第3回『不言不語』──春雨に煙る秘密、和の文体が描いた洋の怪異
東海大学教授 堀 啓子
四月も半ばを過ぎ、多くの方が新しい環境に、ひとまず落ち着かれた頃でしょうか。尾崎紅葉の『不言不語』は、当時としては珍しく、ある募集広告に応じて就職した若い女性の話です。しかし見知らぬ土地、見も知らぬ主のもと、働くことになった彼女を待ち受けていたのは、ある異様な環境でした。我々自身、新生活を始める今だからこそ、ミステリアスな展開が刺激になりそうな一作です。
尾崎紅葉は甚だしい「降り性」だったらしい。降り性とは如何にも耳慣れない言葉だが、ようは「雨男」のことである。遠出の折には必ず雨が降るらしく、ある時など、さる講演依頼を受けているだけで、みるみる快晴の空が曇り始めた。この調子では当日はどんなひどい降りになろうかと危ぶんだが、あに図らんや、その日はカラリと快晴になった。実はこの講演会、主催者が紅葉に負けず劣らずの降り性だった。そのため、マイナスとマイナスの掛け合いがプラスに転じたと喜んだ…とは何とも他愛ないエピソードである。だが、そうして雨に縁のあったせいか、紅葉は雨の描写も巧みであった。なかでも、『不言不語』の春雨の場面は出色である。
『不言不語』は、明治二十八年に『読売新聞』に連載された人気作である。『源氏物語』を模した優美な文体と、イギリスのゴシック小説からヒントを得たダイナミックな構想が話題を呼び、発表当時から〈読売の花〉と称された。その幕は、奇妙な広告で開かれる。
一素封の奥方、田舎住の徒然を慰むる御敵手求めらるゝよし。
其者は齢十七より廿歳迄にて、素性賤からず、容貌も醜からず、気質は温良、普通は書読み、物書き、諸礼といふほどの事は無くとも、行儀正しく、琴、三味線のいづれか習熟あるべし。月給は八円なり。なほ神妙に勤めなば、彼方の親類分にして、相応に支度させて、良き方へ縁附かすべしとなり。
環、行きて見ぬか、と叔父なる人の仰せられけり。
「環」とは、この作品の一人称語り手である。綴られるのは一見、馴染みにくい雅文だが、流麗な文体は、若く淑やかな環にはよく似合う。其者は齢十七より廿歳迄にて、素性賤からず、容貌も醜からず、気質は温良、普通は書読み、物書き、諸礼といふほどの事は無くとも、行儀正しく、琴、三味線のいづれか習熟あるべし。月給は八円なり。なほ神妙に勤めなば、彼方の親類分にして、相応に支度させて、良き方へ縁附かすべしとなり。
環、行きて見ぬか、と叔父なる人の仰せられけり。
早くに両親を喪った環は、裕福な叔父夫婦に愛され育てられる。だがその叔父が人に騙され財を失ったことで、決まりかけていた環の縁談も立ち消え、日々の暮らしに窮するまでになった。その時、ふと目に留まったのが件の広告である。応募者に求められるのは厳しい基準だが、待遇は破格で、大家の奥様の話し相手ならばお嬢様育ちの環にも務まる。涙ながらに応募を勧める、恩ある叔父夫婦のため、環も自ら志願して話がまとまった。
住み込みの奉公先は東京郊外の大邸宅で、主は大富豪の笠原夫妻といった。だが雪の降る寒い夕暮れ、初めて赴いた環を待ち受けていたのは、陰気に静まり返った薄暗い館の、何とも言えぬ異様な雰囲気であった。うすら寒いその廊下を、無口な使用人の案内で奥の間へと向かうにつれ、環は「異しくも卒に胸穏からず、牢屋などへ行く道を辿るかと想はれて、心細」さが増していく。そして、
此心地、譬はゞ、不祥の事ありて、涙に打湿りたる宿に在るが如きなり。
固より然ることは有るべしとも思ひがけず、又有りとしも聞かざるに、不思議は此家に入ると斉しく、心傷ましく、悲しく、果敢なく、恐ろしく、寂しく。
だが、いざ出会ったこの家の奥様は美しく優しい夫人で、夫の旦那様も親切で立派な紳士である。ただなぜか奥様は旦那様を怖じ恐れ、旦那様は奥様に冷ややかでよそよそしい。奥様の美しい顔に差す翳から、この夫婦には何か「秘密」があり、それが館全体にも影を広げていると思われた。怪しく陰鬱な館と、憂いに満ちた訳ありげな美貌の夫妻。謎は深まるばかりである。
日が経つにつれ、打ち解けた奥様と環は主従の垣根を越えて、互いに姉妹のような情愛を抱き始める。それでも例の「秘密」は依然秘されたまま、数か月が経った。
春雨降出して御庭の花傷み、かの糸垂桜も其一枝を釣船に眺められしばかりにて、日毎に空黯く、昼も寂しくて、奥様は御胸の鬱結いとゞしく、雪よりも軒の玉水人の気を腐らす。
今真夜中と思ふ折しも、風暴に一陣強く戸を鳴して、雨の颯と灑ぐに怖ろしく、身を竦めて夜着引緊むる隣に、奥様は勃起と枕を挙げ給ひぬ。弥怖ろしく、何とか為給ひけむ、と窃に窺ひけるに、御目を据ゑて、徐に四辺を眗し給ひ、やがて耳をば傾けたまふは、物の音をや聞取らむとし給ふならむ。何か聞ゆると、我も耳を澄しけるが、雨の音の外には異りたる響もあらざるなり。
奥様は猶も聴澄したまひて、其ぞと思召すらむ方を屹と視たまふ御目の色尋常ならず、確かに其よ、と身を顫はせ給ひて、環、環、と呼び給ひぬ。
正しく御気の迷と思へど、如何にも何やらむ聞えたまふに紛れ無き御様子の物凄く、身毛忽ち弥立ちて、肩の辺悪寒く、襟掻合せて、如何なる声の聞えますると申せば、あの声、あの声が聞えぬか、と少しく焦れ給へり。
『不言不語』は全編を通じて、笠原家の秘密が重くのしかかる。ただそうした中にも初々しいロマンスあり、穏やかな田舎の日常も描かれて、優雅な筆に季節は移ろっていく。
秘密と謎解きは描かれるが、純然たるミステリーではない。不思議な怪異調が物語全体を覆うも、陰鬱に偏りすぎないのは、花のような美女二人の存在ゆえである。
紅葉は『源氏物語』の文体を模し、構想はイギリスのゴシック小説をヒントに、この作品を執筆した。優美な和の文が、日本離れしたゴシックの怪奇的構想を支える。その絶妙なバランスが紅葉の術で実現し、和風のゴシック小説という稀有な世界へと読者をいざなうのである。
【今月のワンポイント:ゴシック小説の日本版】
紅葉が『不言不語』執筆中、とりわけ熱心に読んでいたのが『源氏物語』の夕顔の巻であった。源氏の恋人であった夕顔に、六条の御息所と思しき生霊がとり憑いて命を奪う話だが、その怪異的な雰囲気は西洋のゴシック小説に通ずるものがある。
ゴシック小説とは中世の古城などゴシック建築物を舞台に、恐怖・怪奇を主題とする物語である。十八世紀後半のイギリスで発祥し、その後欧米で流行した。そのイメージは、一般に土地が狭く木造建築中心の日本の作品には描出しがたいが、『源氏物語』の夕顔の巻が醸す雰囲気は、ゴシック小説を彷彿させる。
いっぽう紅葉が『不言不語』の構想を模したイギリスの作品はBetween Two Sins(邦題は『二つの罪の間』、拙訳。[『和装のヴィクトリア文学―尾崎紅葉の『不言不語』とその原作』東海大学出版会 平成二十四年]所収。)というゴシック小説であり、紅葉の筆に、この二作がみごとに融け合ったのである。
※引用は全て『紅葉全集』(第五巻、岩波書店)を基に、一部改変した。
『春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)』春陽堂編集部(編)
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。
┃この記事を書いた人
堀 啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和3年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。
堀 啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和3年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。