第6回 『紅白毒饅頭こうはくどくまんじゅう』──夏の疾病しっぺいにご用心

東海大学教授 堀啓子

 コロナ禍の現代、ふと気になるのは昔の疾病対策です。江戸時代、猛威を振るったインフルエンザは、歌舞伎や浄瑠璃で人気のヒロインに因み、「おそめ風邪」と呼ばれていました。各家が戸口に、その恋人の「久松ひさまつは留守」と貼りだしたのは、「お染」が素通りしてくれるように、というおまじないです。そうして続く明治は、コレラの蔓延が深刻でした。すると、人々は新たな救いを求めて新宗教の寺社や教会に殺到します。実際にあった、その様子をリアルに、そしてどこかコミカルに描いた『紅白毒饅頭』は、疾病のおそろしさが身に染みる今だからこそ、理解しやすい一作と言えそうです。

歌川豊国(二世国貞)の「清書七伊呂波」(『俳優似顔東錦絵』山本 安政三年・所収。国会デジタルコレクションより)に描かれたお染と久松。「七伊呂波ななついろは」は習字の手本として、いろは文字を七つの書体に書きわけたもので、ここでは「そめもよう お染久松」にちなみ、「そ」の文字が七つの書体で記されている。


 某守なにがしのかみやしきあと新開しんかいちに、此度一町四方いつちやうよほう取廻とりまはしたる大普請おおぶしん足代あじろ虚空こくうに網を張りて、上下する人夫にんぷ宛然さながら蜘蛛くものこの遊ぶに似たり。
病院か、会社か、劇場か、旅店(ホテル)か、と近所の噂百般とり/˝\にして、これぞとあきらめてるものなし。ならず竣工しゆんこうしければ、珍しき物たさによう士女ひと此前このまへを過ぐれば、門にはふとしき立つる二しやくかく杉柱すぎばしら、黒く塗立ぬりたしぶなほくさく、右手めての柱に玉蓮ぎよくれん教会とふだうつて、物のたふとげに注連しりくめなはわたし、(…)
 何ともミステリアスな書き出しで、初手から読者を魅了したのは尾崎紅葉の『紅白毒饅頭』である。明治二十四年、『読売新聞』に連載されるとたちまち話題をさらった異色作で、翌年には春陽堂の『紙きぬた』に所収される。新宗教という珍しいテーマが耳目を集め、その宗教にリアルなモデルがあったことも、読者の好奇心をかきたてた。じっさい、紅葉はこの新宗教の「説教日」の様子を綿密に取材し、作品に反映させてもいる。

『読売新聞』明治二十四年九月二十二日の新連載予告。いかにも人々の好奇心をそそるべく、センセーショナルな奇譚であることが強調されている。

 じつはこの当時、人々はコレラの恐怖に怯えて生活していた。江戸時代末に西洋からもたらされ、死亡率の高さから「コロリ」の異名を取った疾病である。最悪の年には、年間死者数が十万人を超え、『紅白毒饅頭』発表の前年も、罹患者四万六千十九人、死者数三万五千二百二十七人(内務省衛生局「衛生局年報」に拠る)という、痛ましい記録を残していた。
 ただこれは、あくまで表面的なデータである。当時、コレラ患者は、避病院という法定伝染病患者専用の病院に有無を言わさず送られた。だが治療が困難な時代である。目的として、病人の隔離・収容が先行した。そのため避病院ではなす術もなく命を喪う患者が後を絶たず、残された家族も周囲から白眼視される。結果的に、コレラ(と思しき)患者を家族が匿い、秘かに加療を試みるケースも少なくなかった。
 そうした中、多くの一般人が効果的な治療方法を求めて奔走する。近代的な西洋医学での治療法はまだ効果が低く、高額な診療費や薬料も負担になる。そこに、わずかなお布施で万病の即時平癒を利益りやくとする神様がおわしますれば、人々が先を争って入信したのも当然であろう。

平出鏗二郎『東京風俗志』富山房 明治三十二年(国立国会デジタルコレクションより)。多くの宗教教団や講社で信者に「神水」が施与され、こうした光景は、珍しくなかった。

 さて『紅白毒饅頭』の冒頭で落成したのは「玉連教会」である。いわゆる新宗教で、江戸っ子の近所衆たちも「往古むかしよりかつて聞きも及ばざる宗旨」である。ただ額を集めた彼らが、いみじくも「東京には知られぬ神ながら、諸国しよこくには長くひろまりたるを、此度東京こゝ御遷宮ごせんぐうあらせられたるならむか」とすいしたように、説教日には何処からともなく無数の人が訪れ、門前市まで賑わいをみせる。
 その参拝者は「総じて男子をとこよりは女子をんな多く、老たるよりは若きが多く」、「服装みなり人品ひとがらいやしからず、なにがし夫人誰氏たれし令嬢とも見ゆる、年若き女人の参詣さんけい」も数多い。だが時おり透かし見えるなまめかしい神官や、絹物をまとった異様に美しい巫女たち、深夜に響く「二挺にちやう三味線」の音など、宗教教会としての違和感は滲む。
 ただ、この未知の教会が如何に奇異に映ろうとも、近所衆は怪しむこともなければ不審視することもない。彼らにあるのは、ただ素朴な好奇心のみである。神に対する純粋な畏敬の念のみをまとうその感覚は、今日のそれとはまるで異なっている。だがそれこそが古来、八百万やおよろずの神々をあがめてきた日本人のの感覚であり、未知の宗教を疑うことなく受け入れる、当時の平均的な感覚だったのである。
 ただ、そこに落とし穴があった。
『紅白毒饅頭』は、オムニバス形式で次々に主要人物が入れ替わる。まず登場する老舗しにせ隠居いんきょ勘右衛門かんゑもんは、「今年六十四にして好色かうしよく名代なだい白徒しれもの」である。裕福な身の上で遊び癖も止まないが、世間体を気にする実直な息子にたしなめられ、芸者屋にも行けない窮屈な日々を送っていた。そんな勘右衛門の前にある日、悪知恵を貸す太鼓持ちが現れた。彼は勘右衛門を玉連教会の説教日に伴い、特別席へと誘う。そこは、真摯で熱心な一般席の信者とは異なり、「御同様の心懸なる人」ばかりの席という。いわれるままに多額のお初穂はつほを包んだ勘右衛門が説教の後に案内されたのは、一般信徒が存在も知らない奥の間である。ここにお茶と紅白饅頭を運んで来たのはたいそう美しい婀娜な巫女で、太鼓持ちから「何事も諸願成就はお初穂の加減一つ」と聞かされる。
 続いて、庶民代表として登場するのが神田の総菜屋そうざいやの娘・おかつである。ある華族の御屋敷に奉公に出ていたが、
十九の今年の夏、雨の徒然つれ/˝\に奥様御亭主にて殿様は御上客、書生仲働なかばたらきもお席を許されて抹茶ちやのおなぐさみ、花にはお池の杜若かきつばたをとありければ、お勝がきりに行きて帰途かへりがけ築山つきやまそばにて足駄あしだすべらせ、石燈籠いしどうろうの陰にしたゝか転びて、呼吸いきとまるほど胸部むなさきち(…)
 
お勝はその後に肋膜炎を患う。熱心な玉連教徒のお勝の母は、「うちやまひには服し、ほかの病にはりて、軽きは平癒へいゆ三日を出ず、重きも期日ひとつきえざること疑ひなし」という「神水おみづ」を娘に与えて教会に日参し、父と兄とは多田医学士の往診にすべてを頼み、家庭内で宗教vs.医療戦争が勃発する。
 幸いお勝の病は治癒し、お勝は母への義理で玉連教会への御礼参りに同道する。そこでお勝は、多額の寄進によって別格扱いの信者と噂される、華族の次男・美貌の滝川に出会う。そして「其面影は心にのこり、思ひにからまりて忘れ難さ」に、お勝も玉連信者の仮面を被り、玉連教会に足繁く通うようになっていく。
 こうして秘密のヴェールに包まれていた玉連教の内幕は、勘右衛門やお勝の目を通し、次第に露わになっていく。その表の顏は、熱心な信者の祈りに応え、難病を治す神水を施与する立派な〈神様〉である。だがもう一つの顏は、裕福な信者に多額の「寄進」を求め、それに見合う〈サービス〉を提供するという別の顏である。そしてこの裏の顔は、真摯な一般信者に決して知られることはない。ただ、勘右衛門の様に世間体が必要な信者には「神様信心」という隠れ蓑を提供し、その見返りに教会も「立派な信者」を抱えることで社会的信用を獲得するのである。
 如何なる神でも、神様への絶対的な信頼があった時代であるからこそ、有効なカムフラージュになったのである。そしてこの相互利益の関係によってその秘密は誰にも暴かれることなく、完璧に隠匿されていくのである。
『紅白毒饅頭』は未完とされるが、この完璧な内秘が少しずつ外部に染み出し、教団のカタストロフィーを予感させるところでストーリーは終わっている。外から見ると美味しそうな紅白饅頭も、食べてみたら毒入りかも知れない。美々しく壮麗に見える新宗教の内幕は如何に?
 プラシーボ効果などが注目され、「病は気から」という言葉も重みを増す今日、さまざまに考えさせられる作品である。

『朝日新聞』明治二十三年十二月五日の記事。玉連教会のモデルとなった新宗教について、「誰知らぬものなき流行見世にて上貴顕紳士の婦人令嬢より下裏店小店の神さん娘子守等に至るまで霊験あらたかなる」とあり、当時この宗教が広く知られていたことが示される。


【今月のワンポイント:新宗教と医療】
 玉連教のモデルとなったのは当時、北海道から鹿児島まで教会を有して、最盛期には公称信徒数九十万人を誇った有名な実在宗教であった。だがその後、ジャーナリズムからのバッシングを受けたことも要因となり、完全に消滅している。コレラなどの疾病に苦しむ人々が心の拠り所を求め、様々な宗教に入信したこの時代、多くの新宗教が誕生した。その多くは分派や合流、改名などを経て現在まで存続する。『紅白毒饅頭』の作中で、「神が疾病を治すものならば、我等も神と同商売でござる。」という多田医学士の言葉は言い得て妙であり、当時は難病の治療にあたり、近代医学か宗教かどちらを頼りにするかは、相対的な選択に過ぎなかった。


春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)著者:春陽堂編集部
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。


この記事を書いた人
堀啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和3年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。