南條 竹則

第17回 『放浪記』の浅草

 浅草は酒を吞むによいところ。浅草は酒にさめてもよいところだ。一杯五銭の甘酒、一杯五銭のしる粉、一串二銭の焼鳥は何と肩のはらない御馳走だろう。
 これは『放浪記』の一節である(新潮文庫版124-125頁)。
 異郷の都会で日々の暮らしに追われ、いつも腹を空かしていた主人公も、時には少し──ほんの少し──お小遣いを手にすることがある。
 そういう時、安価な娯楽と食べ物が楽しめる楽天地が浅草だった。彼女の口からはいとも素直な楽天地礼賛が語られる。
『放浪記』のべつの箇所に曰く──
 浅草はいいところだ。
 みんなが、何となくのぼせかえっている。からだじゅうでいきいきしている。イルミネーションが段々はっきりして来る。(375頁)
 また──
 浅草へ行った。浅草はちっぽけな都会心から離れた楽土です。そんなことをどっかの屋根裏作家が云いました。浅草は下品で鼻もちがならぬとね。どのお方も一カ月せっせと豚のように食っているものだから、頭ばかり厖大になって、シネマとシャアローとエロチックか、顔を鏡にてらしあわせてとっくりとよくお考えの程を……ところで浅草のシャアローは帽子を振って言いました。「地上のあらゆるものを食いあきたから、こんどは、空を食うつもりです。」浅草はいい処だと思うなり。(331頁)
 上の文は、途中少し文章が混乱している。それに「シャアロー」というものが何だかわからない(もし御存知の方がいらしたら、お教えを乞いたい)。英語のshallowと関係があるかも知れないが、はっきりしない。とにかく、シネマ、エロチックと並べられているから、お客がて楽しむものであって、「帽子を振って」いるから人間で、舞台芸人か何かかと思われる。正体はわからないが、「空を食う」という台詞は名台詞である。
 このような文章を読んでいると、語り手のあとについて遠い戦前の浅草に、今はない浅草に行ってみたい気がする。

 この文章がウェブ上に掲載されるのは数ヶ月後だろうが、私は今、疫病猖獗しょうけつの東京で、緊急事態宣言下に原稿を書いている。
 わたしの家は浅草に近い南千住というところだが、気分転換のためにホテルをとった。浅草ビューホテル──御存知、国際劇場の跡地に建てられたホテルだ。コロナウイルスの発生以前は中々予約が取れなかったが、今はいていて、安く泊まれる。
 そこのベッドに寝転がって『放浪記』をめくっていると、例えば、こんな一節に出逢う──

 夜、独りで浅草に行く。ジンタの音を聴くのは気持ちがいい。誰かが日本のモンマルトルだと云った。私には、浅草ほど愉しいところはないのだ。八つ目鰻屋の横町で、三十銭のちらし寿司をふんぱつする。茶をたらふく飲んで、店の金魚を暫く眺めて、柳さく子のプロマイドをエハガキ屋でいっとき眺める。(487頁)
「八つ目鰻屋の横町」とはどのあたりだろう、とわたしは窓の外を見ながら思った。
 国際通りに現在もある「八ッ目鰻本舗」のそばには「食通街」という横町がある。それと交差するアーケード街「すしや通り」は、わたしの子供の頃は「寿司屋横町」といった。
 わたしは散歩に出た。
 酒を提供できないからだろう。昔とくらべて随分減った「すしや通り」の寿司屋はみんな閉まっている。あたりの飲食店で目につくのは、お好み焼屋と焼肉屋くらいだ。
 新仲見世を浅草駅の方へ歩くと、すき焼きの「今半」が開いていた。
 浅草駅から川のほとりに出る。
 近くにある老舗「駒形どぜう」の戦前の様子を、林芙美子はこう書いている。
 ……どじょう屋にはいって、真黒い下足の木札を握る。籐畳に並んだ長いちゃぶ台と、木綿の薄べったい座蒲団。やながわに酒を一本つけて貰う。隣りの鳥打帽子の番頭風な男がびっくりした顔をしている。若い女が真昼に酒を飲むなぞとは妙な事でございましょうか? それにはそれなりの事情があるのでございます。久米の平内へいない様は縁切りのかみさんじゃなかったかしら……。酒を飲みながらふっとそんな事を思う。鳥打帽子の男、「いい気持ちそうだね」と笑いかける。私も笑う。
 ささくれた角帯に、クリップで小さい万年筆の頭がのぞいている。その男もお酒を飲んでいる。店さきにずらりと自転車が並び、だんだん客がふえて来る。まるで天井にかげろうがまっているような煙草のもうもうとした煙。少しの酒にいい気持ちになって来る。どじょう鍋になまずのみそ椀、香のものに御飯、それに酒が一本で八十銭。何が何だってとたんかの一つもきりたいようないい気持ちで戸外へ出る。(472-473頁)
 泥鰌屋へ入っても、今は酒を飲むことができない。酒の飲めない浅草はやはり寂しい。
 仕方なくビールを買って、ホテルの部屋へ戻る。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)