第14回:里見弴『山手暮色』外来語の文字化

清泉女子大学教授 今野真二
 里見弴『山手暮色』(【図1】布貼表紙)は昭和4(1929)年11月23日に出版されている。この本の奥付によると、印刷者は「島源四郎」、印刷所は「東京市本所区番場町 凸版印刷株式会社」である。また「題字里見弴/装釘小村雪岱」と記されており、小村雪岱の装幀であることがわかる。

【図1】

『小村雪岱―物語る意匠』(2014年、東京美術)は『山手暮色』について、「江戸時代には数寄者の間で古裂〈こぎれ:江戸時代より前に外国から渡来し珍重された布地―筆者註〉を蒐集することが流行し、中でも古渡りの印度更紗は大変珍重された。本書の装幀に使用した布は、これを再現しようとしたものであろう。雪岱の工夫の跡がうかがわれる一冊である」(114頁)と述べている。
【図1】の表紙には、ここで説明されているような印度更紗風の布が貼られている。この面には書名が記されておらず、書名と作者名とは背に金箔で記されている。【図2】は筆者所持の本の内題が記されているページであるが、ここには「山ノ手暮色」とある。このことからすれば、タイトル『山手暮色』は「ヤマノテボショク」であるとみたほうがよいだろう。タイトルの左側には「茂索兄」、右側には「弴」と墨書されている。「弴」はもちろん里見弴で、「茂索兄」は佐佐木茂索もさくであろう。

【図2】

けい」は「男子が書簡などで、先輩・同輩の氏名などに付して敬意を表わすのに用いる」(『日本国語大辞典』)代名詞、接尾語である。佐佐木茂索は明治27(1894)年に生まれ、昭和41(1966)年に没、里見弴は明治21(1888)年に生まれて、昭和58(1983)年に没している。里見弴のほうが佐佐木茂索よりも年上であるが、年下の友人などに敬意を表わすために、あえて「けい」を使うことは少なくない。
佐佐木茂索は大正8(1919)年に春陽堂から発刊されていた雑誌『新小説』に「おじいさんとおばあさんの話」を発表して作家デビューしている。1935年には、芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設し、戦後には現在の文藝春秋の前身である文藝春秋新社の社長となる。里見弴が、そういう・・・・佐佐木茂索に献呈した本ということになる。
『山手暮色』には「紅尾燈」から「放生」まで12の作品が収められている。【図3】は最初に収められている「紅尾燈」の冒頭部分だ。「花吹雪のやうに、色紙を細に切り刻んだコンフェッティが散りかゝつた」の「コンフェッティ」とは何だろうと思って『日本国語大辞典』を調べてみると、見出しがあった。

【図3】

コンフェッティ〔名〕({英}confetti )《コンフェッチ》(一)糖果。ボンボン。コンペイトウ。(二)祝祭日や婚礼などに投げ合う色紙、色紙片、紙玉。*先生への通信〔1910~11〕〈寺田寅彦〉巴里から・二「停ったきりになって居る電車の屋根の上は一杯の人でそこからも盛にコンフェッチを投げる」*ぽんこつ〔1959~60〕〈阿川弘之〉三万円のゆくえ「馬券が、ただの紙くずになって捨てられて、コンフェッチのように、無数に風に舞っていた」
 ここでは語義(二)にあたる「コンフェッティ」だ。寺田寅彦の「先生への通信」での使用は、『山手暮色』の刊行よりもはやい。しかし、そこで使われているのは「コンフェッチ」という語形である。阿川弘之が使っているのも「コンフェッチ」だ。『日本国語大辞典』は「コンフェッティ・・」を見出しにしながら(というと表現がいささか非難めくが、そういうつもりではなく)、使用例は「コンフェッ」の使用例をあげている。これは「コンフェッチ」と「コンフェッティ」とを同じ物を指す語とみているからだろうと推測する。他にやりかたがないかどうかはまた別のことがらであるので、ここではそちらには踏み込まない。しかしあげられている例がいずれも「コンフェッチ」であるので、「紅尾燈」で使われた「コンフェッティ」は「コンフェッティ」という語形の使用例として貴重な存在ということになる。
 外来語ということでいえば、【図3】には「洋袴ズボン」、「コンフェッティ」、「手巾はんけち」の三つの外来語が使われている。三つとも異なる表記形式であることがおもしろい。「洋袴ズボン」は「漢字列+片仮名振仮名」、「コンフェッティ」は「片仮名」、「手巾はんけち」は「漢字列+平仮名振仮名」である。「コンフェッティ」という外来語形がひろく使われるようになっているから、漢字の支えなく、片仮名で文字化している、というのが通常の「みかた」であろう。「ズボン」という外来語形がそのままではわかりにくいから、漢字列をいわば添えて「洋袴ズボン」と文字化する。しかし昭和4年の時点で「ズボン」にはたして漢字列の支えが必要だったのだろうか、と少し疑問に感じた。
『日本国語大辞典』の見出し「ズボン」には仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』(1870~76)、三宅花圃の『藪の鶯』(1888)、尾崎紅葉の『不言不語』(1895)、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)が使用例として載せられている。『吾輩は猫である』では「づぼん」というかたちで使われている。「文字化のしかた」まで視野に入れて、辞書が使用例を示してくれるといいなあといつも思うが、これは「夢」ということにしておこうか。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。