南條 竹則

第14回【前編】 司馬遼太郎と蒟蒻

 日本の古い文化には遠い昔中国から伝わって、その後本国で途絶え、日本にだけ残ったものが少なくない。
 言葉の世界にも、その例はある。「海鼠なまこ」という言葉などもそうだ。これは唐の『食経』という書物に出て来るけれども、中国では早くにすたれた。
 中国人は日本人以上にナマコ料理を珍重するが、中華料理屋さんへ行ってメニューを見てごらんなさい。「海鼠」などという字は出て来やしない。使われるのはもっぱら「海参」の文字だ。これはナマコには滋養があって、いわば「海の人参」だという考えから来た言葉である。
蒟蒻こんにゃく」という言葉も同類らしい。

 司馬遼太郎の『街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち』という本に、蒟蒻についての話が載っている。
 おでんや田楽、煮物などで我々に馴染み深い蒟蒻だが、考えてみると不思議な食べ物である。
 たしかに歯ごたえは良いし、味の染みたものには味もある。だが、栄養はない。いや、もちろんないことはないが、ダイエットに利用できるくらい少ない。
 その代わり、蒟蒻は腹中の砂を掃除してくれると言われて来た。
『砂払』という本がある。
 これは明治の山中きょうという人が、江戸時代にたくさん出た遊郭案内書のたぐいを読んで、内容を略述した一種のブックガイドである。そういう案内書のことを「蒟蒻こんにゃくぼん」といった。『砂払』という書名はそこからつけたので、昔の人は気が利いている。
 ともかく、栄養の乏しいものを砂を払うために食べるような吞気なことをするのは、日本人だけなのかと司馬遼太郎は考えた。そこで、中華料理屋へ行くたびに「コンニャクは中国にありますか」と聞いてみたが、「ある」と言う人はいなかった。
 しかし、ないはずはないだろう。「蒟蒻」という漢語があるのだから。これは「文選もんぜん」に収められた左思さしの「蜀都賦」に出て来る。
「蜀都賦」は蜀(四川)の成都のありさまを歌った一種の韻文である。
 詩人は蜀の地勢から自然、産業や都市のにぎわい、豪族や富人の豊かな暮らしを次々と歌ってこの地を賛美するのだが、その中に
にはすなは蒟蒻くじゃく茱萸しゅゆ瓜疇かちゅう芋區うく有り」(『全釈漢文大系』26(集英社)、247頁による)
 という句がある。すなわち、蜀の畑には蒟蒻や茱萸ぐみがあり、瓜畑や芋畑もあるというのだ。
 してみると、四川へ行けば蒟蒻があるのではないか。司馬遼太郎はそう思い、成都を訪れた時、地元の人に聞いてみた。すると、それは「磨芋豆腐」ないし「雪磨芋」といって、四川にもあるという答が返って来た。かん県というところへ行けば食べられるだろうという。
 灌県は名所「江堰こうえん」のあるところだ。あとで行ってみたところ、地元の人は蒟蒻をさかんに食べるといい、「黒豆腐」とか「鬼肉」という呼び名もあると教わったが、季節外れなため、食卓には上らなかった。
 司馬遼太郎はのちに雲南省の昆明へ行き、雲南省の農村ではどこでも蒟蒻を栽培していると聞かされる。さらに日本のスーパーマーケットで「雲南コンニャク」という輸入品まで見つけて感嘆し、食べ物としての蒟蒻は雲南省が発祥の地だろうという結論に落ち着く。
 蒟蒻の話は『街道をゆく20中国・蜀と雲南のみち』に繰り返し出て来て、著者の強い愛着を感じるが、同書を読む限りでは、ついに中国で食べることが出来なかったようで、気の毒だ。

 司馬遼太郎が四川の人に教わった「磨芋」という言葉は由緒のある言葉らしいが、現在の中国ではたいてい「魔芋」というから、初めてメニューで見るとビックリするかもしれない。
 わたしなども以前、杭州の高銀街で貴州料理店に入った時、メニューに「魔芋豆腐」と書いてあるのを見て、何だろうと思った。
 魔女の芋かしら?
 昔、南方で日本兵が毒のある芋を食べてシビレたという話を聞いたことがあるが、そんな代物ではなかろうか。
 試しに注文してみたら普通の蒟蒻で、酸っぱくて辛いタレがかかっていた。
 その店にはなかったが、貴州の貴陽の名物料理に「魔芋鍋粑炒肉絲」というものがあるそうだ。
 魔芋豆腐(蒟蒻)をつくる時、鍋の底に厚い皮が出来る。それを「魔芋鍋粑」という。そいつを細く切って、豚肉と炒めるのだ。
 羊肉と炒める地方もあるらしいが、どちらも御飯のおかずに良さそうである。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)