斎藤真理子さんインタビュー
韓国文学の誘い(前半)

インタビュアー:倉本さおり&長瀬海

2018年に日本で翻訳され、ベストセラーとなった、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』。新連載「アジア文学への誘い」の第一回は、『キム・ジヨン』の翻訳を手掛け、また近年の韓国文学ブームを牽引する斎藤真理子さんにお話を聞きました。なぜ『キム・ジヨン』はこれほど読まれたのか、韓国文学ブームはなぜ広がったのか、そして韓国文学の魅力とは──


パク・ミンギュ『カステラ』がウケたわけ
── 2014年に斎藤さんがヒョン・ジェフンさんと共訳されたパク・ミンギュの『カステラ』(クレイン)。あの本が第1回日本翻訳大賞に輝いたとき、海外文学ファンのあいだで大きな話題になりました。当時、初めて「韓国文学」を意識するようになった読者もきっと多かっただろうなと。実際、あの頃と現在の韓国文学に関する景色はまったく違っていますよね。いまでこそ、書店の海外文学のコーナーに行けば、「韓国文学」として括られた棚が何段も確保されていますが、以前は大型書店や専門店に行かないと、そうしたスペースを見つけるのは難しかった。そう考えると、いまにつながるK文学のファーストインパクトはパク・ミンギュだったのかなと。
斎藤 確かにパク・ミンギュが受け入れられたことは大きかったかもしれません。でも、韓国文学はもっと前から日本で読まれる準備が整っていたんです。例えば、あの頃にはすでにクオンから、「新しい韓国の文学」というシリーズがスタートしていて、ハン・ガンの『菜食主義者』や、ファン・インスク『野良猫姫』などが出ていましたね。
韓国で、日本で人気のある作家は、パク・ミンギュだっていうと、みんな首をかしげるんですよ。例えば、ハン・ガンはマン・ブッカー国際賞も受賞していて、国家も後押しするぐらいの作家。国際的な人気もあります。でも、パク・ミンギュという非常に個性的な人が最初に話題になったっていうのが、韓国の人たちにしてみれば不思議なんだと思う。ハン・ガンがいまの韓国文学の代表ですっていうのは正しいんですけど、パク・ミンギュが韓国文学の代表ですっていうのは、ちょっと違うのかなって。でも、パク・ミンギュが日本でウケるのはわかる感じがする。いまになって思うと、サブカル兄弟みたいな存在というか、同じ文化を持つ日本の読者にうまくはまったから、すごく絶妙な形で韓国文学への案内になってくれたんだと思います。

パク・ミンギュ『カステラ』
(図書出版クレイン、2014年)

── なぜ『カステラ』が日本の読者に受け入れられたんだと思いますか。
斎藤 『カステラ』は、一種の青春文学の短編集ですよね。でも、パク・ミンギュ自身の青春じゃなくて、下の世代の人たちのことをすくい取って書いていた。韓国は格差社会が常態化している国と言っていいと思う。雇用形態ひとつとっても、1997年のIMF危機以降雇用の非正規化が日本より一歩先に進み、正規と非正規に人々がくっきりとわかれていって、それまでとは違った種類の非人間的な搾取が始まった。そんな人たちの気持ちを、彼は上手にすくい取っていたんです。それが、日本にもうまくフィットしたんだと思う。
── 翻訳大賞を受賞したあと、『カステラ』を紹介するレビューやブログをいくつか読んだのですが、ライターは「失われた十年」にあおりをくった、いわゆるロスジェネ世代と呼ばれる、30~40代ぐらいの人たちが多かった。彼女・彼らの心に直接的に響いたわけですね。
斎藤 送りだす側はそこに気づいてなかったんだけどね。出版したクレインの文(ルビ:ムン)社長は韓国関係の本をいっぱい出している人ですけど、『カステラ』を出してかなり献本したけど、反響はあんまりなかったんだよねって言ってました。翻訳大賞をいただいた後、『カステラ』は、それまで韓国文学を読んできたのとは違う層の人が読んでくれたんだよね、と二人で話した覚えがあります。
── 同世代の人たちが読んではまったのも、日本と韓国の同世代の間で共通するものがあったっていうことなんでしょうね。
チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』ブームの背景をめぐって
── 韓国で2016年に刊行され、爆発的にヒットした『82年生まれ、キム・ジヨン』。日本版の翻訳を2018年に斎藤さんがなさっていますが、結果的に日本でも『キム・ジヨン』ブームと言えるほど話題になりましたね。その要因はなんだったと思いますか?
斎藤 『キム・ジヨン』が何だったのかっていうと、地下水みたいな、言葉になってない、言語化されてないものが、この本によって出てきたということだったと思います。これは描写に凝るとかそういうことではなくて、淡々と事実を並べていくことで、読者を引き寄せたっていうことかな、と。それを小説として世に出したら、これだけの反響があったっていうのが、本当に面白いですよね。それぐらいの導火線はすでにあったのに、見向きもされてこなかった、なかったことにされていた。そのことに、みんなが気づいたというのが、あの現象の背景だと思います。だから、『キム・ジヨン』は、韓国の本だからというより、単に自分にとっての物語として読んでくれたんだと思う。一人のどこにでもいるような韓国の女性が自分が歩んできたことを淡々と振り返るだけでも、これだけ考える材料になった。いろいろな人たちが、言語化されてない自分の来歴というか、自分自身に対しても言語化してこなかったことを、顕在化してみるっていうきっかけになり得たんじゃないかと思います。

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』
(筑摩書房、2018年)

── ちなみに、『キム・ジヨン』以降、韓国の文芸シーンのほうでは何か変化はあったんですか。
斎藤 フェミニズム文学が完全に定着しましたね。でも、『キム・ジヨン』はやっぱりものすごく特殊です。売れた部数を考えても、本当に化け物。それだけ読者が求めていた小説だったっていうことですね。余白があって、その中に自分を重ねることができる仕組みが整っているというかね。それを意図してやったんじゃないのかもしれないけど、結果的にうまく機能した。そして読者にとっても、ただの読書体験じゃなかった。思い入れを持ってくださる方がいっぱいいる、幸福な本です。
── はっきりと社会構造を見せてくれるっていう小説が、日韓両国で求められていたのかなと感じました。
斎藤 ニーズがあるから出たってものじゃなくて、掘ってみたら、そこから水が出たっていう感じでしょうね。そんなことめったにない。これまでは、自分の潜在的な欲求は何なのかということを考えずにやってこられたのが、いまはそうもいかなくなっている。だからどんどん、いろんな人が発言するようになった。それだけでも本当に良かったなと思うんです。嫌なことは嫌と言ったほうがいいから。日本はこの何年かで随分、変わったと思うし、『キム・ジヨン』が出て以降さらに変わった。みんないろんなことをアップデートしたんだと思う。
── 斎藤さんはパク・ミンギュを訳した後も、韓国現代文学といわれるものを翻訳し続けています。その過程でもう一回、韓国を再発見するような感覚はあったのでしょうか?
斎藤 チョ・セヒ『こびとが打ち上げたボール』という小説を翻訳しましたけど、これは70年代の韓国文学を代表する作品です。古い小説でも、古びていない物があるんだっていうのは一つの発見ですね。これはいまの文学を読んだからわかったことだと思います。
『82年生まれ、キム・ジヨン』も、あれだけを読んでは伝わらないこともあります。パク・ワンソという作家がいるのですが、彼女も含めた韓国の女性文学の歴史があって、その中には「キム・ジヨン前史」ともいえるようなすごいものがある。チョ・ナムジュさんは、その前史を踏まえて、『キム・ジヨン』を書いている。あと、翻訳をするようになって、実際に韓国の作家たちと知り合いになって、ご縁に恵まれ、それに巻きこまれているところもあるんじゃないかな、みんないいやつらだから、あの人たち(笑)

チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』
(河出書房新社、2016年)

[後半に続く]
プロフィール
斎藤真理子(さいとう・まりこ)
新潟生まれ。翻訳者。訳書にパク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン、第一回日本翻訳大賞受賞)、チェ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、ハン・ガン『回復する人間』、パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』(以上、白水社)、ファン・ジョンウン『ディディの傘』、チョン・セラン『声をあげます』(以上、亜紀書房)などがある。


倉本さおり(くらもと・さおり)
東京生まれ。書評家、法政大学兼任講師。共同通信文芸時評「デザインする文学」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」連載中のほか、文芸誌、週刊誌、新聞各紙で書評やコラムを中心に執筆。TBS「文化系トークラジオLife」サブパーソナリティ。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)、『韓国文学ガイドブック』(Pヴァイン)などがある。

長瀬海(ながせ・かい)
千葉県出身。インタビュアー、ライター、書評家、桜美林大学非常勤講師。文芸誌、カルチャー誌にて書評、インタビュー記事を執筆。「週刊読書人」文芸時評担当(2019年)。「週刊金曜日」書評委員。翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)共著に『世界の中のポスト3.11』(新曜社)がある。