【第55回】


『ジュディ 虹の彼方に』に圧倒される
 ルパート・グールド監督『ジュディ 虹の彼方に』(2019)は、ハリウッド映画全盛期のスターの一人、ジュディ・ガーランドの悲惨な晩年をクローズアップした伝記映画である。ジュディに扮したレネー・ゼルウィガーは圧巻の演技でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。当然であろう。レネーの素顔を見ると、ジュディとはまったく似ていない。別人28号であるが、すでに薹がたった中年期のスターにだんだん見えてくる。本当にすごいわ。いくつかの歌唱シーンも本人による。これにも驚いた。ジュディになりきった歌唱力は立派なものである。
 ジュディ・ガーランド(1922~69)はもちろんハリウッド黄金期の大スター。しかし私が映画を見始めた頃には、すでに故人で、額に入れられた古色蒼然たるピンナップ肖像写真というイメージだった。もちろん『オズの魔法使い』はテレビの映画番組などで見ているが、何しろ子役だし、ディズニーのアニメみたいな印象しか残らない。
『ジュディ 虹の彼方に』がメインに描く、落ちぶれた晩年の姿は知らなかった。そして、平行して描かれる、まさしく『オズの魔法使い』撮影時代のエピソードも知らなかった。『ジュディ』では、困窮してホテルを追い出され、別れた夫のもとへ助けを求める姿、薬物依存とアルコールの多量摂取でコンサートをめちゃくちゃにしてしまう無残は、じつは子役時代に端を発していた。
 MGMオーディションに合格し、『オズの魔法使い』のドロシー役に抜擢されるも、同社の社長ルイス・B・メイヤーによる徹底した管理下にあった。甘いものや食事の制限による減量(太ってはならないと契約にある)と、覚せい剤による長時間労働。その過酷な労働条件でスターの座をつかむも、不眠と薬物中毒がジュディを終生苦しめた。やがて撮影に穴を開けるようになりMGMを解約される。私の知らない「ドロシー」である。
 小林信彦は『コラムは笑う』(ちくま文庫)で、「ジュディ・ガーランドは、真価を発揮した作品の多くが未公開なので、日本では、なぜ彼女が<ミス・ショウビジネス>なのか、いまひとつ、わからないのだが(後略)」と書く。私はその「わからない」一人だったわけだ。『ジュディ』では1968年のロンドン公演をメインに、晩年(翌年に死去)の姿が映し出される。まことにつらい映画なのだが、胸なでおろす素晴らしい場面もある。
 ステージが終わって、劇場の外で出待ちする男性2人組(スタンとダン)と語り合うジュディ。2人はいかに彼女のファンかが分かる興奮ぶりである。すると、何の気まぐれか、ジュディは彼らと一緒に食事をしようと申し出る。驚く2人は、開いているレストランを探し、街中駆け回るも時間が遅すぎた。そこで、何か作るから我々の部屋へ来ないかと提案し、ジュディがそれを受ける。2人の男性は同居している。つまりこのカップルはゲイなのだ。
 あわててジュディのためにスタンが卵料理を作るも失敗。疲れて眠ってしまうスタン。お酒を飲みながらジュディと2人になったダンが「じつは」とゲイであることを告白する。スタンはそのために投獄されたとも言い、1960年代、同性愛が試練に見舞われたことが想像されるのだ。そんなの「クソったれよ!」と励ますジュディに涙するダン。このあとダンが静かにピアノを弾き始める。それに合わせて、ジュディが台所で歌い出す「ゲット・ハッピー」。厄介なことはすべて忘れて幸せになろう、追いかけなければ心配なんてしなくていい、という意味のバラードだ。
 スタンとダンは、この映画のラストの感動にひと役買う。タイトルにある「虹の彼方」が歌詞の内容とともに、ジュディの人生を表し、観客の心をつかむのだ。どんなシーンかは書きませんよ。ぜひ映画を観てください。和田誠にはせめてあと数年長生きして、この『ジュディ』を観てほしかった。そして感想が聞きたかった。映画の名セリフに解説とイラストをつけた名著『お楽しみはこれからだ』(文藝春秋)は、タイトル「お楽しみはこれからだ」の出典『ジョルスン物語』の解説から始まるが、いわば「前書き」ふう。次に取り上げられるのが『スタア誕生』で主演はジュディ・ガーランドだ。ジュディは30歳を越えていた。前述のとおり、心身を病んだ彼女は自殺未遂と薬物中毒による入院を繰り返す。『スタア誕生』は久々のスクリーン復帰作でもあった。和田さんは『ジュディ』をどんなふうに観ただろうか。「お楽しみはこれから」だったのに……。


埼玉県比企郡「大井戸」うどん
 NHK「サラメシ」(2021年4月7日)を見た。再放送のようであった。2011年に放送開始という長寿番組で、「サラリーマンの昼食(メシ)」を紹介する。縮めて「サラメシ」。この回は埼玉県朝霞市にある印刷会社「東京印書館」のプリンティング・ディレクターが登場。耳慣れない役職だが、巨匠と言われる写真家の写真集を名指しでこの人が受け持つ。フィルムあるいはデジタルデータをそのままプリントするのではなく、明暗、色調などを彼が微妙に調整する(指定紙に素早く書き込む)。それで仕上がりがまったく違ってくるそうだ。まさに名人芸。
 彼、高柳昇さんの「昼食」に番組スタッフが同行する。NHKだから店名は出てこないが、武蔵野の手打ちうどんの店。黒味がかった野性的なうどんと、大きな有頭えびの天ぷらの定食が見ていると実にうまそう。検索して、これが埼玉県比企郡ときがわ町の「大井戸」という店であることが分かった。高柳の会社がある朝霞からは相当離れている。いちおう最寄り駅はJR八高線の「明覚」ということになるようだが、いやいや駅からもかなり離れております。
 しかし、地図を見ると少し北に「玉川温泉」がある。ここへは行った。埼玉県東松山市在住の畏友Iくんと、年に何度か落ち合って酒を飲むのだが、昨年、彼の車によるガイドで埼玉県の中心部を観光した。その際、立ち寄ったのが「玉川温泉」である。ふたたび彼の車を使ってなら行けない場所じゃない。ちょうど別件で彼とメールのやり取りがあって、「サラメシ」「大井戸」うんぬんの話題を振ると、「ぜひ、一緒に行きましょう」と返事があった。
 私の居住区から自転車で西武国分寺線「鷹の台」へ。ここで自転車を止め、「東村山」で西武新宿線に乗り継ぎ「本川越」へ。ここから少し歩いて、今度は「川越市」駅から東武東上線に乗り換えてようやく「東松山」に着く。正直言って、かなり不便。駅前でIくんの車に便乗し、近況報告をしながら「大井戸」を目指す。カーナビを頼りに30分は走ったか。旧街道といったおもむきの国道沿いに広い駐車場を持つ「大井戸」が見えた。
 途中、何軒か「うどん」の看板を見つけ「あ、ここか。いや違う」を繰り返しての到着。埼玉はうどん県である。正午前に店へ入ったがほぼ満席。このあとどんどん客が押し寄せ、店の前に行列ができ、駐車場に入れない車が数台路肩で待っていた。耳に飛び込んでくる客の言葉に「サラメシ」がある。やっぱりテレビを見て来たんだ(お前もな)。あとで地元の人に聞いたら、「いや、けっして行列のできるような店ではなかったですよ(テレビ放送がある前は)」とのことだった。

 うどんの話をしておかないと。注文したのは頭なし海老天付ざるうどん1200円。テレビに映ったのは「有頭えび」の天ぷらうどんで少し違った。つけ汁に薬味が数種、おからを調理した小鉢がついてくる。えび天は中ぐらいのが2匹。うどんは思ったより「黒い」。そしてかなりの腰が入った武蔵野うどんだ。「うどんに腰は不要」という関西人の私はちょっと苦手なタイプで、食べきるのに苦労した。うどん県住民のIくんは、私の倍ぐらいのスピードで食べきった。あ、これはあくまで個人的な意見です。

自転車で追い抜かれる
 雨の日以外は、ほぼ毎日、私は自転車に乗って外出する。駅へ向かうこともあれば、古本屋、スーパーへも足は自転車だ。自転車の有効性については、前にも書いたことがあるので省略。ただ、最近気づいたのだが、自転車を走らせていて、じつにひんぱんに後続車(自転車)に抜かれるのである。
 もちろん電動機付き自転車の普及(とくに子連れのママさん)がめざましく、これには勝てない。あと、スポーツタイプというのか、タイヤが細くてスピードレースに出るような自転車。これにも負けます。そうではなく、自力走行のタイプの自転車であっても、どんどん追い抜かれていく。べつに競争して勝とうと思っているわけではない。しかし、こうも負け続けると釈然としない。いや、私が追い抜かすこともありますよ。例えば、よろよろと老婆が漕ぐ場合は、お先に失礼する。
 ただ、一斉にスタートしたらと想定すると、7~8割は追い抜かれているのじゃないか。で、何が言いたいか。どうも、全般に自転車のスピードが上がっているのではと思えるのだ。データはない。私の素朴な実感である。なかには危険と思える暴走気味の走行もある。若い人に限らず、年配の人でもそうである。脇からの飛び出しほか、何か不測の事態に対して、あれでは対応できないだろう、とひそかに心配する私である。
 私はのんびり走るのが好き。自転車を漕ぎながら、いろいろなことを考えるからだ。歩くよりは早く、自動車よりは遅い。このスピードの快楽を手放したくない。ときに蝶々にさえ追い抜かれるが、まあいいじゃないか。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。