【第56回】


裸本の魅力
 ネットや目録における古書の状態を示す表現に「裸本」がある。「はだかぼん」もしくは「らほん」と読む。私はもっぱら後者で呼ぶ。本は「本体」にジャケット(カバー)及び帯、あるいは箱(古書業界では「函」という文字を使う)に包まれている。「裸本」とは、人間の肉体で言えば衣裳をつけず「裸」の状態を指す。知らないで、初めてその表示を見たら「裸本って、あのエロな写真集のこと」と思われるかもしれない。
 ネット販売が勢いづくなか、本の状態に客がうるさくなり、新品同様を求めるようになった。「経年のヤケあり」なんて、昔の古書目録ではあまり見なかった気がする。当たり前だもの。全般に本が売れないこともあり、そうなると少しでも状態の悪い本は極端に値が下がる傾向が続いている。カバーや函なしの本が店内に並ぶことは少なく、均一で100円というケースが目立つ。あるいは、商品にならないので廃棄されているか。
 私もカバーや函、帯があるならあった方がいい。裸本を好む、というほど粋人ではない。ただ、この1年で1万冊ほど蔵書処分をしてきた過程で、あきらかに値がつかない裸本は残してきた。裸本が手元に残るようになると、不思議な話だが、別の愛着がわいてくる。カバーや函を失って「素顔」になった本が、味わい深いと感じるようになったのである。
 古本屋の店頭均一でも、わざわざ裸本を買うということは長らくなくなっていたが、つい先日、そのたたずまいに魅せられて100円+税で買ったのが窪川稲子『扉』(昭和16年・甲鳥書林)。女性がソファにもたれかかる絵が表紙にあって、タイトル1字は赤で「扉」とシンプル。これが何ともいい。装丁者のクレジットはなし。検索すると、もとは函があって、完品なら3000円から4000円台の古書価がついている。裸本でも2500円。
 著者・窪川稲子はのち佐多稲子となる昭和を代表する女流作家で、出自はプロレタリア文学だが、広範に読者を持つ。稲子の本姓は田島。窪川はプロレタリア文学の闘士・窪川鶴次郎との婚姻時代の姓。本来ついている函には、中央に「扉」の一字があるだけ。だから本としては、函なしの方がデザイン的には良好、という逆転現象が起きている。
 そこであることを思い出した。私がかつて自著を出版したばかりの頃のこと。懇意にしている編集者に、できたばかりの1冊を目の前で贈呈した時、彼はまず奥付を見て、それからカバーをはずした。四方から本体を眺めると、「なかなかいいですねえ」と言ったのだ。いかにも本造りのプロである編集者らしい。

 私も同様のことをよくする。たいていは、本体の表紙には何もなく、背にタイトルが印刷されているだけのものが多い。しかし、ときに本体表紙にも意匠がほどこされている場合がある。編集者および装幀者の趣味性がそこに表れる。
 裸にした本にも味わいや魅力がある。蔵書処分をするなかで、改めて気づいたのでお知らせしてみました。

井森美幸の生き残り方
 新陳代謝の激しい芸能界で生き残ることがいかに難しいか。なにしろ毎年のごとく、新人の歌手、俳優、タレントがデビューし、フレッシュさを求めるテレビ界ではすぐに首がすげかえられていく。芸能歴30年、40年という人は、ただそれだけで値打ちがあるし、生き残るだけの何かがあるのだと思わざるをえない。
 なぜ、そんなことを言い出したかというと、CS放送フジテレビONEの「プロ野球ニュース」を見たからだ。ニュースショーの1コーナーから独立した地上波放送時代(1976~2001)、当たり前のように毎晩視聴していたが、番組終了したこともしばらく気づいていなかった。サッカー人気に押され、プロ野球の人気が低迷した結果のことだ。うかつなことだが、じつは新生「プロ野球ニュース」がCS放送に移行して視聴可能であることに、つい先日まで気づかなかったのだ。
 今年はひいきの阪神タイガースが歴史的好調を見せ、マイ野球熱再燃。ほぼ全試合をBS、CSでチェックするようになった。その延長で気づいたのが「プロ野球ニュース」CS移行・再編だ。これも毎晩23時に視聴するようになった。井森美幸について何か書くことがあるとは、それまで思いもしなかったことだ。
 土曜日(隔週出演)の回のMCが井森美幸で、私の目には意外な起用に映った。しかし進行をそつなくこなし、でしゃばらず、時々的確なコメントを挟む。その安定感に驚いたのだ。始終、笑みを絶やさないのも悪役顔のおじさん解説者にまじってバランスがいい(重たく長い髪を切ったほうがいいとも思ったが)。さて井森美幸。誰でも名前と顔は知っているが、さて代表作はと聞かれたら「うーん」と言葉に詰まる。そういうタレントは他にも大勢いるだろうが、代表格が井森ではないか。
 検索して調べたら、井森は1968年10月、群馬県下仁田町生まれ。1984年のホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し芸能界デビューした。翌年に歌手としてシングル盤『瞳の誓い』を発表するもあまり売れなかったようだ(冗談みたいなタイトルだ)。1980年代後半ごろより、歌手としてヒット曲を持たず、もっぱらバラエティ番組にタレントとして起用される女性芸能人が目立つようになった。名づけて「バラドル」(「バラエティ・アイドル」の略)。井森もそんなうちの一人。同期同種の女性タレントに山瀬まみ、松本明子、森口博子、浅香唯、芳本美代子などがいる。おニャン子クラブの面々もそうだった。 
 現在でもかろうじて生き残る人もあるが、こうしてメンバーを並べると井森の健闘が光る。お笑い芸人を中心に、たいてい男性タレントにまじりゲストで呼ばれ、「独身」を含め、けっこうキツい突っ込みを受けてもひるまず「ちょっと、やめてくださいよぉ」と笑う姿がすぐ頭に浮かぶ。考えたら芸能歴30年を越え、年齢的にはベテランだが、年下の男性タレントでも気軽に突っ込める軽さが買われているようだ。芸能界の甘い水、苦い水にもまれて飲んで、ほとんど「達人」の域に達している。おそらくだが、出演者やスタッフの受けもいいのではないか。井森さんは使いやすい。これが営業品目のトップ項目である。
 5月7日放送分だったか、「プロ野球ニュース」でのこと。若い選手の年齢(何年生まれ)が話題になった時、「ほとんど私のデビューと同じですね。って言ったら年がわかっちゃうか」と笑ってみせた。何でもない一言だが、年齢に触れられることを嫌がる女性タレントが多いなか、これはさわやかな処理であった。井森美幸、いいです。


オリエンタルカレーに挑戦
「カルディコーヒーファーム」というコーヒーと輸入食材のチェーン店がある。あちこちで目にするようになって、いつのまにか全国400店舗規模の進出を果たしたというが、私はあんまり関心がなかった。家族で大型商業施設へ買い物に行った時(隠すことはない。「イオンモール」と書けばいい)、妻と娘が「カルディ」へ入ったので私もお供をした。
 ほとんど初めて、店内を見て回ったのだが、見たこともない、聞いたこともない珍しい食材が棚を埋め尽くしている。商品管理が大変だと心配したのは、学生時代に長らくスーパーでアルバイトをしていたからだ。商品の発注もまかされていた。
 いろいろ未知の食材を見ているだけで飽きない。新鮮な体験であった。その時、カレーの棚に見つけたのが「オリエンタルカレー」。正式には「オリエンタル・マースカレー」。商品名を折り込んだCMソングが頭の中に流れた。50年ぶりぐらいではないか。なんとも懐かしい赤と黄色のパッケージに目が吸い寄せられ買ってしまった。
 いつも利用するスーパーでは見たことがないと思う。関西在住の幼少期、これは誰でも知っている商品だった。パッケージを見ると本社は愛知県稲沢市。そうか、名古屋文化圏のカレーだ。名古屋出身の南利明が「ハヤシもあるでよ」とCMに出演していたのもそういうわけか、と判明する。さっそく家に帰って、これでカレーを作ることにする。家庭でカレーを作るのは私の役目である。
 パッケージを開いて知ったが、カレー粉はパウダー状で、ビニールボトルの「チャツネ」が同封されている。よく普段使いする、固形の茶色いカレーとはまったく違う。調理法の解説はシンプルで、「チャツネ」を先に投入するとある。どんなカレーが現出するのか、ドキドキしてきた。そして完成。
 全体に黄色っぽいカレーで、口に入れると甘く、スパイスはそんなに強くない。学校給食や、市役所の食堂で食べるカレーに近い味。新潟「万代バスセンター」の立ち食いで食べたのもこれに似たカレーだ。
 病みつきになって、今度もぜひ……とはならない。そういうカレーではなさそうだ。ただ、半年とか1年後に、無性に懐かしくなって買ってしまう気がする。買ってしまうだろうな。きっと買います。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。