南條 竹則

第14回【後編】 荷風と泥鰌屋

 わたしが毎年夏に行く福島の温泉で、ある朝洗面所へ行ったら、かなだらいに細い泥鰌どじょうがいっぱい泳いでいた。
 あの泥鰌はどうしたのかと宿の人に聞いてみると、手伝いに来るおばさんの家の田圃たんぼでとれたという。そこは農薬を使わないため、まわりの泥鰌がみんな集まって来るのだそうな。
 盥の泥鰌は雪解け水で一日二日泥を吐かせてから、牛蒡ごぼうと煮て食膳に供された。
 べつなある時、山形県の旅館で泥鰌が出た。
 柳川風の卵とじにしてあったが、骨を抜かない丸ごとの泥鰌が入っている。しかも、そいつがナマズの子かと思うほど大きくて太い。とても丸ごと食えたものではない。おまけに味つけがやたらと甘くて、どうにも始末に困った。

 同じ泥鰌の丸鍋でも、東京の老舗泥鰌屋で出すものは大分洗練されている。そんなに巨大な泥鰌は使わないし、第一、手がかかっている。
 やり方には家々の流儀があるだろうが、岡本かの子の短篇「家霊」に出て来る泥鰌屋では、泥鰌をざけに漬けておく。そのあとのことは書いてないが、普通下煮をするはずだ。そうやって下ごしらえした泥鰌を刻みねぎと一緒に鍋で煮直すと、骨はあっても肉はまるで煮込んだうどんのように柔らかい。家庭や居酒屋では中々味わえない専門店ならではの料理である。
 わたしはそんな丸鍋を浅草の「飯田屋」で初めて食べた。
 その頃わたしは大学院生で、家庭教師をしていた家の旦那が連れて行ってくれたのだ。佐藤さんというその旦那は世田谷に住んでいたが、仕事でよく行く浅草の食べ物屋に詳しかった。
「飯田屋」は佐藤さんが最初に連れて行ってくれた店で、
「ここは永井荷風が来たんだよ」
 と教えてくれた。
 もう四十年近く前の話である。
 最近、『断腸亭日乗』を読んでいると、果たしてあの「飯田屋」が出て来る。それも一ぺんや二へんではない。昭和26年の正月から昭和30年の8月くらいまで、荷風は浅草へ来ると、よくここで夕食を食べた。頻繁な時は、毎日とは言わなくとも一日置きくらいに通っていた。
 もっとも、いつも丸鍋を食べていたわけではなく、ヌタに柳川、酒というのがお決まりのコースだったそうだ。
 御存知のように、荷風という人は一つの店が気に入ると、しばらくの間通いつめる。
 これは壮年の頃からそうで、『断腸亭日乗』を見れば、気に入りの店の変遷が手に取るようにわかる。たとえば、震災前には銀座の風月堂を愛用した。
 大正八年十二月六日の記にこうある──
寒雨霏々ひひ。風月堂に往き夕餉をなす。老婆おしん世を去つてより余が家遂に良婢を得ず。毎宵風月堂にて晩飯をなすやうになりぬ。葡萄酒の盃片手にしつつ携帯の書冊を卓上に開き見るや、曾て外遊の時朝夕三度の食を街頭のカツフエーにてとどのへたりし頃のこと思返されて、寂しさに堪えざることあり。(『荷風全集』岩波書店 第19巻、152頁)
 銀座には晩年まで足を運んだが、次第に浅草へ行く頻度が高くなる。浅草界隈で贔屓ひいきにした店には「アリゾナ」「フジキチン(不二キチン)」「つるや」「天竹」、吉原の洋食屋「ナポリ」などがあり、ことに「アリゾナ」へ行くことが多かった。
「味思ひの外悪からず価亦廉なり」(昭和二十四年七月十二日)と評したこの店については、あらためて言うまでもあるまい。一度閉めた店を親族が再開し、近年まで営業していたが、わたしはついに行く機会がなかった。荷風ゆかりの店で今も健在なのは、例の「飯田屋」や蕎麦屋の「尾張屋」など数えるほどにすぎない。
 荷風のファンや研究家は大勢いるから、こうした店についても調べが行きとどいている。わたしなどが何か言っても屋上屋を架すにすぎないだろうが、それを承知で、「楠屋」のことだけはちょっと申し上げておきたい。
 この店は行きつけというわけではないが、『断腸亭日乗』に登場する。
 昭和二十四年四月十一日の記に曰く──
四月十一日。雨。晡下ほか大都座。終演後女優高杉等と千束町楠屋喫茶店に至り雑談す。家に帰るに十一時に近し。(前掲書第24巻、286頁)
 同十月七日の記に曰く──
十月初七。積雨新晴。始て日光を見る。晡下浅草ロツク座楽屋。曾て小岩の私娼窟にて無毛の噂ありし女のいつか踊子となり、裸体にて歌うたふを見る。閉場後楽屋の人々と千束町喫茶店楠屋に少憩してかへる。一天拭ふが如く既望の明月吾妻橋の真上に在り。漫歩押上に至り電車に乗る。(同310頁)
 わたしは昔浅草に住んでいた頃、すなわち昭和40年から45年頃に楠屋へよく行った。場所は「ひさご通り」の「米久」の並びで、当時は「クスノキ屋」と表記し、一階が洋菓子店、二階が喫茶店兼レストランだった。シュークリームが旨く、地元でたいそう人気のあった店である。
 最近随筆にこの店のことを書いたけれど、『断腸亭日乗』に出て来るとは、その時気づかなかった。「クスノキ屋」を愛して、今も懐かしく思う人々のためにこれを記す。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)