。同紙では、この時期に九日間にわたって翌年元旦から連載開始広告を掲げており、『金色夜叉』は満を持しての登場となった。

 尾崎紅葉は、江戸の末年に江戸の芝で生まれた。今の東京タワーのすぐそばである。増上寺にほど近く、江戸情緒豊かな土地だった。年齢は数えやすく、和暦の明治とともに歳を重ねる。つまり明治五年には満五歳、明治二十年には満年齢で二十歳であった。夏目漱石や正岡子規と同年といえばわかりやすい。
 生粋の江戸っ子気質で、東京帝国大学予備門在学中に十八歳で作家デビュー。瞬く間に人気作家として名を馳せた。二十二歳で『読売新聞』に入社すると、立て続けに話題作を発表。その多くを単行本として出版したのが春陽堂である。代表作『金色夜叉』は、明治三十年元旦から『読売新聞』に連載された名作である。絶大な人気を誇り、連載は足掛け六年にも及んだ。紅葉が三十代半ばで早世し未完となったが、典雅な文体とドラマチックなストーリーは、未だに多くの読者を魅了する。春陽堂版の書籍を彩る美しい口絵は熱海の海岸のクライマックスシーンである。日本画家・武内桂舟の筆が冴え、それを模して建てられたブロンズ像は、今も熱海の観光名所である。

明治三十一年七月、春陽堂版『金色夜叉』上編、口絵(著者所蔵)

 さてこの口絵にも描かれた美しい女性、鴫沢宮(しぎさわみや)が、この作品のヒロインである。作品冒頭は連載初日の季節に合わせ、正月の場面から始まった。

だ宵ながら松立てるかどは一様に鎖籠さしこめて、真直ますぐに長く東より西によこたはれる大道だいどうは掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪くるまきしりは、あるひせはしかりし、あるひは飲過ぎし年賀の帰来かへりなるべく、まばらに寄する獅子太鼓ししだいこ遠響とおひびきは、はや今日に尽きぬる三箇日さんがにちを惜むが如く、その哀切あはれさに小きはらわたたたれぬべし。元日快晴、二日快晴、三日快晴としるされたる日記をけがして、この黄昏たそがれよりこがらし戦出そよぎいでぬ。
紅葉の真骨頂、名文である。今日までがお正月という一月三日の夕べ、日暮れから天気が崩れ始めた。人気のない静かな大通りが「東より西に」通る描写は、文字通り歌舞伎や浄瑠璃の幕開きの東西声「とざい、と~ざい~」にも重なろう。明日から御用始めという緊張感も漂う静寂は、あらゆる物ごとの始まりを予感させる。

『金色夜叉』上編、春陽堂版、函カバー明治三十一年七月(著者所蔵)

 年明けの風物詩、門松や獅子太鼓はもう昔ほど多くは見られない。だが正月がめでたく、気分が高揚して緩みがちになるのは今も昔も変わらない。男女交際は今日よりも窮屈な時代であった。それでも今でいうところの〈合コン〉や〈婚活パーティー〉に類するものは存在した。それが家庭で行われるカルタ会である。カルタ遊びという名目で、若い人々がどこかのご家庭に招かれる。多くの場合、身内や友人を伴うことも可能な気楽な集まりで、大勢の若人が寄り集う。開催された御宅の監督下、表向きは粛々とカルタのゲームが進行するが、その実、気になる異性に視線を走らせるのはお互い様であった。そのため特に女性陣は着飾り、気合を入れて臨むのである。
 友人宅で開かれたこのパーティーに招かれたのが、ヒロインの宮だった。年齢は十八歳、絶世の美女で裕福な家の一人娘である。宮はこの場に、幼馴染で婚約者の間貫一はざまかんいちを伴って参加する。控えめな二人であったが、宮の美貌は水際立ち、その場の注目を一身に集める。いっぽう、宴もたけなわの頃、一人の男性が登場する。計算づくとおぼしき遅刻で麗々しく登場したこの紳士は、指に嵌めた大きなダイヤモンドの指環で、人々を圧倒する。本稿の最初にご紹介した、二人の女性のヒソヒソ話のタネである。
 後に判明するが、如何にもお坊ちゃま然としたこの若紳士は、大富豪の跡取り息子・富山唯継と言った。富の山をただ継ぐ人という名は、財力以外これといった特徴のない彼の態をよく表している。もとより宝石入りの指環をはめる裕福な男性は、今ほど珍しくはなかった。だがさすがにこれほど大きなダイヤは珍しい。三百円ともなると現在の三百万円はくだらず、体感的には倍以上の価値がある。まして今よりはるかに稀少価値が高かったこの時代、若い人々が度肝を抜かれたのも無理はない。この後、居合わせた三十数名がひそひそと「まあ、金剛石よ」「あれが金剛石?」と、ささやき合いつつダイヤに視線を送る様子を、鷹揚に構えた富山は「下界を見渡す」ように眺め返すのである。

『読売新聞』明治三十年五月十七日、「ダイヤモンド入金製指環」の広告。「真に紳士貴嬢の友」と謳われている。

 この話は、富山が宮を見初めたところから動き出す。大富豪の求婚者か、満腔の愛を捧げる優しい婚約者か。悩みぬいた宮が下した決断とそれに応ずる貫一の涙のやりとりが、名高い熱海海岸の場となった。ただ、この作品は、その後も長く続いていく。お宮と貫一のその後は如何になっていくのか。まだ山あり谷ありである。
 明治は遠くなりにけり、と詠んだのは中村草田男であった。今ではこれが詠まれた昭和さえ遠い彼方である。だがそこにあらわれる人々の意識や人間模様は如何に時が隔てられても変わらない。今年も始まったばかり、こんな風雅な作品が、本年の読書生活の第一章を彩るのも粋な趣向であろう。

【今月のワンポイント:装いの描写】 

原著者:尾崎紅葉、編画者:鏑木健一(清方)『金色夜叉絵巻』春陽堂、明治四十五年一月一日(著者所蔵)

 紅葉は、女性の装いもよく描写した。とりわけ華やかな『金色夜叉』のカルタ会だけでも「帯は紫根の七糸に百合の折枝を縒金の盛上に」「夜会結に淡紫のリボン飾」「濃浅黄地に白く中形模様ある毛織のシォール」と細やかである。人気小説の登場人物の衣装を参考にする読者も多く、ファッション誌の役割も果たしていたからである。

※引用はすべて尾崎紅葉『金色夜叉』(新潮文庫・一部改)より

『春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)』春陽堂編集部(編)
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。


この記事を書いた人
堀 啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和2年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。